講義名: 支那文芸学
時期: 昭和19年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ
およそ文藝は心にあるものが言に發したものであるが、心は假りに抽象的一致点といふことが考[br]
へられても、言に至っては、世界の人類がかくも無数の言語系統に分かれてゐる以上、それぞれの[br]
言語系統ごとに多くの異った形になることは當然であり、而かも單に言に發したと[br]
いふ以上に、言之不文、行之不遠といふ定理を加味するならば、それぞれの言語における最[br]
もすぐれた形式を選ばねばならず、又それは自らそれぞれの言語に於ける特質を發揮[br]
してこそその目的を達しやすいのが道理である。而して各國の言語の特質の最もよく[br]
凝固したものが韻文であることは、韻文が各國文学の劈頭に立つことを矛盾なく説[br]
明できるものであり、韻文の外國語譯が常に困難――むしろ不可能性を示してゐること[br]
ともよく一致する。[br][brm]
支那における韻文文學は、いふまでもなくその一つの音節を單位とし、それは同時に[br]
一つの詞をも單位とするものであった。自然、その言語としての重点はこれらの單位と單[br]
位との組合せに存することは極めて明瞭であり、特にこの言語に於ては、音節の組合せと[br]
詞の組合せとが一致することがその重要なる特質となるのである。今、まづ音節の[br]
組合せの上に就て考ふるならば、この言語の重要なる特質として、すべての詞は單音[br]
節であり、それは一つの字形を以て表現される。字形のことはしばらく措くとするも、すべて[br]
の詞が單音節であることは、すべて一個の母音が一個の詞の重要因子となることであり、さ[br]
らに子音についても、今日までの結論によっては語頭に複子音があったといふことは確認さ[br]
れないし、又語尾にも極めて限定されたる子音――最大限度に見て n ng m およ[br]
び t k p に類する子音を附隨せしめるにすぎず、従って一個の詞の構成される[br]
音韻形式は極めて簡単とならざるを得ない。こゝに於て詞と詞とが全く同一の[br]
音を持つことも少くないし、或は狭義の音として同一であってもアクセントに於て差別のあ[br]
るといふものは更に多からう。又、最も多くの場合においては、その母音――あるいは附隨[br]
する子音を含めて――の共通が起り、またはその語頭子音の共通が起る。し[br]
かも、母音と語頭子音とは全く獨立したものでなく、ある母音のはじめに来るべき子音[br]
に於て一定の制限があって――現在の北京語でいふならば、▲▲▲は決して開口[br]
音▲▲▲や合口音▲などと結合することなく、その反對に▲▲▲は決して[br]
斉歯音▲や撮口音▲などと結合することがない――といふやうな制限があることは、[br]
子音と母音との間に一種のわたりが必須とされるのであって、語頭子音はそのわたりを[br]
含み母音も亦そのわたりを自ら含むものと云へる。かくして、いろいろな條件の下におけ[br]
る音韻の類似といふものが極めて明に認められるのである。[br][brm]
就中韻文の如く若干音節ごとに一定の休止を必要とするものにあっては、その休止、即[br]
ち音として耳にひゞくわけではないが自然これを反芻してゐる時間にあたり、その直前の音[br]
節は重要なる意味を持ち、同様の條件の下に●る別の音節がこれに應じて[br]
同じ反芻を起す時、それらの力は単に倍加以上の強さを與へられる。支那の韻文は[br]
さういふ目的――或は自然のまゝに極めて規則的なくぎりを以て作られ、そのくぎりに至る[br]
までの音節の数も一定してゐた。この點は、わが日本の歌の如く母音の数と詞の[br]
数とが大体食ひ違って、母音の数によるくぎりが規定されてゐるのと同じからず、か[br]
の母音の数と詞の数との一致により比較的容易に概念を一定の長さに揃へる[br]
ことができたからであって、四言なり五言なり七言なりあれば相當豐富な概念の列[br]
を作りかなり複雑な思想を表現できた。従ってその休止も當然わが歌よりも[br]
頻繁にならねばならない。かゝる短い数音節ごとに規則的休止をくりかへすことは支[br]
那の韻文の重要なる特質であって、その原始的形式としては二言から始まるといふ[br]
のが文心雕龍の説であって、かの呉越春秋にある断竹歌といふものがそれである[br]
といふ。たゞしこの歌自身が果して如何なる時代にできたかも論定できず、又二言に[br]
切るのではなくして四言ではないかといふ説もあり義府、事実二言で[br]
はその間によほど合ひの手を入れる必要もあらうし、ともかく他に類の乏しい[br]
だけに深く論ずるにあたらぬ。そして三言といふものも、三言で揃った歌といふものは[br]
殆んどなく、これ亦支那語には適應しなかったと云ふ外はない。そして四言を一くぎり[br]
とする詩形が詩三百篇として古代詩歌の代表形式になったのである。押韻の細[br]
かい形式については別に端を改めて述べたいと思ふが、大体を云へば毎句末に韻を[br]
ふむ方法が最も原始的であり、その歌はおほむねくりかへしの多いものであるし、[br]
隔句即ち偶数句に韻をふむ方法は恐らくやゝ進歩した複雑な詩形と[br]
認むべきであり、後世の整句詩はほとんどこの要領によった。[br][brm]
なほ、極めて簡単なる形式ながら、一つの音節と他の音節とが語頭子音を同じう[br]
するか又は母音乃至聲隨母音を同じうするといふ現象は早くから注意されたら[br]
しく、前者は雙聲と呼ばれ後者は疊韻と称し、これが二字の接續において常に[br]
一かどの條件とさへなった。勿論、雙聲と疊韻とを兼ねたのは所謂同じ文字のく[br]
りかへしであり、形容詞・動詞においては極めて普通に使用された。詩經の開巻第一に関々[br]
雎鳩の関々や采々若苡の采々などがさうであるが、これを濫用することは[br]
かへって單純化する嫌ひがあり、やはり雙聲疊韻を適度に混用することが必要[br]
である。詩の巻耳の陟彼高岡、我馬玄黄の如き高と岡、玄と黄とはおそらく[br]
互に雙聲であったらうと思はれるし、関雎の窈窕淑女の窈と窕、巻耳の陟彼崔[br]
嵬の崔と嵬とはいづれも疊韻であったに違ひない。しかもかういった音韻の類似したも[br]
のでは特にその音節を短縮するにさへ便利がある。これは支那語にいはゆる反切の現[br]
象を別の見かたから見て音節の伸縮と考へるもので、元来反切とはさういふ事實を[br]
利用して發音を表示したまでである。たとへば幽風七月の詩に七月食瓜、八月[br]
断壷とあるが、その壷は瓠ともかいてふくべであるが、ふくべは亦胡蘆といふ。胡蘆は明[br]
かに疊韻字であって、その胡蘆を反切によって一音節化すればまさしく壷ないし[br]
瓠となってしまふ。從ってかういふ現象は、二音節を必要とするばあひ又は一音節で[br]
好いと云ふやうなばあひに、それぞれ適切な語彙を用意できるといふ便宜さ[br]
へ供與する。[br][brm]
尤も、かゝる音節の伸縮は支那語においては極めて靈妙に行はれる。といふのは、元[br]
来單音節で表現される詞のこと故、容易にこれと對になるべき單音節の詞[br]
を發見することができる。たとへば数詞にしても、一乃至十は言ふまでもなく、百でも千[br]
でも萬でも時には▲▲さへ單音節として取り扱ふから、必要なる場合には数に対[br]
して数の對を考へることができるし、人名にしても多くは單音節の姓であり、たと[br]
ひ複音節であっても必要に應じては司馬遷を馬遷とかたづけ歐陽修曾[br]
鞏を欧曾とかたづける位は朝めしまへであり、これでも都合がつかねば、その人の[br]
官名を持ってきて史公とか史遷とかいひ、その人の籍貫をかりて廬陵と云ふと[br]
いふやうな技術もふんだんに用ひられる。それ故、甲の句に数字があれば乙の句にも[br]
数字を、甲に人名があれば乙にも人名をといふやうな對は極めて多く、そのあげくは、あ[br]
んまり数字ばかり並べて算博士といはれたり、人名ばかり連用して録鬼薄とい[br]
はれた詩人すらある。たゞ、かゝる對句がさらに人の感興を引くためには、互に對應す[br]
る詞は音楽的に見て反撥しあはねばならない。これは、その意義がすでに同じ範疇[br]
に属してゐるのにさらに同じ調子をもつことはあまりにも重複の嫌があり、そこ[br]
に一種類相反する抑揚を設けんとするに出づる。[br][brm]
抑々支那語の抑揚を以て重しとすることはその言語の單音節的性格に原[br]
因するもので、かくも簡單なる組織をもつ以上抑揚によって音楽的区別をつける[br]
ことが當然であり、その抑揚が如何なる種類に分たれるかといふことはしばらく措くとする[br]
も、恐らく相當古代からあったものであらうし、それがかくも規則的に全部の文字を[br]
そのどれかに配属するやうになったといふことでも、他の外國語の抑揚とははなはだしい[br]
相違と云はねばならない。從って、この抑揚を利用して意義の明暗・感情の平仄を示[br]
すことは巧なる方法に相違なく、さらにこれが機械化したのが、すべての文字が平仄の二つに[br]
分たれることである。それはちゃうど西洋の名詞が男女に分かれるといふ如くおよそ無[br]
意味なことも生ずるわけであるが、同時にすべての品詞はみなある音楽的性[br]
格を負うて音盤の上を躍ることになるのである。[br][brm]
ところで、その最も重要なる音楽的性格はどこにあるかと云へば、明きらかに偶数を以て[br]
基調としてゐることである。それは、上に述べた雙聲疊韻は二つの文字乃至音節[br]
の間の関係であり、平仄も亦明暗二種の表情を示すものであり、ことに四言の詩に[br]
あってはその偶数がさらに倍化されたものであり、その四言が隔句に韻をふまれ[br]
るといふのもすべてが偶数であり對であったのである。もとより四言の次ぎに發達[br]
した五言、五言の次ぎに發達した七言といふものもあり、それらは而かもさらに複[br]
雑化したものであるが、と云ってこゝに偶数的性格が破れたとは云へない。これと云ふ[br]
のは、單に二言を重ねた四言を作り、その四言を四句ならべただけでは、いかにも平板で[br]
あって多くの創意を容れる餘地がなく、後世の複雑を好む人心から云へば飽きられ[br]
易い。そこで五言の詩に於ては二と三とを以て對應せしめ、七言の詩に於ては四と三とを[br]
以て對せしめる。而かも元曲の題目正名などに至っては、たとへば[br]
[br]
の如く七言を三四とするものすらある。しかし、支那語の韻文における例から云へば、やは[br]
り二と三、四と三の如く最後に変化を見せることが通例であって、ちゃうど五七言の[br]
絶句が、たとひ第一句は踏み落しにしないまでも必ず第三句即ち最後にのぞむ所に一[br]
つの変化を與へてゐるやうなものである。今これをやゝ複雑なるものを例にあげてみると、[br]
牡丹亭還魂記の寫真の一齣の斉破陣をとってみれば、始めに旦が登場して、[br]
徑曲夢迴人杳。閨深珮冷魂銷。[br]
似霧濛花、如雲漏月。[br]
一點幽情動蚤。[br]
と歌へば、次をすぐ貼がうけて、[br]
怕待尋芳迷翠蝶、▲起臨妝聽伯勞。[br]
春帰紅袖招。[br]
と歌ふのであり、又同じ齣の玉芙蓉の貼の歌には、[br]
丹青女易描。真色人難學。[br]
似空花水月、影兒相照。[br]
情知畫到中間好。再有似生成別様嬌。[br]
若是姻縁早。把風流▲招。[br]
美夫妻図畫在碧雲高。[br]
と歌ってゐて、いづれも最後乃至これに準ずる一句だけは引き離しておいて、その他は[br]
ほとんど二つに折りたゝめるやうな形になってゐるのでよく証明できる。詞の例で見ても、[br]
たとへば姜白石が●●曲として有名な暗香・疏影の疏影を見ると、[br]
苔枝假玉。[br]
有翠禽小々、枝上同宿。[br]