講義名: 中国語学概論 序説の一 中国語学の立ち場
時期: 昭和22年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ
四等の観念と同様に整然たる組織をもっているのは四声であって、標準語における[br]
声調が四種に分かたれることをいう。中国語の声調は同じ音節についておこる数種の音[br]
楽的特徴であって、たとえばㄩˊと発音すれば魚でありㄩˇと発音すれば両であるとい[br]
うように、それぞれ異なった意味を指定する。しかもこの特徴はほとんどすべての音[br]
節に対し均等にまた顕著に現れるため、この言語にとっては極めて重要な意[br]
味を持ち、音節が概念を示すとすれば、その働きは単に子音と母音とにのみ[br]
委ねられることなく、声調もまたその重要なる発言権を持っている。[br][brm]
中国語一般として声調に必要なる条件は(一)音階の高低(二)高さの変化であって、[br]
旧来の音韻学によれば語尾の入破音-p -t -kないし声門閉鎖音と、しからざる[br]
場合すなわち特続音との関係をも声調として考えているが、少なくとも北京語[br]
としては入破音 p t k ないし声門閉鎖音は存在しないし、音階の高低という[br]
現象も存在しないから、結局、標準語の声調は高さの変化に帰するほか[br]
はない。この変化は北京語においては明らかに四種あるので、これを普通に四声[br]
と称する。その四種は(一)高いところで平らなものと(二)低いところから若干のカーヴをもってほぼ第[br]
一種の高さまで昇るもの(三)第三種よりもやや低いところか[br]
ら始めやや下り気味のカーヴを描きやがて上昇す[br]
るが第二種の起点よりやや上までしか達しないもの[br]
(四)第一種よりやや高いかと思うあたりから急に降っ[br]
てついに第三種の起点よりさらに低いところまで達する。[br]
これをそれぞれその番号によって一声二声三声四[br]
声とも呼ぶが、旧来の音韻学の術語を用いて(一)[br]
を陰平(二)を陽平(三)を上声(四)を去声とも呼ぶ。[br]
これらは要するに互いに牽制した一つの型をなすも[br]
ので、何等絶対的の高さを持たず、ただその相対的[br]
の高さであり、またその変化である。上に示した型は昭[br]
和二十一年十二月七日[wr]東京帝国大学理工学研究[br]
所小幡研究室[/wr]において、東京帝国大学文学部学生王振環君 三歳より日本留学までほとんど北[br]
京を出たことがないという について、小幡博士と小林学士の発明にかかる「音の高さと強さとを直[br]
示する機械」を用い、わたくし自身たちあいの上で実験した結果によったもので、[br]
従来四声を摹したいずれの曲線ないし直線よりも、もっともよく四声の精神に触[br]
れたものと断言することを憚らない。その長さについては、一定の標準がなく、たと[br]
えば短母音の場合は複母音の場合よりも短いということも認められるが、相対的に[br]
いって上声がもっとも長く去声がもっとも短いということはいえる。そしてもっとも長い上声[br]
は比較的高低の差が少ない、というかあるいは大体低いところにあり、もっとも短い去声[br]
は高低の差がもっとも多い、というわけであり、陽平もまた高さの差は去声ほど[br]
烈しくないが、去声とは逆の方向を取っており、陰平にいたっては超然として高いところにと[br]
まっている。かくしてその音階としては人々による相当の自由が許されて、その人たち[br]
の話し声の中ぐらいが標準とされているが、一人の人の発する音節がかくの如き[br]
著しい型を均等に配給されているということは、ほかの言語に比して著しい特色を[br]
なすものであって、この国語が単音節的性格によって耳で聞き分けるに困難な一[br]
面が補充され、さらに一定の型をどの音節も持つというために数すくない音節が数[br]
倍に増加されるという意味で、概念の分配を安全ならしめる作用をもち、すなわちこ[br]
の国語の性格に伴って発展すべき運命にあるものといえる。強弱についても一定[br]
の標準はなく、やや注意すべきことはㄞㄟㄠㄡの如き複母音では前にもの得たように[br]
降ないし半昇の母音が昇に移るときは初めが強くて終が弱く、その逆ではほぼ反対の[br]
現象が見られるにすぎない。標準語における陰平は旧来の音韻学で平声の[br]
清音voicelessといったものにあたり、陽平は平声の濁音voicedといったものにあ[br]
たり、上声は旧来の上声のうちの清音voicelessと濁音voicedの次濁so[br]
ftといったものにあたり、去声は旧来の去声全部と上声の全濁hardといった[br]
ものにあたる。そして旧来の入声は全濁は原則として陽平にあり、次濁は去声にあり、[br]
清音は上声(一説(旧))および陰平(一説(新))陽平(無気)去声(有気)に分属している。しかし入声のほかはほぼ分類と[br]
して旧学説に密接に連関しており、現在の名称はすなわち旧学説との関係を示[br]
すものにほかならない。もとより今も文字どおり平上去入という調価values of tonesを持つという意味[br]
ではない。それにもかかわらず、これらの調子はそれぞれ一定の平均曲線average curveと音域range of the [br]
tonesとを持つわけであり、その調音の圧力force of aticulationと発声力force of [br]
vocalizationとの変動によって若干の許されたる範囲内に伸縮する。しかもそれは[br]
飽くまで相対的な高さの問題であって、声調の絶対的高さというものは考えられないの[br]
である。 趙元任中国字調跟語調、国立中央研究院歴史語言研究所集刊曲本二分。 [br]
かような問題について実験音声学的研究を試みたのは故北京大学教授劉復[br]
氏でその四声実験録民国十三年羣益書社刊には北京南京武昌長沙成都福州広[br]
州潮州江陰江山旌徳騰達の四声を浪紋計Kymographを用いて実験し[br]
た成績が載せてあり、さらに巴黎大学語音学院叢書第一種Collection de [br]
l'institut de phonétique et des archives de la parle de l'uni[br]
versité de paris.-fascicule Iとして一九二五年に刊行した漢語字声実験録[br]
Étude expérimenttale sur la Tans du chinoise二册に仏文で詳細な記録[br]
を残し、これに次ぐものとしては北京中法大学のLicenciéのTing-Ming Tchen氏のÉtude [br]
phonétique des particules de la langue chinoise(アンリマスペロ氏の序文よ[br]
り)の中に実験の報告があり、わが国ではかつて小幡博士も東洋言語の物理音声学[br]
的研究の一部として日本数学物理学会誌第八巻第一・五号に北京語の実[br]
験報告を公表されているが、当時はやはりカイモグラフ、オッシログラフの程度[br]
であり、音波を一一複雑な方法によって計算されたもので、必ずしも真の[br]
声調は描かれてなかった。その点、趙元任氏も前記中国字調跟語調に[br]
おいて種類の価値class-valuesを定めるための平均値が即座に得られるよ[br]
うな声調曲綿を多数に迅速かつ正確に得るために考えられた方法にして[br]
満足できるようなものは一つもないと嘆じていたのであるが、今や科学の進歩[br]
はかかる難関を克服して容易に声調曲綿を採収できることになったのである。[br]
もっともこれは趙氏もいうごとく、現実の旋律すなわち高さの推移は、その言語[br]
の声調を構成すると考えられる固定した数個の型の単なる連続とは別問題で[br]
ある-北京語ではその差があまり烈しくないが-以上、語彙とし語句として[br]
の声調における問題は、さらにそれぞれの節で討論されることが適切であり、こ[br]
こではただその型のみを述べた。[br][brm]
四声の記号は古く唐時代に張安節の史記正義に発字例として、平上去入の点[br]
発を論じて、平声は寅の方角から始めるといってあるが、子を真下とすると寅[br]
は左の下であり、つまり平は左の下、上は左の上、去は右の上、入は右の下に丸を[br]
つけることになっていたらしく、民国七年に注音字母が公布されたとき、陽平から入ま[br]
でを四隅に、そして陰平には記号を加えなかったのも、それを踏襲している。当時は[br]
いわゆる国音時代で、兀万广の如き北京には必要のない字母が作られたと同様[br]
の主旨で、北京にない入を取り入れてあったのであるが、九年に至り銭玄同氏から[br]
国音不必点声という議案が国語統一籌備会に提出採択されて、あばたの如[br]
き旧点法に対する反省が行われ、ついで十年の第三次大会に黎錦暉氏か[br]
ら五声案を廃して完全に京音に拠るべきことが提出され、その際に黎氏の考[br]
えた四声表記のヒントが熟して、やがて教育部から公布された注音字母書法体[br]
式において、従来の点法は横書きのときに不便であるという理由で、陰平は記号[br]
なし、陽平はˊ、そして上声は○、去声はˋ、そして入声には・を韻母または[br]
最後の韻母の上に加えることになった。実はこの方法は早くわが伊澤修二の[br]
支那語正音発微に- ˊ < ˋ として工夫されていたのである。かくてこれが[br]
一般に行われると、縦書きのときも次第にあばたが取れて、民国十七年に国語[br]
統一会で印行した古今字母単張では縦書きでありながらこの記号を付[br]
し、それが二十年に再版されたときには、縦書きならば最後の一音の上の右角[br]
につけるという説明が加わり、以後は横書きでも上の右角に加えることになり、そ[br]
の方法は完全に一新された。[br][brm]
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