講義名: 中国語学概論 序説の一 中国語学の立ち場
時期: 昭和22年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ

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 ㄧㄚiA ㄧㄛiO ㄧㄝiɛ ㄨㄚuA ㄨㄛuO ㄩㄝyɛ[br]
の六種ができて、ㄧはjとなりㄨはWとなって下の母音と密接する。その場合は第[br]
二の母音が重く積まれること当然である。ただしㄩㄝのㄩは必ずしもɥとまで半母音化[br]
しないものの如くで、第一母音の方が重く積まれるように感ずるが、これはこの音節に属[br]
することばが、ほとんどすべて月悦閲の如く去声だからであろう。そのほかㄧとㄨと[br]
はさらにㄞㄟㄠㄡの複母音に加わって[br]
 ㄧㄞiæI ㄧㄠiaU ㄧㄡioU ㄨㄞuaI ㄨㄟueI[br]
の五種ができる。この五種はわずか一音節の中に三種に近い母音が密集してい[br]
るため、その間に舌の昇降が活発に行われねばならないわけであるが、実はかほどまで[br]
の活動をすることはむつかしく、自然ㄧまたはㄨの如き昇から、一旦ㄚㄛㄝまで降[br]
り、さらにㄧㄨまで昇ることはその暇に乏しく、ここに一種の異音同化作用が起こるわ[br]
けで、中間にある降ないし半昇母音が不十分となり、たとえばㄧㄠがㄧㄛに近く、[br]
ㄧㄡがㄧㄨに近くきこえる理由となるのである。これらの音節で、もし中間の母音が[wr]明[br]

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瞭[/wr]なときはその母音がもっとも重く、もし明瞭でないときは最後の母音と合わせて重く[br]
発音される。[br][brm]
次には母音の後に一種の子音を伴うものであるが、これは北京語ではnŋ[br]
の二種に限られ、しかもその性質は母音の一部分としてこれを修飾するものと認めら[br]
れる。そしてそれが単母音に関するものは[br]
 ㄢan ㄣən ㄤaŋ ㄥʌŋ[br]
の四種に限られ、結局はㄚAの下にnŋを伴うものと(ㄜ)əの下にnŋを伴うものと[br]
であって、ただㄚ(ㄜ)がそれぞれnŋに引かれて、あるいは進んでaəとなりあるいは退いて[br]
aʌになるにすぎない。そしてこれらがさらにㄧㄨㄩの下に現れると[br]
 ㄧㄢiæn ㄧㄣin ㄧㄤiaŋ ㄧㄥiŋ ㄨㄢuan ㄨㄣuən ㄨㄤuaŋ ㄨㄥuʌŋ ㄩㄢyan ㄩㄣyn ㄩㄥiyuŋ[br]
の十一種の区別を生ずるが、この時もㄧㄨㄩが子音化するほかに、真中に挟ま[br]
れた母音はやはり十分に降ることができず、ㄧㄢはiænとなり、ㄧㄣはinとなり、ㄧㄤ[br]
はiaŋとなり、ㄧㄥはiŋとなるという現象がおこる。[br][brm]

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 最後にㄦərという特殊母音があって、əの音を発するとともに舌尖をちょっと捲き[br]
あげ、つまりrはəに組みあわされたというよりも形容的に附属するに過ぎず、し[br]
かも他の音節がそれぞれ子音のどれかと結合し得るにかかわらず、この音節は一[br]
切の子音ないしㄧㄨㄩの如きものとは結合をも持たず、たえず独立するという性質[br]
と、逆に極めて多数の音節の後に付随して一種特別な母音のər化と[br]
いう現象とを持つ。すなわち音節の最後にㄧの音のある場合、たとえば孩の[br]
後に付随すると、ㄞㄦの中間にあるㄧを発音することが困難となり、そのㄧが[br]
消滅してㄚㄦときこえ、最後にnの音のある場合、たとえば点の後に付随[br]
すると、ㄧㄢㄦの中間にあるnを発音する労力を省いてnを切り落とすこと一[br]
点児の例によっても明らかであり、さらにŋの音のある場合、灯、杏の[br]
後に付随すると、灯児杏児の如く鼻音化したものを残す、というような変化を[br]
生じ、その他の場合ではかくまで著しい変化を見ることはない。ここに掲げた母音を示す符号は伝統的に母音を韻と称するために、これを韻符調号と称する。[br]
以上の子音と母音とは必ずしも恣意的に結合されることなく、最も厳重なる規則[br]

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は子音群が存在せず、常に一つの子音がこれらの母音のどれかと結合することで、今[br]
日の中国語には普通に考えてこの原則を破るような事実は認めがたい。次に唇[br]
音に対してㄣㄆㄇの三種は開口音(ㄜㄅㄡを除く)斉歯音(ㄧㄚとㄧㄤおよびㄅㄡのㄧㄡを除く)[br]
を持つが、合口音はㄨだけの場合に限り、撮口音は全然ない。またㄈは開口音(ㄞㄠを除く)とㄈ[br]
ㄨだけで、斉歯と撮口とを持たぬ。舌尖音に対してㄉㄊの二種は開口(ㄊㄟ[br]
ㄉㄅㄊㄅを除く)斉歯(ㄧㄚㄧㄅㄧㄤおよびㄊㄧㄡを除く)合口(ㄨㄚㄨㄞ[br]
ㄨㄤを除く)あって撮口なく、ㄋㄌは開口(ㄌㄅを除く)斉歯(ㄋㄧㄚを除く)[br]
合口(ㄨㄚㄨㄞㄨㄟㄨㄤおよびㄋㄨㄅを除く)撮口(ㄩㄥおよびㄋㄩㄢㄋㄩㄅを除[br]
く)の全部にわたる。舌根音に対しては開口(ㄎㄟを除く)合口のみで斉歯[br]
と撮口がなく、逆に舌面音に対し斉歯撮口のみで開口と合口がない。さら[br]
に翹舌尖音に対しては開口(ㄖㄚㄔㄟㄖㄟを除く)合口(ㄖㄨㄚㄖㄨㄞㄖ[br]
ㄨㄤㄖㄨㄥを除く)のみで斉歯撮口がなく、舌葉音に対しても開口(ㄘㄟを除く)[br]

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合口(ㄨㄚㄨㄞㄨㄤを除く)のみで斉歯撮口がない。これを逆にいえば開口音合口音[br]
は唇舌尖舌根翹舌尖舌葉の諸音にわたるが舌面音を持たず(唇音の[br]
合口はㄨのみ)、斉歯音は唇(ㄈを除く)舌尖舌面の諸音にわたるが舌[br]
根翹舌尖舌葉の諸音を持たず、撮口音は舌尖(ㄉㄊを除く)舌面の二[br]
音だけでその他を持たぬ。そしてㄝㄧㄛㄧㄞとはただこのままで用いられる[br]
だけで子音と複合せず、ㄛとㄜとが重複して現れる子音はㄇとㄌだけで[br]
あるが、ㄇㄜとㄌㄛとは極めて軽い発音にとどまり、ㄛについては唇音、ㄜについて[br]
は舌尖舌根翹舌尖舌葉が現れる。これを要するにすべての母音の前[br]
に現れる子音もなければ、すべての子音の後に現れる母音もない デンツェルカー氏現代支那語化学[br]
四六頁 ということ、そうして配分されたものが相当均整のとれた格好をなしてい[br]
ることとは、この言語がここに達するまで、多くの同化作用が営まれたことを想[br]
像せしめるに足る。少なくとも舌根と舌面の二音は互いに相補うべきもの[br]
で、元来は同じ子音であったのが、母音の性質により、開口およびㄨの如き[wr]後[br]

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部母音[/wr]には調音点が後退して舌根部に落ちつき、ㄧㄩの如き前部母音[br]
には調音点が前進して舌面部に落ちついたことを意味している。さらにㄨ[br]
ㄣㄨㄥの如き前に子音を持たぬ場合はㄨが半母音化してWとなるが、舌尖舌根[br]
翹舌尖舌葉諸音と結合するときは、むしろㄣㄥの(ㄜ)が脱落してほとんど[br]
un・uŋが如き音となるが、これも[br]
一音節の間における運動の省約による者に相違ない。[br][brm]
かくして標準語は四百十一種ないしこれに遠からぬ音節を持つものであって、これを[br]
記載するために案出された注音符号は、純音素たるべき十五種の子音と七種[br]
の母音のほか、子音では有気音を加えてすべて二十一種、母音では複合母音の[br]
中の四種とnŋrを伴うもの五種とを加えてすべて十六種、合わせて三十七個の[br]
符号について、その単用ないし組み合わせをもって一切の音を写そうとするので[br]
ある。なおその組み合わせについては子音+母音の場合と、両者の間にㄧㄨ[br]
ㄩを挟む場合とがあり、すなわち三つの符号を組みあわすには必ずその中間[br]

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がㄧㄨㄩになり、また三つ以上の組み合わせというものは存在しない。もし複[br]
合母音がㄞㄟㄠㄡの記号を特別に作らないとしたら、記号には必ず四つを要す[br]
るものが生じたわけで、複合母音記号設定の必要性はむしろこの点に認め[br]
られる。のみならず、注音符号の前身たる王照の官話合声字母は組み合[br]
わせを二つまでに限ったことを前に述べたが、これはㄧㄨㄩをもって子音に併合したもの[br]
で、その方法で喉音十二に対し音母五十を要したのはそのためである。王照はこの方[br]
法をもって普及に便なりとしたのであるが、さらに一歩進めて考えるならば、かくの如き[br]
音節組織においては、音節の数がきまっていて動かない以上、さらに直接に一つ[br]
の記号をもって音節を代表させることのできるようなものを考案する余地があろ[br]
うと思う。つまり現在の三綴式は西洋のアルファベットの観念に近く、音素に[br]
分解する方向を取ったものであるが、もし将来単綴式ができるとすれば、やがて[br]
日本の仮名に接近するのであって、呉稚暉が仮名をもって世界におけるもっとも優れ[br]
た記音法と称したところに、この国の改革者たちが意図しつつある方向の一端が[br]

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推察されよう。[br][brm]
もっとも現在の注音符号は単に音節を示す方向のみを取ったのでないことは、その精神[br]
として旧来の音韻学における反切ないし四等の観念を採用したことによっても知られ[br]
る。反切とは前にも述べるように二音節をつめて一音節とする方法で、当然その中間[br]
における若干の音韻が脱落するものであるが、注音符号の組み合わせにおいても実はiauと[br]
いうべき音をㄧㄠで表し、iouというべき音をㄧㄡで表し、iænというべき音を[br]
ㄧㄢで表し、inというべき音をㄧㄅで表し、iŋというべき音をㄧㄥで表し、さらにɿunというべき音をㄌㄨㄅで表[br]
したりしたような実例は、それぞれその中間にある母音を不完全に発しもしくはほとんど脱落[br]
せしめたものである。反切の現象が中国語として当然なりと考えられるかぎり、一音節の音[br]
韻を二個以上の音素的記号によって示そうとするために、この方向を選ぶことはむしろ当然な道とい[br]
えるのである。しかも、こうした母音の萎縮ないし中間音の発生は単に二個以上の音[br]
素的記号の結合の際に起こるのみならず、普通に単母音と称せられ、一個の音素記号た[br]
るㄚㄛㄜㄝㄧㄨㄩの間にさえ認められる。先にも注意したようにㄛとㄜとが同[br]

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じ子音に関しては原則として両立しておらない、というのは舌尖舌根等の如き子音[br]
においてはㄜの母音が存在するが唇音ではㄜが接続できない。なぜならば唇音はすべ[br]
て一応ㄨを伴うもので、実はㄅㄧㄆㄨㄇㄨㄈㄨが主体となり、開口音も斉歯音もた[br]
とえばㄅㄚはㄅ(ㄨ)ㄚであり、ㄅㄧはㄅ(ㄨ)ㄧであったのである。したがってㄅㄛとあるのも、実[br]
はㄅㄨㄛのㄨを省いたものとみるべきであり、すなわちㄉㄨㄛ ㄍㄨㄛ ㄓㄨㄜ ㄗㄨㄛの系列[br]
に一岐せしめねばならず、正しくいえば唇音には開口のまま発音されるものがないからである。[br]
してみればㄨㄛの一部分であるㄛは当然円唇でなければならず、不円唇たるㄜとは[br]
同列に立ちがたいわけである。最初にこの符号を設定したときは、簡便を旨として、その[br]
どちらもㄛをもって表し、もとより二種の音価を与えていたのであり、実用的には子音[br]
の結合しかたが違うから紛れる心配はないと称していた。ことに、後部に近い母音はㄨ[br]
ㄛの如く唇を円くすることが自然であるのに、ㄜは唇を円くさせぬために不自然な[br]
音であること、あたかも前部に近い母音はㄧの如く唇を円くせぬことが自然であるのに、[br]
ㄩは円唇として不自然であるのと同様で、そのため地方によってはㄩの音が[wr]全然発[br]

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音[/wr]できずに雨余雲捲月姢姢の七字をすべてㄧの母音で読むように、若干の地方[br]
ではㄜの音が出ないで、すべてㄛに帰していたことにもより、全国民に一応発音で[br]
きるようにという当時の目標からいっても、同じ符号を用いようとしたのであるが、[br]
理論的にいって音価の違うものを同じ符号で表すことが結局無理な上に、[br]
或いはㄛをすべて後のㄜと同じに誤読するものもあって、ついに民国九年の大会において[br]
別にㄜにあたる符号を設くべしという議案が提出され、多数によって可決され[br]
たのであるが、ただすでに三十九の字母を頒行した後のこととて、別に新字母を作る[br]
ことは不便だというわけで、ㄛの上に・を加えて○〔タイピスト注:ㄛの上に・〕とすることにきまり、さらに字母に[br]
対し符号を加えることは字母の成立の主旨から見ても面白くないというわけで、民国[br]
十一年に至り、これをㄜに改めた次第である。これによっても知られるとおり、ㄛの母[br]
音が単用されるのはただ感嘆詞として用いられるだけで、直接にはㄌㄛの如き多少無[br]
理な組みあわせを除いて、子音に接することがない。結局はただㄨㄛという用途[br]
があるに過ぎない。ㄝの母音も感嘆詞として単用されるほかには、[br]