講義名: 中国語学概論 序説の一 中国語学の立ち場
時期: 昭和22年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ
に、宣教師が羅馬字で翻訳した中国語聖書を参考し、羅馬字式の記号五[br]
十五個を工夫して、中国第一快切音新字と称し、つづいて福建の力捷三、上海の沈[br]
学、香港の王炳耀などもそれぞれ新しい字母を工夫し、すべて漢字学習のために空[br]
費される時間を節約して、算学格致化学などの勉強にあて、国家の富強をはかる[br]
というのが、ほとんど共通の主張であり、別に蔡錫勇は伝音快字を著わして速記文[br]
字も定めた。その後に出てもっとも影響の大きかったのは王照の官話合声字母であって、北[br]
京語について始めてその音を記すべき字母を工夫したものである。元来、王照は戊戌政変に[br]
あたって日本に亡命し、滞在中に片仮名を覚えたことが機縁となり、光緒二十七年には[br]
その字母の案を東京で出版もし、北方民衆に宣布もした。その字母は音母五十、喉音[br]
十二から成り、必ず二綴り以内で音節が示されるように工夫した。当時北京大学堂に教習[br]
となっておられた服部先生はその門人王璞に対し、官話字母は数が多すぎるから三綴り[br]
をも設けてその数を減じたがよいと忠告されたのを伝えきいた王照は、三綴りを覚える[br]
のは二綴りの数倍も困難であるといって、その忠告に従わなかったという。またわが[wr]伊澤[br]
修二氏[/wr]ははじめ明治二十七年に日清字音鑑を著わし、主としてウェード式ローマ字記音法[br]
により、さらにわが片仮名に若干の記号を施してこれを併用したのであるが、その後の経[br]
験によりローマ字も片仮名もこの目的に適しないことを悟り、王照の方法にならった清国官[br]
話韻鏡を作ったが、王照は、伊澤は自分の書物を剽窃し妄に増改したといって憤慨[br]
している。さきの盧贛章氏は光緒三十二年に至り、中国切音字母というものを作り、日本[br]
の片仮名に似た漢字の省体を用いたといえば、やはり王照に近づいたことであろうし、呉敬[br]
恒は豆芽字母と称し、篆文の簡体によって家族間の通信に供したといえば、西洋の影[br]
響によるローマ字式は次第に日本の影響を受けた漢字式に落ちついていったことがわか[br]
る。中でも王照の字母はかつては十三省にわたり数万人に伝習されたというが、これについて[br]
は労乃宣が南京などに簡字学堂を設けて王照の字母を推進した功が認められねばならない[br]
が、労乃宣は北京語以外の方言地域にも適用するようにと、王照の字母に若干の増補を[br]
加えて増訂合声簡字譜を作り、南京および安徽に、また重訂合声簡字譜をつくり[br]
蘇州一帯および浙江省に通用させ、さらに簡字全譜を作り京音寧音呉音のほか、[br]
閩広音までをも綴ることを工夫したのは、労氏その人が音韻学者であったからであると思[br]
う。[br][brm]
いよいよ清朝が倒れて民国革命が生成就したとき、その元年に蔡元培が教育総長となっ[br]
て、部内に読音統一会を設け、その名の示す如く、全国の人が漢字を読むときの標準[br]
音を定め、その標準音を記すべきものとして注音字母を定めた。この字母はかつて章炳麟[br]
氏が日本に亡命していたとき、呉敬恒がフランスで経営していた新世紀に投稿された[br]
中国語万国新語説に反駁して起草した駁中国用万国新語説の中に、自作の[br]
字母五十八を発表されたのが、基礎になったもので、読音統一会は会長呉敬恒と[br]
副会長王照との激しい軋轢の中に、字母そのものはあっけなく原案を可決し、民国七年[br]
十一月二十三日教育部から公布され、後十九年四月廿九日その名を注音符号と改められた。別に銭玄同趙元任[br]
黎錦照など数人の共同研究になる国語羅馬字も十七年九月廿六日に大学院から公[br]
布され、中国語のために中国政府が公認した記音法は、注音符号と国語羅馬字の[br]
二つで、これを併せて国音字母と称する。[br][brm]
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第三節 標準語の音節組織[br]
現代の標準語として選ばれた北京語を音素に分解してみると、子音は[br]
塞声 鼻声 塞擦声 擦声 辺声 [br]
唇 ㄅb ̥ ㄆph ㄇm ㄈf[br]
舌尖 ㄉd ̥ ㄊth ㄋn ㄌl[br]
翹舌尖 ㄓƫs ㄔƫsh ㄖʐ・ㄕʂ[br]
舌葉 ㄗts ㄘtsh ㄙs[br]
舌面 ㄐtç ㄑtçh ㄒç[br]
舌根 ㄍg ̊ ㄎkh ㄏx[br]
の二十一種になるが、その中で、ㄆㄊㄎㄔㄘㄑの六種はㄅㄉㄍㄓㄗㄐに対しそ[br]
れぞれそれぞれ気流を伴った音にすぎないから、さらに純粋なものを求めれば十五種になってしま[br]
う。(なお、塞擦声の如く複雑な子音については気流は塞声に起こらずして擦声に起こり、擦声の方が長い カー三三、三四頁 元来子音とは咽喉から出る空気が口腔の中のそれぞれの部分で阻碍されるため[br]
に起こるものであるが、それだけでは音を成しがたく、必ず次に母音を伴うべきである。ただm[br]
nlʐなどは声帯が振動するために、これだけでも音になる。ただし北京語で我們(mn)のご[br]
とき実際にことばとして用いられるものもあるが、普通にはあまり独立して用いられること[br]
がない。こういう風に声帯の振動を伴うものを伝統的に濁という分類に入れ、こ[br]
れをもって声帯の振動を伴わず、伝統的に清という分類に入るものと対称せしめて[br]
いるが、北京語で阻碍の機関と発音の方法とが同じで、清濁だけを異にする[br]
音は翹舌尖音の擦声のㄕとㄖとだけである。もっともㄖの音については学者の証は[br]
必ずしも一岐していない。子音を示す注音符号としてかつて万兀广の三つが設けら[br]
れたが、万は蘇州杭州などにあるVの音を示し、ㄈの濁にあたり、兀は多くの方言[br]
に見られるŋの音を示し、舌根の鼻声 もとより濁 にあたり、广は南京などにあるɲの[br]
音を示し、舌面の鼻音 もとより濁 にあたる。いずれも北京語には認められないものであるた[br]
め、今日ではただその名を存するにとどめ、かつては国音で万または兀を用いたものは[br]
子音を用いず、または广はㄋに帰してしまった。これらの符号は伝統的に子音[br]
を声と称するために、これを声符 はじめは声母 と称している。[br][brm]
次に母音としては、もとより単母音をもって音素とすべきであるが、これには[br]
昇 半昇 半降 降 [br]
前 ㄧi[br]
ㄩy[br]
ㄝɛ[br]
中 (ㄜ)ə ㄚA[br]
ㄜə[br]
ㄛo[br]
後 ㄨu[br]
の七ないし八種類を数えることができる。元来、母音とは咽喉から声帯を振動しつつ[br]
出てくる空気が口腔の中で阻碍を受けないものといわれているが、また口腔ないし唇口に[br]
おける条件によってさまざまの差を生ずる。その条件の第一は、舌の昇降、すなわち[br]
口の開閉の程度であり、舌が降りれば舌が昇れば口が閉じる。これを四段に分[br]
けると、昇半昇半降降となる。第二は舌の前後で、大体にいって舌面から舌根ま[br]
での間を前中後に分けて、そのどこかで緊張する。第三は唇円と不円とで、最後[br]
に唇を衝いて出るときに唇が円くなるか円くならないかという問題である。ただし[br]
唇が働くとき、すなわち円と不円とが取りあげられるのは、口が閉じようとする[br]
際のことであるから、舌の昇と半昇でないかぎり、この問題は成り立たない。今この[br]
三つの条件に照らして考えてみると、舌が降ってその中部から発音されるㄚと、舌[br]
が半降で(中部から発音される(ㄜ)および)前のところから発音されるㄝとは[br]
唇に関係がなく、舌が半昇で後部から発音されるとき、円唇ならばㄛとなり、不[br]
円唇ならばㄜとなるし、舌が昇で後部から発音されるときはもっぱら円唇であってㄨと[br]
なり、全部から発音されるとき、不円唇ならばㄧとなり円唇ㄩとなるとい[br]
う関係である。中でもㄚㄛㄜㄝの四つはㄧㄨㄩの三つに比して口のあけかたが[br]
大きいため、これを開口音といい、ㄧは唇が不円で歯がそろうため、これを斉歯[br]
音といい、ㄨは唇を卵形に円くするから合口音といい、ㄩは唇をしぼって円くするから[br]
撮口音というのは伝統的な称呼を襲いだものに相違ないが、後にいうようにㄧㄨ[br]
ㄩはそれぞれ多数の音を複合する点からいって、たしかに便利な分類であるというこ[br]
とができる。なお別に舌尖および舌葉、すなわちㄓㄔㄕㄖとㄗㄘㄙとを発する[br]
際に開口合口の母音が伴わないとき、一種の特殊母音が伴う、これがいわゆる[br]
ʅ,ɿに当たる分けであるが、これも要するに舌尖子音舌葉子音の影響のもとに[br]
変化したにすぎず、舌はやはり昇の位置にあり、唇は固くなっていないから、その性質は[br]
最もㄧに近い。またこれらは一種特別の場合であるから、注音符号としては、その数[br]
をなるべく少なくするために、特別の符号を設けることもなく、単にㄓㄔㄕㄖないしㄗ[br]
ㄘㄙをもって音節を記録した場合には、この母音を含むものという了解になっている。そ[br]
して学問的論議の対照とするとき、この母音を注音符号系統の方法によって記す[br]
必要があれば○(タイピスト注:ㄓを上下にひっくりかえしたもの) ㄓㄔㄕㄖㄗㄘㄙとも を用いる。 古くはㄖ○をもって示した [br]
以上の単母音が複合される場合は、二つに大別される。すなわち一つはたとえばㄚㄛㄝ[br]
の如き降ないし半昇からㄧㄨの如き昇に移るとき、たとえばㄧㄨㄩの如き昇から[br]
ㄚㄛㄝの如き半昇ないし降に移るときとである。その前者において起こるのは[br]
ㄚㄧㄞ ㄝㄧㄟ ㄚㄨㄠ ㄛㄨㄡ[br]
の四種であって、ㄚㄧとㄝㄧの二つはそれらの中間音としてaI・eIの程度になるし、ㄚㄨと[br]
ㄛㄨの二つはそれらの中間音としてaUoUの程度になるというような微妙な変化はあるが、[br]
大体において純粋な複合母音ということができ、しかも二種の母音はかならず前が重[br]
くて後が軽く、口の開閉と音の重軽とがきれいに伴って現れる。これに反してㄧㄨ[br]
ㄩの三者は昇に属し、口の開きかたがもっとも狭いため、いわば子音化しやすい母音である。[br]
元来、母音は口腔内の阻碍を受けないたてまえであるが、そういう音がいくつか重なり、[br]
終始阻碍を受けないとすると、ちょうどmのように終始阻碍を受ける音が発音[br]
されにくいのと同様に、これまた発音されにくいわけで、ㄨㄛをそれぞれUOとして発音[br]
するよりは昇母音であるUを子音化してWOと発音する方が楽であり、ㄧㄝ[br]
をそれぞれiɛと発音するよりは昇母音であるiを子音化してjɛと発音[br]
する方が自然である。そしてそれらが他の母音の上に加わるとき単母音では[br]