講義名: 中国語学概論 序説の一 中国語学の立ち場
時期: 昭和22年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ
は二様の変化が考えられる。すなわち我想を一つの単位、你打定を一つの単位とすれば、我[br]
と你が陽平となり、想と打とが賞半となる。しかるに我想你打定を一つの単位とし、[br]
はじめから打の字が頭に出てくると、それまでの我想你の三字がすべて陽平になってしま[br]
う。文法からいえば、勿論、「我打」でもなく、「我想打」でもないのであるが、語音からいえ[br]
ば、我打-想打-你打という心理であるため、こうなったわけである--というのが趙氏[br]
の説明である。今この説明を理工学研究室における実験によって証明するに、上声[br]
と上声とが連続する場合、たとえば趕緊、展覧、瑪瑙、保険、旅館、満臉、粉筆の如きものはその曲線を[br]
結んでみると楊柳の如き陽平と上声とを組み合わした曲線とほとんど選ぶところが[br]
ない。したがってこれまで多くの人がその経験によって直覚していた陽平に変ずるという説[br]
は、まさしく機械によって実証されたわけである。では、なぜこういう現象が起こるか[br]
というに、北京語におけるような上声を二つ重ねて発音することは、非常に低い音を続け[br]
て発するという労力を要し、どうしても高い音をまじえたくなる。その高い音の中で弯[br]
曲の気持ちがもっとも上声の型に近いのが陽平であるため、そのまま陽平の中[br]
に同化されてしまったと私は考える。したがって同じ実験で你有工夫麽の「你有」の型[br]
と没有工夫の「没有」の型とはほとんど同じい。ただし你有工夫麽のときは工夫の方[br]
に重みがあり没有工夫のときは没有の方に重みがあるため、没有の方が你有に[br]
比べていささか拡大されている。また所以の場合に終のカーヴがやや急になったり了[br]
解の場合にややゆるくなったりするのは、皆第一音節に重点があるからである。す[br]
べて上声が他の声調の後に来たときは極めて軽い場合を除き、上声特長の型を存し[br]
ているが、上声が他の声調の後に来ると、たとえば祖宗、美国、本事の如く、[br]
上声の起点からほとんど平に進んで、いきなり高い音に接する。ただこれも語彙[br]
およびそれぞれの発音方法によって、たとえば点灯、馬車、旅行、主人、礼拝、種類[br]
のようになお彎曲のはっきりしたものもあり、祖宗などにしてもゆっくり発音すれば点[br]
灯と選ぶところがないわけである。したがって論語の一則以喜の「以」と次の一則以懼の[br]
「以」とは、前者は陽平の型になり後者は一則の高さからさがる勢いがついて、わずか[br]
に踏みとどまった形になり、ちょうど明児早晨の早がさがるのと同じ関係になる[br]
ので、非常に変わった形になる。さらに老北京の如く最後に陰平の来るときは老は陽[br]
平、北は賞半となるし、上声のみを連ねた洗臉水や海口米はいずれも陽平陽平[br]
上声となるが、特に洗臉水の場合はほとんど陰平といってもよいくらいに見える。もっとも可[br]
以走になると、以が弱いため陽平やや低い去声上声の型になる。また豈有此理や你老[br]
打我では第一と第三とが陽平で第二は賞半、第四のみが上声になっているし、彼此[br]
想想などになると、最後の想が去の低い型になって切りさげられる。これについて趙氏は[br]
想想を詳像と音注しているが、その像はずっと低いところから始まる。また趙氏は想襄[br]
ということもあると称する。これらは次にいう軽声の場合である。[br][brm]
軽声とは一つの詞の中である音節が軽く読まれて、その固有の声調を失うもののことで、[br]
その逆である重念ではただ声調の範囲を拡大するだけで、その性質が変わらないに反[br]
し、極めて重要な影響を及ぼすという意味で注意される、これについて趙氏は軽声[br]
には中高低三種の読みかたがあり、(一)陰+軽=高+中で陰+去の如く、(二)陽+軽=[br]
昇+中で陽+去の如く、(三)賞+軽=低+高で賞+陰、(四)去+軽=降+低で[br]
去+(低)南京天津の陰平になるという。(一)の例では先生の生を趙氏は勝と注しているが、[br]
実験の結果はずっと低く切り落とした型になる。(二)の例の朋友の友も趙氏は右と[br]
注しているが、実験の結果はやはり朋の音の頂点から放物線になってさがっている。(三)では趙氏の[br]
あげた例はまだ実験してないが、枕頭の如きもとより頭は枕より高いが、さりとて陰[br]
平のようには高くならず、また少しくさがろうとする。(四)の例もまだ実験していないが、[br]
太陽の如き去声のさがり切ろうとするあたりに多少の波瀾を添えてさがっている。要す[br]
るにその前の声調の終わろうとする方向に沿うてさがるが、もし終わろうとする方向が上向きのときはこれに沿うて少しくあがっ[br]
てすぐさがるということになる。趙氏はさらに三音節ないし四音節で第二音節以下が[br]
すべて軽声のときをあげて(一)と(二)と(四)とにさらに軽声の添わったときは張先 線 生 (低) [br]
や王先 線 生 (低) や趙先 (低) 生 (低) のように低い音が加わることになり、(三)に軽声の添わ[br]
ったときは走出 (如字) 去 (如字) の如くあがった音がさがり、これにさらに軽声が加わると魯[br]
先 (如字) 生 勝 的 (低) や打扮 班 打 大 扮 (低)のようになるというのは、いずれも多少の修[br]
正を加えることによって是認される。こういう規則によって、たとえば陽平の如くのぼ[br]
りつめたもの、去声の如くさがりつめたものでは、その後はさがるかさらにさがるかよりほか[br]
に行く道がないので、後の声調は元来何であっても結局同じで、房間も衙門も[br]
朋友も名字もほとんど同型となり、太陽も道理も性命もほとんど同型とな[br]
ってしまうのである。おそらく陰平上声も適当な例えさえ見出せば同じような[br]
ことがいえると思う。[br][brm]
さらに重要なことは軽声になると、往々にして読音の変化がおこることで、たとえば[br]
李家が李 街 となり黒下が黒 謝 となり、綿花が綿貨となり笑話が笑 貨 [br]
となり、回来が回 累 となり脳袋が脳 ㄉㄟ となり、語助詞の韻母がㄜになって罷[br]
了がㄅㄜ勒になる。すなわちiaがieとなり、uaがuoとなり、aiがeiとなるように、a[br]
の母音がeまたはoに変わり、すなわち降より半降ないし半昇に移るものである。[br][brm]
次にそれはいかなるときに軽く読まれるかという問題が残る。これについても趙[br]
氏は規則のあるときとなりときとに分け、規則のあるものとしては(一)語助詞-阿、[br]
罷、的、得、着、了、咯、嘍、嗎、末、呐、(二)虚字の歌尾-這個、什末、但是、[br]
後頭、裏頭、我們、(三)方位を示す補助動詞-回来、拿回来、丟掉、[br]
低下来、走出去、(四)方位を示す後置詞-娑発上、銀行裏(ただし、[br]
門外のようにはっきり外ということを示すときは別である)、(五)目的格として用いた代名[br]
詞-你要嫁他、一直沒看見你、他不會看見偺們倆(ただし、你愛[br]
他のようにはっきり他ということを示すときは別である)。(六)要不要の如き句で不の[br]
不の後に来る動詞-我愛你不愛你?をあげ、ただ規則の中にもっとも重[br]
要なものにすぎないと称している。規則のないものについては、規則はないが読みそ[br]
こなってならないものには、二音節または三音節の詞で、第二音節または第二第三[br]
音節を必ず軽くいわねばおかしいものがある。これも完全に筋の立たないわけでは[br]
なくて、大体をいえば資格の古い言葉はいつも軽い音を含んでいるし、資格の新[br]
しい言葉(新名詞)になると、大体単字どおり平均した形で読む。ただしこれにも例[br]
外が多く、実際の方法としては、注意して聞いたり、軽重をつけた詞典をしらべ[br]
たりすることである。といって張媽、太太、地方、明白、正経、事情、晩上、丈夫、[br]
先生、把戯、東西、願意、打美、照応、快活、好些略好のこと規矩、衣裳、[br]
朋友、生活、拳頭をその例とし、逆にそうでないものとして現在、事實、高興、[br]
發生、礼拝、簡直、要緊、本來、好些許多のこと外套、交際、攏總、賛成、[br]
手鎗をあげている。[br][brm]
趙氏のこの附録に書かれたことは、中国語全体の問題として、さきに引いた中国字調[br]
跟語調のneutral intonationの項に理論的にまとめてあるが、これよりさき後覚[br]
の名によって民国十五年上海中華書局から出た国語声調研究国語小叢書の一も[br]
ほぼ同様に声調を音調詞調語調の三種に分かち、その詞調の項にこのことを論じて[br]
いるが、その中に「軽音とは四声以外の一種特殊な腔調で、実は極めて弱い音に[br]
過ぎず、その長短は短音-入声の如き-と類して、それだけの強さはない」と定義[br]
しているのが、もっとも早くこのことに注意した文献の一つと考えられるが、それにも「一つの[br]
詞の頭の音は大抵強く、軽音は大体末にある、ただある詞の軽音は一定しており、[br]
あるものは浮動している、たとえば現在、将来の在と来とは軽音に読む人もあり[br]
現将と同じ重さに読む人もある」と述べている。この問題は要するに二字の熟語[br]
というものが詞の中心になっている今日、その二字が本当に熟してしまっているか、そ[br]
れとも熟未熟の間にあるかということが問題の分かれめであって、本当に熟し[br]
てしまって元来の成分に対する反省が不必要になった場合には、元来の成分から[br]
理論的にいえば、たとえば太陽の如く陽が重要な概念であるにも拘らず、これ[br]
を無視して太を重く読む、すなわち第一音節の重読という定理にはまってしま[br]
う、これを趙氏は「資格が古い」と称した。逆にいえば第一音節の重読され[br]
たものが本当の熟語であり詞であって、そうでないものあるいはそうでもありそうでも[br]
ないものは、まだ熟語ないし詞の位置を確保するだけの歴史を持たないものと[br]
いうことができる。ここに問題となった「現在」の如き趙氏は在を軽読せぬものの[br]
中に加えているというような矛盾が発生するのも、この道理から考えて当然なこ[br]
とといえる。かかる重読のことを古くから重念と呼ばれ、語調の場合と合わ[br]
せてとりあつかわれたものであるが官話指南少なくとも詞調においては軽音の指定[br]
できるものは指定するという方が取りあつかいに便であり、さらにその純粋の軽音[br]
でないものでも、相互に多少の軽重がある場合を考えて、2 1 0の如き記号を[br]
用いるやりかたもある。中国辞典編纂処の国語辞典は軽音だけを示してい[br]
るが、天理外語の鳥居教授が編纂中の軽声詞典は後者の例に従って進[br]
行中である。[br][brm]
なおほかにもCarl ArendtのHandbuck der nordchinesischen Umgangssprache [br]
1894 以来西洋人の間にも重読のことが討論され、また張廷彦先生の華語捷径にも重[br]
念の規則が考えられているので、上述の諸家と合わせて二三の記録を止めておく。たと[br]
えばアレントのあげた(一)哥哥の如き重複名詞の第一音節重読はつまり完全な熟語になった場[br]
合である。ただし張先生は年年 月月 人人 事事の如く数え立てる心持ちのときは第二音節重読の例に入れておられる。(二)快快の如き重読形容詞の第二音節重読について後覚はこれを軽読のないものといい、趙[br]
氏は偏偏児、常常昌児、好好蒿児、慢慢媽児をあげて第二字はいつも陰平にな[br]
ると論じている。(三)擬声詞、咯噹哈哈の如きは後の音も重要であるし、(四)[br]
三音節の名詞で寒暑表の如き構造では第一第三、特に第三音節を重読[br]
するといっているが、後覚は桃花や荷花で花が軽音であるのに苟薬花や玫[br]
瑰花では薬と瑰とが軽音で、後は同じといい、なお丈母娘や哈吧狗の如き詞で[br]
も母と吧が軽音である例をあげている。特に丈母娘の如きは母がㄇㄨでなくしてㄇ[br]
の音になってしまうことも注意している。(五)基数数詞+名詞、二人の如きものでは[br]
名詞が重読され、序数数詞+名詞、二月の如きものでは数詞が重読される、[br]
これも後者は月がもはや問題から外れているからに相違ない。(六)動詞の後に[br]
来る目的語、寫字や説話の字 話を重読することは、完全に詞をなさない場[br]
合で、もし抱怨のような形がさらに目的語を取ればその怨は重読にならないと思う。[br]
(七)相補的複合詞は第二音節を重読するという、その例の筆墨、東西はたし[br]
かに対立的である。(八)東西を品物というように比喩的に用うると逆になるというが、[br]
これは明らかに成熟している。(九)道路や朋友のように同義語のときの第一[br]
音節重読は、つまり哥哥の場合の延長である。(十)不変詞すなわち補助詞 [br]
前置詞は重読されないこともとよりであり(十一)接尾詞、孩子 妻子の子も[wr]重[br]