講義名: 中国語学概論 序説の一 中国語学の立ち場
時期: 昭和22年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ

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読[/wr]されない。(十二)二音節の固有名詞で第二音節が重読されるのは、一つ一つの[br]
文字として生きているからである。ただし張先生は曹操だけは曹を重読されるといわれる。(十三)修飾詞と被修飾詞との関係は規則が[br]
立たないというが、張先生は花名 瓜名 菜[br]
名および互いに比較する意味のときは形容詞が重く、その他は名詞が重いといわれる、つまり名詞が形容詞と分離した心もちである。これらの規則は、一見[br]
極めて煩瑣のようであるが、結局は単音節として独立しまたは対立した心もちであ[br]
るが、あるいは前の音節に密接してその音節の附帯的な意味になるほどになった[br]
ものかというだけのことで、一つ一つの音節が独立していてしかもある相当の関[br]
係に立つものは、言語共通の法則によって後に重点があるわけであるから、これを[br]
第二音節重読と考えるのであり、しからざる場合、つまり成熟した二音節詞は[br]
必ず第一音節が重読される。否、第二音節は第一音節に吸収され無視さ[br]
れたと考えてよいわけである。曹操の曹が重いという如き、演義三国志の勢[br]
力によるものと考えることができて、歴史の力がいかに言語に働きかけるかを知[br]

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る大切なまた面白い実例であると思う。なおKarlgren氏にもA Mandarin [br]
Phonetic Reader in the Pekinese Dialect 1918の解説として声調 語勢 音[br]
長の三項に分けて相当詳細な研究を出しているが、このやりかたはもっぱら耳にたよるものと[br]
してはあまりに繁瑣であり、一方実験的なバックを持たないため、ここではしばらく触れず、[br]
むしろ東京における実験の進捗を待って徹底的整理を加うべきものと信ず[br]
る。[br][brm]
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第五節 標準語の語法[br]
いかなる言語の研究においても語法ないし文法論はそのもっとも複雑にして興味ある題目であ[br]
るが、中国の語法研究は久しく顧みられなかった。もっとも清初の劉淇の助字弁略や[br]
中季の王引之の経伝釈詞の如き一つの文法学のテーマには相違なかったが、これは要するに[br]
古典における助字の研究であって、ただちに古典の文法を解いたものではなかった。当時古典[br]
を教養としてあつかう範囲において古典における文字組み合わせの法則、新しいことばでい[br]
えば語序の問題は、古典文法がそのまま当時の実用文法と認められていたため、ちょうど[br]
本国人が現代国語の語法を必要とすることなしに現代国語を操ることができるように、古[br]
典文法を強いて学ぶことなしに実用文を書くことができたということで、必ずこれを研究せね[br]
ばならないという意欲を誘う力がなかったのであるが、古典の助字は特に実字に比して音通[br]
その他の差異が著しく、これを系統的に研究整理することが古典学の交流に比例し[br]
て緊要と認められたのである。そのためあれだけ一時の盛を極めた音韻学の業績を前[br]
にして文法学というものはついに発達しなかった。その原因としては中国語が他の系統の言語か[br]

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ら隔絶されて、互いに比較すべき機縁を持たなかったからである。それが一方では外国人の中[br]
国訪来によって、それぞれの外国人のための中国語文法が作られたこと、一方では中国の学者[br]
が外国語を学びその言語の語法を修めることによって、退いて自国の文法に思いを潜め[br]
るようになったのは、もはや清朝も末期の頃であったが、前者の代表として今も利用される[br]
のは Edkins:A Grammar of the Chinese colloquial language, commonly [br]
called the Mandarian dialect 1864 Shanghai であり、後者の代表として有[br]
名なのは馬建忠の馬氏文通である。前者の系統はしばらくおくとして、後者の代表として[br]
の地位は久しく馬氏文通に握られていたことは、近年まで馬氏文通刊誤などの書物が作ら[br]
れたことで分かるが、馬氏の努力は要するにラテン文法の翻案にかけられていた。その努力の[br]
あまり不必要な分類や不自然な模倣が相当に認められ、ことにその対象が語法的構[br]
造の比較的ゆるやかな古典にあったため、そういう欠点を誘い出す危険が元来はらま[br]
れていたのであった。王力氏もいう如く『ある言語の研究は他の言語との比較によって共通点を[br]
見出すのが困難なのではなくて、その言語の中から世界の他の言語との相違点を見出すの[br]

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が困難なのである。他人の家にあるものを、わが家に帰ってみて探したとき、本来はあってもなくてもよ[br]
いわけであるが、注意すべきことは竹夫人を紙屑籠と思いちがえないこと、もっと注意すべきことは[br]
人の家にないものがわが家にないとは限らない、西洋に竹夫人からといってわが家の竹[br]
夫人の存在をないがしろにしてはならない』ことである。 中国文法学初探、比較語言与中国文法。 一方、文学改革と国[br]
語統一の問題は口語ことに標準語の語法に関する研究を促し、黎錦煕氏の新著国[br]
語文法 民国十三年初版、二十一年改定 および比較文法 民国廿二年 がその方面の決定版として認められたのであ[br]
るが、黎氏が極力提唱したのは「句本位」の文法とこれに伴う図解法によって、まず一歩一歩[br]
句の自然発展の跡を踏んで、文法をおさめる道としてゆく、まず句を綜合的に理解してからさらに[br]
詞類を分析する、つまり詞類の区分は句の中の作用によって決定しようということである。しか[br]
し『実際上いろいろ議論が発生したのはむしろ詞類の分析とそれに対する術語の問[br]
題(classification of words & terminology)であって、中国語の詞はいくつに分けるべき[br]
か、「所」の字は代詞に入れてよいかどうか、「出」「入」「居」「住」などは関係内動詞といってよいかど[br]
うか、「有」「在」などは同動詞と認めてよいかどうか、というような語法としては上っつらの問題に[br]

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語法学の興味がむけられた。勿論これにも道理はあって、分類が妥当であれば語法も条理が[br]
立つし、術語が謹敬であれば観念も明晰になろうが、これは著書としての巧みさ、議論としての[br]
細かさであって、この言語の組み立ての特徴はつかめない。語法は要するにその言語の法則で[br]
あるから、主要なる部分はその組みたての方式にあるのであって、人がその部分に対して何という[br]
名称を与えるかをいうことではないのである。組み立ての方式とはたとえば英語では三人称単数[br]
の所有格代名詞が所有されるものの性の数によって形式を異にせず、もっぱら所有するものの性に[br]
よって his, her, its となるに反し、フランス語では所有するものの性によって形式を異にせず、[br]
もっぱら所有されるものの性や数によって son, sa, ses となるように、習慣できまって討論の[br]
余地のないことでなければならない。すなわち中国語においてかような方式を見出すことが中国語法[br]
学そのものである。したがって本国人にとって平凡極まることも、もし某外国語として扱うときにそれ加なわば、[br]
その外国人が読めば非常に驚く、そこが重点でなければならない。同時に実用からいってその[br]
語法を学んだ外国人が中国語を組みたてる際に間違いが起こらないようなものでなけれ[br]
ばならない。では大きく考えて中国の語法と西洋の語法とどこが違うかといえば、西洋古代の[wr]語[br]

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法[/wr]には音韻学(phonology)形態学(morphology)造句法(syntax)の三部門が[br]
あったといわれる中で音韻学はすでに独立した科学になっているが、中国語のように屈折作用のな[br]
い言語ではその形態学さえも必要がなく、結局造句法だけしか中国語法の問題になるものがな[br]
い。』ということから王力氏はもっぱらその点に重点を注いで、中国現代語法と中国語法理論の[br]
二書を世に贈った、前者は民国三十三年八月に重慶で初版ができ三十六年二月に上海の[br]
初版ができているし、後者は民国三十四年十月に重慶で初版ができ同じく三十六年十二月に[br]
上海初版ができている。本年六月末北平図書館の図書季刊が張風峯先生から東方文化研究所へ寄[br]
贈された際にその書の存在を始めて知って、急に国際法廷の呉学義先生に依頼した結[br]
果、早くも二個月にしてこの書物が京都までもたらされたのであって、烈しき戦いの中に流離[br]
しつつ研究の手を休めなかった学者の労苦を思うとともに、この書によってわが中国語学[br]
研究に新しきエポクを画したいとこの講義にできるだけ王氏の意見をもりこんだわけであ[br]
る。[br][brm]
黎氏の文法では詞類を九つに分けて、(1)名詞と(2)代名詞と実体詞といい(3)動詞を[wr]述[br]

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説詞[/wr]といい(4)形容詞(5)副詞を区別詞といい(6)介詞(7)連詞を関係詞といい(8)助詞[br]
(9)嘆詞を情態詞といったが、王氏語法では[br]
(1)名詞[br]
(2)数詞[br]
理解成分-実詞 (3)形容詞[br]
(4)動詞(助動詞を含む)[br]
詞 半実詞 (5)副詞[br]
語法成分半虚詞 (6)代詞[br]
(7)繋詞[br]
虚詞 (8)連結詞[br]
(9)語気詞[br]
記号[br]
の如く理解成分語法成分に大別し、詳にはこれも九つの詞類と記号とに分けていて、純実[br]

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たる名、数、形、動と純虚たる連結、語気との間に副詞代詞繋詞の三種を設けてい[br]
る。そして黎氏の句本位の考えでいくと句の成分として見れば主語と述語とが主要成分であ[br]
り、これに連帯的成分として賓語と補足語、附加的成分として形容詞的附加語と副詞的附[br]
加語とが加わるのであるが、王氏語法は詞類と並んで詞品というものを考えている。これは明[br]
らかに Jespersen が Essentials of English Grammar および Analytic Syntax [br]
などで試みたranksの考えを応用したもので、葉氏においては『word-classes の substatives, [br]
adjectives, adverbsはそれぞれranksのprimaries secondaries, tertiaries[br]
と対応する。terribly cold weatherはもし辞書的にいえばadverb adjective [br]
substativeから成り文としてのはたらきはtertiary secondary primaryとなる、つまり[br]
ソシュール的にいえば前者はla langueであり後者はla paroleである』という A.S.Chapter 31 Rank 。[br]
王氏はこれに倣って首品 次品 末品の三品を立て、高飛之鳥の高は末品、飛は次品、鳥は[br]
首品であり、之は品に入らない記号とする。さらに狩人打飛鳥では人と鳥とを首品、打を[br]
次品とし、狩と飛とも次品とする、すべて記号ないし純虚詞は品に入らず、実詞と副詞 代詞[br]

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について品を考えている。この考えかたはいわゆる造句の立場からいったものとして従来にないいきかた[br]
であり、中国語のように事実上詞類を分かつべき屈折作用を欠いたものとしては、単なる句中の中[br]
途のほかに句中役がらを示す標準となるわけであるが、はたして三品とすることが妥当である[br]
として三品の配当はこのままでよいであろうか、少しく批判の目を向けてみたいと思う。[br][brm]
中国語においてはほとんどすべての言語における如く主語と述語王氏は謂語というとをもって文を構[br]
成する、そして主語は原則として前にあり述語は後にあるこというまでもないが、その構成された句[br]
は普通に叙述、描写、判断の三つに分けられる。つまり主語がどういうことをしたかと[br]
いうことを叙述するのが叙述句であって、その述語は必ず動詞であり、そこに叙述された[br]
事件はその発生した時間を必要とする、もとよりその時間は明示する必要はないが、たと[br]
えば張先生来了といったら、いつ来たかということが予想されている、この場合にその動[br]
詞のみまたはその附属の虚詞のみで完全に叙述が終わらないときは、その動詞の動作の及[br]
ぶものまたはこれと関係するものがその動詞の次に現れねばならない。たとえば我買書で[br]
は買という作用が書に及ぶものであり、他回国了では回の作用が国に関係するもので[br]