講義名: 中国語学概論 序説の一 中国語学の立ち場
時期: 昭和22年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ
近年ヨーロッパ文化およびこれに影響された日本文化が夥しく流入するにつれ、中国[br]
の語法も欧化的になった部分があり、王力氏はこのために欧化的語法という一章をもうけ[br]
ているが、これは今のところ斬新な試みである。しかし、なぜこれを一般語法におさめないで別章[br]
に立てたかといえば、これはまだ知識社会の特殊語法にすぎず、それもただ文章にのみ現れるも[br]
のが多く、これをもって大衆のことばの代表と見ることはできないという。もとより「摩登」とか「生活」[br]
とかいう新しい詞は大衆の口語に侵入しているが、語法の欧化が少ない──あたかも歴史的[br]
に見て詞義の変遷は大きいが語法の変遷は小さいようなものである。だからやはりこれを別[br]
に扱うべきで、欧化語法を大衆の口語法と一所くたにするのは、むしろ不合理だというの[br]
である。元来、ある国の語法が外国語の影響を蒙るというには自ずから限度があって、影響は[br]
必ず本来の可能性があってしかるのちに発生する、たとえば「咱們不能,也不必這様弁」といっ[br]
たような語法は民国以来の欧化の傾向の中でも最近のものであるが、これにも限度があって、その[br]
程度よりは進めないものである。たとえば関係代名詞のようなものは中国では発生する可能性[br]
は全然ない、つまり欧化語法は中西語法の雑種であって、徹底的な欧化はあり得ない、さ[br]
らに中国本来の語法がときには一種の反動をなして、欧化の趨勢に対する平衡鍾 counter [br]
balance になる。どの句にも主語をつけるのはロジックを重んじ欧化に心酔する人の間の[br]
法則になっているが、ほかの条件が全然ヨーロッパ語と同じくはならないときは、この法則がむしろ文[br]
章を呆板ならしめるため、自然、中国語法で許される自由を利用して、明晰性を失[br]
わないかぎり、一層簡潔という特長を発揮する。[br][brm]
今王氏の注意した欧化語法の主なものをあげると、(一)主語と繋詞の増加で、中国の文章[br]
には主語と繋詞がなければならぬことはない、しかるに欧化文ではどの句にも主語を入れる人があ[br]
るし、また描写句梨花不紅を判断句梨花是不紅的とする。(二)句の延長で、欧文で関[br]
係代名詞による修飾を中文に移すとせば、これを主語の前に積みあげて非常に長い句にす[br]
ることになる、もっともこれを非欧化の語法で解することができ、その方が口に乗り易いのである[br]
が、むしろ長いごたごたした句を喜んで用いる人もある。(三)可能で、中国語の「可」は叙[br]
述句にだけ用いられたものであるが、 You may be right を解するに、你可以是対的とか[br]
你可能是対的とかいうようになり、また中国語としては環境ないし道徳的に許されたもの[br]
にだけ可といったのを it may rain today のような事情発生の可能性をおしはかるときにも[br]
今天可能下雨というようになった。(四)被動で、中国語の被動は不如意のこと、望ましからざる[br]
ことについていうのであるが、欧化では他被挙為総統とか人類生活的極峰還没有被達[br]
到というようにも使用されるようになった。しかし it is knownとか I was surprised[br]
とかまで被動に解することはない。そのほか「們」の用途がひろまったり、「的」「底」「地」と分けた[br]
り、「着」を濫用して「有着」と書いたり、「化」「性」「度」「品」「家」「者」を用いたり、父「与」子の如[br]
く「与」「和」「而且」を多く用いたり、「但是」「然而」「因為」「既然」「所以」「雖」を濫用したり、「當」[br]
「如」「若」「除非」を多く用いたりするのも欧化の現象に数えられる。[br][brm]
最後に語法は単に以上の如き構造によって決定されるのみならず語調によっても決定される。[br]
たとえば同じ「別去罷」という構造をもったものも、その語調によって(一)単純な命令 行くな (二)相談す[br]
る心もち 行かないでおいたら (三)面倒くさい勝手にせよという心もち 行かんどきなよ (四)ゆっくり勧める[br]
心もち 後で悔いるから年よりのいうことをきくもんだよ という差別を生ずる。もっともその中に[br]
は世界のどの言語にもある Emotional intonation も含まれているが、これとともに logical [br]
intonation の存在を否定することはできない。logical intonation とは stress [br]
と intonation とによるものであるが、emotional intonation は声の性質、強弱の特[br]
別な程度、全文の速さ、ことばのテンポによるものといわれるが、その前者こそは前に述べた neutral [br]
intonation と expressive intonationとの代数和といわれ、これが語法の最後のしあ[br]
げになるべきものである。何となれば文を離れて語が考えられないように、人の感情的表現を[br]
離れて文を考えることはできないからである。ただこうした研究は従来その極めて困難なために人々[br]
が手を着けかねていて、今のところ趙氏の論文と最後五分鐘以外にほとんど見るべきもの[br]
がなく、趙氏自身も、この研究は全国的にまた全世界に共通であるかわりに、極めて複[br]
雑で、これまで誰も系統的研究をしたものがなく、中性語法のような分類からの演繹[br]
が成功しないといっている。しかし一つの頼りとなるものはやはり中性語調であって、結局[br]
中性語調の上にどれだけ口気語調が加わるかというところが問題になる。もし口気語調[br]
が尻あがりになるときに尻あがりの中性語調が来たとすれば、また尻さがりの口気語調[br]
の時に尻さがりの中性語調が来たとすれば、何等問題はないが、もし這個壊?とい[br]
って尻をあげようとするところに去声が来れば明らかに矛盾し、這個好!といって尻をさ[br]
げようとするところに上声が来ればこれまた明らかに矛盾する、というわけで前者では一応、[br]
壊とさがった後にあげるので○となり、後者では好とあがった後にさげるので○となることを[br]
注意し、つまり中性語調の終わった後に口気語調が伴うことを論じている。したがってあがり型の[br]
ときと下がり型のときとは下のような差を生ずる[br]
陰平 55:=56:○ 55:=551:○[br]
陽平 35:=36:○ 35:=351:○[br]
上声 214:=216:○ 214:=2141:○[br]
去声 51:=513:○ 51:=5121:○[br]
これを具体的なことばで示し、それぞれの感覚をみせたのが[br]
(一)説你多有銭○,説他多好看○,説你們多快話○(枚挙)[br]
(二)不是你○,是他○(抗議)[br]
(三)ㄝ○,這様好○(満足)[br]
(四)真可憐○(同情)[br]
であって、いずれも下り型であってしかも感情の同じくないことを示している。あるいは同じ下り型にいろ[br]
いろな感性が宿ることを示したという方が適切かも知れない。さらに最後五分鐘ではこれを(甲)[br]
音の高さと時間の変化を主因としたこと(乙)強さと声の性質とを主因としたものとに分ち、そ[br]
の体式と功用とを細かに対照しているのは、極めて面白い研究であり、ことにこの劇に実際出てくる[br]
せりふをもって例としているのは、いかにも念の入ったやりかたである。[br][brm]
ここに回想すべきことは本節の最初に述べた王力の詞品に対する考えかたであって、真に詞[br]
品を活用しようとすれば必ずや語調の問題に入り少なくともその文の中でどれが重くどれが[br]
軽いか、またはどれが特別重くどれが特別軽いかという問題をあわせ考えるべきであり、これは必ずし[br]
も口気語調と全面的に接合するものでないにせよ、口気語調とともに詞品を考えることが望ましい[br]
のであって、文法的例文にのみ詞品の種類を托するときは、従来の主述、目的、修飾の[br]
別と相去ること幾許もない結果にとどまることと思うので、いきた文としての語法研究が将来さら[br]
に要望されることと思う。[br][brm]