講義名: 中国語学概論 序説の一 中国語学の立ち場
時期: 昭和22年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ
国語と国文との緊密不可分なる連繋にちなんで、多数の先覚者が心血を注いで、ある[br]
いは実践に、あるいは研究に、非常な努力を費やした。そして漢字の注音問題はついに言語[br]
の表記に発展し、各地における歌謡の調査は方言の研究にまでこの結果を拡充し[br]
た。あたかも当時アメリカ及びフランスにそれぞれ留学して言語学を修めた趙元任、[br]
劉復の両氏がほぼ時を同じくして清華大学および北京大学に拠ってこの学問を奨励[br]
したため、新しき言語学の風潮はようやくこの国の若い学徒の胸を動かし、すでに羅常培、[br]
李方桂の如き新進の学者が押しも押されぬ地歩を占めている。しかしこれらの人たちは慎[br]
重を期してであろうか、中国語の概論というべきものには筆を染めない、たとえ言語学は[br]
論じてもその引用するところのデータはほとんど諸外国のそれであって、中国語に対する最小限[br]
の反省すらも今日のところ一部の書物としては公にされていない。ただ王力初の中国語文概論のみがいささかこれに近い。この点はわが国語学の今[br]
日までの業績に比し、さらにわが国の言語学者がその所論を進めるのにわが国語の事[br]
例を十二分に駆使しているに比し、むしろ奇怪にさえ感ぜられる。しかしそこにはわが国と中[br]
国との西洋学術消化の歴史も考えねばならぬことであり、ことには中国の如き厖大なる[wr]国[br]
土[/wr]における言語の抽象を考えることは、たとえ本国人にとっても決して容易なことではなく、[br]
まずその実態の調査に没頭することは、むしろ自然であり、学問に対して忠実なものとさ[br]
え感ぜられる。われわれがこれに対して不満を訴えるよりもまずもってその努力に敬意を表し、[br]
それらの人たちが逐次にあげつつある業績に対し、不断の注意を怠らず、またこれを[br]
消化し得るだけの努力を続けていかなければならない。[br][brm]
一方前に述べたスエーデンのカールグレン教授は、ある意味においてわれわれと同様な外国語[br]
学としての立場を取っておるため、その所論には傾聴すべき点が多く、ことに方法論的に学[br]
ぶべき点に富んでいる。教授の最大の業績たるÉtudes dur la phonologie chinoi[br]
se 中国音韻学研究 の如きすでに趙元任、羅常培、李方桂三氏の共訳のもとに民国二十九年商務印書館[br]
から出版されているし、むしろ紹介的な作ではあるが、たとえばSound & Symbol in Chine[br]
se 中国語與中国文 の如き張世禄氏によって商務印書館の百科小叢書の一として翻訳され、そのPhilology[br]
ane Ancient China 中国語言学研究 の如き賀昌羣氏によって国学小叢書の一として翻訳され、わが国[br]
においても早くも昭和の初期に故高畑彦次郎博士が芸文に二十三面にわたって連載された[br]
支那語の言語的研究の根拠として随処に紹介され、後に東方学報京都第五册に支那[br]
言語学序説を発表されたときも昭和九年同じくこれらの業績が中心として紹介されている。さら[br]
に昭和十二年に至って岩村忍、魚坂善雄両氏の努力によって前述二部の論文とあわせてThe [br]
Romanization of Chineseをも支那言語学概論なる総名をもって文求堂より翻訳出版[br]
されるに至った。なかんずく中国音韻学研究は専門家もなお容易に理解しがたき特殊研究[br]
であるが、その他はやはり一種の中国語学概論と認めてよいもので、一般の読み物としても恰好[br]
であるといえる。ただしその性質上当然のことではあるが、中国のこと特にその文字すらも全[br]
然見知らぬ北欧あたりの人たちを目標として書かれたものであるため、いわば西洋人として一種[br]
の驚きを示し、また西洋人の異質文化に対する注意を惹くことに努めてあって、わが国[br]
の如く相当密接な関係に立って、ある程度の常識がほとんど何人にも具わっているような国[br]
のものにとってはかなり不必要な記載が多く、まずこれを西洋人の立場において読むことが望[br]
ましい。しかしわれわれがあまりにも親しき漢字問題などにつき灯台もと暗きあたりを照ら[br]
してもらっていることは、真に他山の石と言うに恥じない。ことに注意すべきは純然たる[wr]言語学的方[br]
法論[/wr]によって進み、また進むべき著者がしばしば中国の小学に関する業績に注意し、そ[br]
れらの記録を現代の学者にとっては非常に貴重なものであると述べており、方法こそ精密を加[br]
え、結論はむしろ賛同しがたき面もあるが、On the Authenticity and Nature of the [br]
Tso Chuan, Shï King Researchesの如き、むしろ支那学の畑にまで鍬を入れている[br]
ことは、われわれとしていたく反省すべきであり、新しき方法論の摂取とともに古人の業績にたい[br]
する尊重を失わないようにみずから戒めねばならない。[br][brm]
これら両方面を通じて最も痛切に叫ばれていることは、やはり中国語の記述的方面の研究が[br]
不完全であり、特にこの厖大なる地域に布かれている方言研究が極めて幼稚な状態にあ[br]
ることと、歴史的方面として特に音韻史の問題がなお未開拓のままであることとである。方言[br]
研究が幼稚であることは一面音韻史を明らかにするも途を障ぐものとして極めて遺憾とされ[br]
ることで、趙元任氏等が呉語において挙げ来った如き成績を今後も一層数多くまたで[br]
きるだけ早く成し遂げることを除いては、この学問の真の発達は望みがたい。つまり極力この方面[br]
の正確なるデータを集めることであり、これには実地の研究も必要でありまた機械による実験も[br]
ゆるがせにすることはできない。では、こうして具体的なデータを集めるというしごとが、最初に述べ[br]
た抽象、ことに中国語としての抽象といかにして関連し、またそれがいかにして抽象になり得る[br]
かといえば、真の抽象とは幾多の具体的なるものについてその選択を厳にし、曖昧なるものを[br]
払いのけることである以上、こういうデータを正確にすることが、ただちに抽象への道であることは疑い[br]
ないと思う。かくしてこの学問の成長発達が期待されるとき、一面は一般言語学にたいし重[br]
要なる示唆を与え、従来はとかく印欧言語学をもって一般言語学と誤認してきたことの欠[br]
陥を是正し、すなわち一般言語学の完整を岐すべき力ともなってゆくであろうし、一面は一般[br]
支那学における重大なる欠陥を填めて言語が文学的思想の根底となっているゆえんを[br]
闡明することにもなり、学会全般の水準を高めることができることと考える。われわれの中[br]
国語学はかかる立場のもとにそれぞれの学風を調和しつつ発足(?)し邁進することが何より[br]
希わしいことと思う。[br][brm]
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序説の二 中国語の特質[br]
中国語は世界人類の言語系統でいうならばチベット支那語族の一つで、さらにこれを分ければ[br]
支那チベット語族の四つの分派、すなわちチベットビルマ語と支那語タイ語苗猺語の一つに数えられるも[br]
のといわれている。もし中国語をもってかような分類にあてはめようとするならば、必ずその特質[br]
を抽象しておくことが必要であり、その特質の抽象がない限り、かような分類というものは意味を[br]
なさないといえる。では、どういう特質があるかといえば、第一は単音的monosyllabicであ[br]
ること第二は孤立的isolatingであるというのが比較的多くの人たちにも承認された説である。このことについて[br]
今日われわれの知り得るかぎりの中国語において、地理的にも歴史的にもこれを否定すべき材料[br]
がなく、また一方ではこういう特質はこの言語以外には認められないとしたら、まずもってこの二つを中[br]
国語の特質と考えねばならないわけで、吟味はこの両方面に向かって向けられねばならない。[br][brm]
第一の単音的ということについて私はこの民族をもって一つの音節ごとに一つの概念を吐き出すものと称[br]
している。たとえば国語ならばヒトというところをㄖㄅˊといい、イヌというところをㄍㄡˇといい、ヤ[br]
マというところをㄕㄢ¯という。これがもっとも自然な言葉をなし、耳できいてもその方言区域な[br]
らば何人にも理解される。これが英語になるとmanやdogは一音節であろうが、mountain[br]
は一音節ではない。しかるにこの簡単明瞭なるべきことにたいして、議論が行われている。それ[br]
はたとえば王力氏の中国語文概論の説で 一頁 中国語は単音だといえるとすれば、それは一[br]
字一音を指していうのであって、いかにも中国の文字は一字で一つのシラブル以上の物はない。[br]
しかし、単音ということを一詞一音と解して、中国語の詞は全て単音詞であると称した[br]
のでは事実に合わない。もとより中国語の詞は単音であり得るが、同時に二つ以上のシラブ[br]
ル、たとえば大夫、夫人、葡萄、葫蘆のような二音節以上のものもある。上古の中国語[br]
から見ると単音の詞はまだ多数を占めていたようであるが、現代に近づけば近づくほど[br]
複音詞が多くなっている。われわれの注意すべきことは一つの字が必ずしも一つの詞を代表[br]
することができず、一つの詞も必ずしも一つの字のみをもって代表できないことである。しかるに[br]
一般の言語学者が中国語を単音節とするのは文字によって起こった誤解で、もっぱら[br]
言語そのものに就いていうときは、せいぜいが単音詞の優勢な言語であるということしか[br]
いえないしこれが王力氏の反対論である。カールグレン氏も多少は例外を認めるが、それ[br]
はほとんど問題にならないほど少数であって、一般に単純詞は一音節からなり、二音節以上[br]
のものは複合詞だと認めた。そして逆に中国語では二音節または複音節の語幹はstern wordsを持たないと断定している。ここに複合詞というのは二つ以上から成っていて、その[br]
各部分はそれぞれ一つの独立した詞として立つことができるもので、中国語ではその数が非[br]
常に多い。そこでこの二つの見解を論定しようとするには、結局王力氏のあげた大夫、夫[br]
人、葡萄、葫蘆などが二音節の単詞として、この原則を覆すに足るものであるか、[br]
またそれは複合詞という名で片付けられるものかということを吟味しなければならない。[br]
大夫とか夫人とかはいずれも称号であって、大夫はつまり一般人民すなわち夫に比べて大き[br]
いものであるから、夫の大なるもので二つの詞を複合しているし、夫人の語源については定説[br]
がないが、君の徳を扶ける人だという説をとるとすれば、扶ける人でこれも二つの詞を複合[br]
している。王力の例ではないが、医者というときの大夫なり、暇という時の工夫なりを例にす[br]
るとしても大夫はさきの官名としての大夫の転じたものであり、工夫はは[br]
じめ工程と夫役とを兼ねて工事のことをいったのであるが、後に大工に手間のかかるように手[br]
間のかかること、手間どること、時間がかかること、時間、ひまというように転じてきたもの[br]
であり、これまた二つの詞を結合したものであることがわかる。さらに葡萄のごときに至って[br]
は、どの道外国語からの音訳であり、一節にギリシア語のBÓtrysの転訛であるといわれ[br]
る、元来、史記にも西域の大宛では葡萄でお酒を醸し、金持ちは酒を一万石あまり[br]
も貯えて十数年を経ても腐敗せず、張騫が西域に使してその種子を得てかえったとあ[br]
るが、葡萄の原産地は裏海の南岸でシリアから小アジアを経てヨーロッパに伝わ[br]
るとともに東はフェルガナを経て中国に伝わったという 呉藹辰新彊紀遊 。し[br]
てみればどこから見ても外国語で、これを例にあげること自体がおかしいのである。む[br]
しろ中国語でないからこそ二音節だということにもなる。もっとも必ずしも外国名とはい[br]
えない動植物名に二音節のものが多いことは事実で、葫蘆の如きもどこのものと[br]
も分からないが、二音節である。ただこれも一音節につめると壺になるということは顧炎[br]
武の音論に述べてある。こうしてみると、非一音節論の証拠はむしろ極めて薄弱になる[br]
のみか、たとえばわが国語でウメというのは梅が二音節となり、ウマというのは馬が二音節と[br]
なり、ムギというのは麦が二音節となり、ゼニというのは銭が二音節になったのだとすれば、[br]