講義名: 中国語学概論 序説の一 中国語学の立ち場
時期: 昭和22年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ
直接に子音と接することがなく、結局ㄧㄝㄩㄝの場合よりほかに用途がない。して[br]
みればㄝやㄛを単用するようにもしてあるのは、むしろ、そういう記号を利用したまで[br]
のことで、本来はㄨㄛないしㄧㄝㄩㄝの一部分として考えられたものである。そこでこれを更[br]
に還元した他のㄚㄜまたはㄧㄨㄩの如き単用される音素に帰することを工夫すれ[br]
ば、ㄨㄛのㄛはつまり(ㄜ)がㄨに引かれて後部に近い半昇に達したものというべきであ[br]
り、ㄧㄝㄩㄝのㄝはつまりㄚがㄧㄩに引かれて前部に近い半降にに達したものとい[br]
うべきである。[br]
[br]
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かくして特にㄝを作りㄛㄜを並立せしめたことは、一面たしかに反切より出でて音そ[br]
のものを描写しようとする方向に一歩進めたものといえるが、しかも、この傾向は[br]
ただ音素と称し得べき範囲のみにわずかに窺われて、より複雑なものには及んでいない[br]
という唇に反切主義の根ざしが、この言語とともに固いことを認めざるを得ない。[br][brm]
次に四等の観念とは旧来の音韻学でいう開口合口斉歯撮口のことで、これを[br]
四つの段ないしさらに細分した八つの段に分けた表がいわゆる韻鏡その他切韻指[br]
掌図または切韻指南などに見え、清代の学者江永の四声切韻表、陳澧の[br]
切韻考、前に述べた労乃宣の等韻一得などを通じ、疑うところなく採用された[br]
もので、この言語をあつかう上の鉄則と見なされる。注音符号の設定にあたっても、この[br]
方法はその名称とともに全面的に採用され、[br][brm]
ㄧ ㄨ ㄩ[br]
ㄚ(ㄜ) ㄧㄚ ㄨㄚ[br]
ㄛ ㄧㄛ ㄨㄛ[br]
ㄝ ㄧㄝ ㄩㄝ[br]
ㄞ ㄧㄞ ㄨㄞ[br]
ㄟ ㄨㄟ[br]
ㄠ ㄧㄠ[br]
ㄡ ㄧㄡ[br]
ㄢ ㄧㄢ ㄨㄢ ㄩㄢ[br]
ㄅ ㄧㄅ ㄨㄅ ㄩㄅ[br]
ㄤ ㄧㄤ ㄨㄤ[br]
ㄥ ㄧㄥ ㄨㄥ ㄩㄥ[br]
という形式を取ったわけである。中でもたとえば ㄢ ㄧㄢ ㄨㄢ ㄩㄢの如き実際の音韻[br]
もan iæn uan yanであり、ㄤ ㄧㄤ ㄨㄤの如きもaŋ iaŋ uaŋであって、極めて合理的[br]
にこの現象が説明されるわけであるが、ㄅ ㄧㄅ ㄨㄅ ㄩㄅの場合はən in uən ynとなって[br]
ㄧㄅとㄩㄅとはㄅㄨㄅと同じでなく、ㄥ ㄧㄥ ㄨㄥ ㄩㄥの場合もʌŋ iŋ uʌŋ iyUŋと[br]
なってㄧㄥとㄩㄥとはㄥㄨㄥと同じにならない。この点については王力氏も中国音韻学[br]
で、これは昔の等韻学者の説に拠ったものだと説明している。等韻とは等を標準[br]
とした音韻学で、つまり四等の観念をもって音韻を論じた人をいう。この等韻学者[br]
の考えとは、一つの音には必ず一連の開口斉歯合口撮口があるべきものだというのであっ[br]
て、今の音でinとかiŋいうのはiという母音にnŋが付随したまでのことで、開[br]
口合口などとは関係がなくなっているから、こうした取りあつかいは音理にそむくとい[br]
うのが新しい音韻学の立場である。もっともこの議論は厳格にいってのことで、注音[br]
符号のように本来便宜的な性質を持ったものにおいてはこういう取りあつかいもやむ[br]
を得ない。ただこれを学ぶ人たちが、この一連のものについて、もっぱら綴り字のままに読ん[br]
だのでは本当の音にならないことを心得ている必要があると、王力氏もいっている。事[br]
実、注音符号は他の場合から見てもㄧㄠやㄧㄢのように綴り字のままに読まない例[br]
があり、ㄧㄅやㄧㄥにしても中間の母音が極端に縮こまって零に等しくなったと考[br]
えてもよいわけであり、文字からいっても、ㄅに恩の字があって、その恩の字の発音[br]
を示すはずの因の字がㄧㄅであることを考えると、昔は因そのものがㄧㄅに近かった[br]
かそれともㄅに近かったかは別問題としても、この因と恩とはある一つの音から[wr]分[br]
岐[/wr]したものであるといって誤まりではない。したがって四等の観念による取りあつかいは、一[br]
応歴史的な立場から見て是認せらるべきものと思う。[br][brm]
ただ一つ解しがたいのはㄩㄥの音であって、これには撮口の要素があるとしても、あまりに[br]
わずかであって、むしろ斉歯音として取りあつかわるべきではないかということは、少しく実際[br]
の音に通ずるものならば容易に疑いをさしはさむ余地がある。これについて、国語[br]
羅馬字を設定した人たちは、注音符号におけるこの取りあつかいを破算して、上図[br]
の如き系統を考えた。すなわち注音符号がㄨㄥとして取りあつ[br]
かっているものに二種類あって、一つは翁の如く語頭にWを持[br]
つもの、も一つは東通農隆などの母音の如くWを持たない[br]
もので、前者をㄨㄥで示すとせば後者は-ㄨㄥとなる。その翁[br]
の系統に属するものは声などの母音になるㄥの合口音[br]
になるが、-ㄨㄥの系統に属するものの斉歯音がすなわちㄩㄥになるというのであって、[br]
国語羅馬字ではengとueng、iongとongとでそれぞれの系統を示している。このこ[br]
とは王力氏の中国音韻学の二七三頁に銭玄同先生が新生週刊 一ノ八 に国語羅[br]
母字字母のみ選用を説かれたのを引用してあるのに拠ったのであるが、[br]
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国語羅馬字の如く歴史よりも現実の音価を考える場合には、新しき四等[br]
の観念に立って、ㄥとㄨㄥとが開合をなし、ㄩㄥと-ㄨㄥとが斉合をなすことを主[br]
張するに至ったものと思われる。こうして近代的観念の下に現実の音価を整理[br]
した闘士たちすらも、古き術語である開斉合撮の束縛を離れることができ[br]
ないところを見れば、この言語においてこの四等的観念がいかに強力なものであり、すなわちこの[br]
整然たる組織を無視してはこの言語を扱うことができぬことを痛感せしめられる。[br][brm]
注音符号によって区別される北京語の音節は最近の国語辞典ないし増訂注解[br]
国音常用字彙などによると、四百十一種[br]
(ほかに特殊のものとして国語辞典などに● ㄈㄧ● ㄈㄨㄥ ㄗの四種がある)であるが、更[br]
に最近の拉丁化新文字はすべて四百四十七種の音節を区別している。もとよりそれ[br]
はいわゆる北方はなし拉丁化を称するだけに、北京音に拘泥したわけではなく、むしろ前述の[br]
官話音系各地の人民が使用に適した文字であるが、これを北京語の四百十一種[br]
に比較すると、まず北京語特別な発音すなわち……[br]
……のほか、母音でも……すべて子三種を欠いている。なかんずく[br]
北京語では全く同一の音節となっている……の系統[br]
は北方話としては区分される地方があり、また呉音系でも区別されているので、[br]
これを区別することによって、……[br]
……[br]
……の三十五について[br]
それぞれg/kx/系とzcs系とに分けられる、などしその区別の困難な地方はすべて[br]
gkx系でだいようしてもかまわないという。これはまさしく漢呉音のカ行音とサ行音との差[br]
で、giの己記紀忌とZiの済剤擠霽とを見わけることはわれわれには難事でない。[br]
次にやや複雑なことはㄍㄜ、ㄎㄜ、ㄏㄜをそれぞれgo ge、ko ke、xo xeの両種[br]
に分けたことで、[br]
ge 格骼胳隔膈革疙 go 哥歌果菓過鍋各閣[br]
搿鴿蛤 擱郭個裹戈割葛合 昇合[br]
ke 克剋刻咳客 ko 可柯疴軻棵課顆窠[br]
渴嚍溘磕瞌科蝌恪[br]
殻[br]
xe 赫嚇閡核劾 xo 和合閤活盒河何荷[br]
禾賀鶴曷褐蝎喝涸[br]
郝貉龢盍闔[br]
[050220-0880out01]
これは現在の北京音からではほとんど理会しがたい分類であるが、これをたとえば中原音韻の王土音韻輯[br]
要によって見ると、ge ke xeの類は皆素の韻に大体は属しており、go ko xoの類は、歌[br]
羅の韻に属する(鴿蛤は違う)なお別にguoがあるがこれは帰回斉●に属し、すなわち河北のふるい[br]
音いわゆる中原音の系統を取ったと思われる、[br]
また同じくㄕㄨㄛの中が[br]
shuo 説 sho 翔勺杓芍爍鑠碩[br]
と分かれているのは-kに終る入声と-tに終る入声とによって区別されたものらしく特にㄩㄝ[br]
が[br]
ye 月閲悦越鉞樾粤曰 yo 約喲楽薬躍錜岳[br]
嶽唷[br]
gye 決抉訣倔掘厥獗孑 gyo 覚角脚噱攫珏[br]
zye 絶 zyo 爵嚼[br]
kye 缺闕 kyo 卻確搉○○[br]
cye cyo 雀鵲[br]
xye 血穴 xyo 学靴[br]
sye 雪薛 syo 削[br]
に分かれたことは-tと-kとの差を明瞭に示している。これとともにㄋㄩㄝ ㄌㄩㄝに属[br]
していた虐謔瘧と略掠とはいずれも-kに終わるがゆえにそれぞれnyo lyoに移った(ㄋ[br]
ㄩㄝ、ㄌㄩㄝは全く亡びた)そしてnunとして新たに設けられたとみえるのは注音符号のㄋㄅす[br]
なわち嬾であった。[br][brm]
以上四十九種の増と十三種の減とによりさしひき三十六種の増となり、四百十一種に対して[br]
四百四十七種をえたが、これは主として河北あたりの方言によるものと推知される。なお注音[br]
符号ではㄅㄥㄆㄥㄇㄥㄈㄥと綴られたのがbung pung mung fung となったのは、唇音におけ[br]
る合口性を強く示しており、ㄉㄨㄛ ㄊㄨㄛ ㄋㄨㄛ ㄌㄨㄜ をdo to no loと綴り、ㄓㄨㄛ ㄔㄨㄛ ㄕㄨㄛ ㄌㄨㄛ ㄖㄨㄛ [br]
ㄗㄨㄛ ㄘㄨㄛ ㄙㄨㄛをzho cho sho (shuo) rho zo co soと綴るのはむしろ舌尖音翹舌尖音[br]
舌葉音(舌根音はuoのまま)における非合口性を示すとともに舌根音ではge go guoの差を示すための必要をも示していると思われる。[br]