講義名: 中国語学概論 序説の一 中国語学の立ち場
時期: 昭和22年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ

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になる。そのもっとも著しい例をあげれば人の姓名であって、無数の文字の中からかなり随意とまで[br]
見える選択によって組みあわされた以上、最初は必ず名刺を交換することによって、目か[br]
ら記憶するほかはないが、友人として久しく交わるときは、その文字すらも思い出すことなくして[br]
その音からその姿を思い出すことができる。この現象を裏書きするものは、概念がある[br]
音節を占拠したとき、これに伴って陸続と入り込む場合と、まったくこれを嫌って顧みない[br]
場合とがあることで、後者の例としてわたしは死という文字、およびその音がすでに占拠したㄙˇ[br]
という音には、ほかの文字が全体に現れてこないことを興味をもって見た。という程に概念は[br]
音節によって再現し、文字によって再現する。かようにこの言語では文字と概念とが音節を交[br]
叉点として極めて活発に交渉しているが、これというのも、概念が音節とともに吐き出され、文字[br]
がそれを一々に受けとめているからであって、この言語の特質を単音制に帰するとともに、私は[br]
むしろ概念-音節-文字の関係に立ってみることをさらに興味あるものと考えるのである。[br][brm]
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第一章 現代の中国語[br]
第一節 中国語の分布[br]
現代の中国語という命題は中国語という系統の言語、それは必ずしも中国という地域に[br]
あるもののみでなく、全世界に散布している中国語をも意味することができようし、また中[br]
国という地域にある言語、もとよりその主要なるものはいわゆる中国語であろうが、中国語[br]
と違った言語、少なくともその人たちの主要な居住地が中国という地域にあって中国語[br]
とは違って言語を意味することもあろうが、ここでいおうとするのはもっぱら前者について[br]
である。しかししばらく後者についても一応の展望を試みることは無駄でないと思う。つまり現[br]
代の中国という広大な地域の中には単に多数の方言が見出されるのみならず、構造をこと異に[br]
する数多い言語がそれぞれことなった文化と習慣とを有する民族によって話されてい[br]
る 李方桂:支那における諸民族の言語と方言、支那学十一-四 私はこれらの言語諸族family諸派branchについて何等の知識を持たない[br]
ものであるから、もっぱら李方桂氏記述を引用すると、現代の中国という地域にある語族[br]
は中国語もその一つであるチベット支那語族Tibets-Chinese(または印度支那語族[wr]Indo-[br]

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Chinese[/wr];またSiniticともいう)を最大のものとし、これにアウストロ・アジアティク語族Austro-[br]
Aisiaticとアルタイ語族Altaiとが加わる。そのチベット支那語族においてはまず支那語[br]
すなわち中国語を重要な構成員とするほか、タイ語Thai苗猺語Miao-Yao西蔵ビ[br]
ルマ語Tibets-Burmanが認められる。そのタイ語はさらに獞語Chuangと西南の語群[br]
に分かれるが、前者は広西の大半と貴州南部で話され、海南島の北部、臨高Linkao,[br]
澄邁Chengmai,瓊山Chunshanで話される熟黎Shu Liの言語もこれに属する。ただし島の中南部[br]
における黎の諸方言は通常のタイ諸語とは全く違って、この語派との関係は疑わし[br]
い。後者は(1)アホム語Ahom(2)カムティ語Kamtiおよびシャン語Shanその他、(3)シアム[br]
語Ssiameseおよびラオ語Lao(4)白タイTai BlancヌングNungトーThoその他四つに分[br]
けられるが、なかんずく、シャン語と(3)(4)に属するいくつかの方言が雲南で話され、(4)は広西[br]
省の西南部で話される。次に苗猺語が苗と猺とに分けられるとすると、前者は[br]
湖南の西南山岳地帯や貴州省の大部分、広西省の東北部ないし雲南の山地の所々[br]
に分散しており、後者は広東の西北山地、または広西雲南の山間に分裂している[br]

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が、このタイ語と苗猺語とは支那語に最も近く、これをあわせて支那タイ語とさえ呼ばれてい[br]
る。つぎに西蔵ビルマ語は(1)西蔵語(2)ボド・ナーガー・カチン語Bodo-Naga-Katchin[br]
(3)ビルマ語(4)ロロ語(細字:羅々・猓玀)Loloモソ語(細字:麽些)Mosoミンキア語(細字:民家)Minkiaなど[br]
に分かれ、なかんずく、西蔵語は主に西蔵と西康省とに行われ、青海から四川西部にまで達し、特[br]
にある形の方言は青海・四川・雲南などへ延びているし、(2)のカチン語は雲南の西北境で[br]
(3)のビルマ語は雲南の西部で話され、(4)のロロ語は雲南の大半と貴州省の西北部、さら[br]
に西康省南部のある地域で話され、モソ語は雲南省西北部で話されて西康省まで[br]
延びている。いわゆるアウストロ・アジアティク語族としてはムンダ語Mundaモン・クメル[br]
語Mon-Khmer安南語Annamiteなどがあるが、その中でモン・クメル語の方言たるパラ[br]
ウング語Palaungとワー語Waとが雲南ビルマ国境一帯にあるのみである。最後にア[br]
ルタイ語族は新彊省(支那トルキスタン)から蒙古を経て東三省に至る地域全部に[br]
わたり、トルコ語Turkish蒙古語Mongolianツングース語Tungusに分かれ、なか[br]
んずくトルコ語は新彊省と蒙古の西北部および甘粛のある部分に話され蒙古語ではさらに[br]

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細かく分かれてカルカ語Khalkaは蒙古(外蒙古)に広大な面積を占め、ブリヤート語Bu[br]
riatはシベリアに連なる北蒙古の一部と黒龍江省西部で話され、カルムク語Kalmuk[br]
は西蒙古と新彊省北部で話され、南部(あるいは東部)語は察哈爾、綏遠、熱河、寧[br]
夏、および満洲の一部で話され、別に青海省と甘粛とで話される方言もある。そして[br]
ツングース語は北満洲にあり、その南の一群たる満洲語Manchuゴルド語Goldオロ[br]
チュ語Orochダフル語Dahurおよびソロン語Solonが黒龍江省と吉林省で[br]
話され、北の一群たるマネギル語Manegirとビラル語Birarとは黒龍江省に行われてい[br]
る--というのが李方桂氏の文章につき特に分布の面を抄出したのである。これらの中で[br]
かつて中国全祖に勢力を振るったのは蒙古語および満洲語であった、つまりこれらはそれぞれ[br]
元および清の時代に蒙古人および満洲人の勢力を背景として進出したものである。ただ[br]
元は中国統治の期間が長くない上に、今日では年代もやや遠くなっているが、満洲人は三百[br]
年前に清朝を建設してから、わずか三十余年前まで持ちこたえ、特にその初期にはその[br]
言語をば国語と称して強制し、清朝の禄を食む官吏は国語に通じなければならない[br]

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ことに規定した。たとえば恵周惕の如き経学にかけては極めて有名な学者も、中国文学[br]
の才によって翰林院庶吉士に選ばれながら、一面、国書に習わないというかどで、密雲県[br]
知県という田舎まわりの役人に左遷されたというような話が極めて多く、北京の城門でも清朝[br]
時代には漢字の扁額の横に、あたかも漢字のふりがなのような格好に満洲文字が書かれて[br]
いたものである。しかるに満洲種族は固有の文化がなかったため、いざ征服者として[br]
漢民族のごときすぐれた文化を持ったものを統治するとなれば、いきおいその文化を[br]
自分も摂取して漢民族に劣らぬ文化を持ち得ることを実証せねばならない。ことに[br]
皇帝たるものは漢民族の文化に拮抗、否これを凌駕することが漢民族を心服[br]
させる手段としても考えられるわけで、乾隆帝が中国文学ことに詩を作って至る所に[br]
書きちらしたり、康煕帝が西洋の宣教師を親しく用いて数学の勉強に時を費やし[br]
たりしたのも、漢人の学者に一泡吹かす下心ではなかったろうか。こうした天子の態度[br]
はただちに満洲人ないしこれに忠誠を誓った蒙古人にも反映し、満洲八旗蒙古八旗[br]
の人たちの中から次第に中国文学の造詣の深い人たちが輩出した。たとえば[wr]清朝随[br]

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一[/wr]の詞人といわれる納蘭性徳 飲水詞あり は満洲八旗の出身であり、掌故に通じ国子[br]
祭酒となった法式善梧門は蒙古八旗の出身であるように満洲文字源流考等を見よ中国の文[br]
藝学術に大きな足跡を残した人たちの間に満蒙籍の人たちが少なからず発見[br]
される程に一般に中国的教養が深まった。しかしその根底には当然漢民族の文[br]
語に熟達するということが横たわるわけで、同時に二つの国語を学習することが一般人には[br]
困難であるため、朝廷の方針としては国書を奨励し漢人種の文化を謳歌せしめないと[br]
はいうものの、実際の傾向としては日に日に漢語漢文に傾いた。これが久しくして遂に満[br]
洲民族はほとんどまったくその母の言葉を忘れるようになり、現在北京において中国語、[br]
すなわち漢人種の言語を外国人に教授してしがない暮らしを立てているものの大多[br]
数はほとんど満洲人種であるという悲しむべき状態となり、かの民国革命が滅満[br]
興漢の旗じるしを翻したとき清朝の天下がもろくも潰えたことに歴史では記され[br]
ているが、実は満洲人種はその言語とともに早く滅ぼされていたのであり、清朝の天子はただ[br]
虚器を擁して四百余州に君臨していたにすぎなかったのである。これに加えて(タイピスト注:原文「加之」)、北京その他[wr]支那本[br]

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部[/wr]における満洲旗人または駐防の人たちがまったく満洲語を話せなくなったのみか、満洲そ[br]
のものにおいても完全に漢人の言語が通用し、かりに言語学者が満洲語を研究しようと[br]
しても、事実上これを操るものを求めることに非常な困難を覚えること、あたかもギリヤー[br]
ク語の研究におけるごとき状態に陥っている。これがかつて弁髪を風になびかせて四百余洲を[br]
蹂躙した民族のなれの果てかと思うとき、一掬同情の涙を注ぐというよりも、むしろ国語を自[br]
ら進んで棄て去った民族の末路に鑑みて、国語尊重のための一層の覚悟を持たねばならな[br]
いと思うのである。[br][brm]
つぎには中国を中心として世界に散布している中国語についてその系統を考えると、従来[br]
もっとも普通に承認されているのは王力氏の中国音韻学の分類であって、すべて五大系になって[br]
いる。すなわち[br]
(一)官話音系 河北、山西、陝西、甘粛、山東、河南、湖北、湖南、四川、雲南、貴州、[br]
安徽、ならびに江蘇北部、広西北部[br]
ただし王力氏の中国語文概論では、これをさらに七系に分けているので、下に掲げる、[br]

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A.冀魯系 河北、山東、遼寧、吉林、黒龍江など[br]
B.晋陵系 山西、陝西、甘粛など[br]
C.豫鄂系 河南と湖北[br]
D.湘贛系 湖南東部と江西西部[br]
E.徽寧系 徽州、寧国など[br]
F.江淮系 揚州、南京、鎮江、安慶、蕪湖、九江など[br]
G.川滇系 四川、雲南、貴州、慶西北部と湖南西部[br]
(二)呉音系 江蘇の蘇州、常州、無錫、常熟、崑山、上海、松江、宜興、溧陽、金[br]
壇、丹陽、江陰。浙江の寧波、嘉興、湖州、杭州、諸曁、金華、[br]
衢州、温州。[br]
中国語文概論では左の四系に分けている、[br]
A.蘇滬系 蘇州、上海、無錫、崑山、常州など[br]
B.杭紹系 杭州、紹興、湖州、嘉興、余姚、寧波など[br]