講義名: 支那文芸学
時期: 昭和19年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ

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がなくなったと云ふからには、頭脳のはたらきも練習次第でいかやうにも変化できるかも[br]
知れないが、これは人間に言語といふ能力があるかぎり、その言語による思考能力を言語の性質[br]
とともに変化させることもできるからで、それぞれ一つの文化圏を形づくった民族の間の[br]
學術といふものは、決して簡單に他の民族に移されるものでなく、自然、哲學や宗[br]
教學や倫理學・社會學が抽象的に考へられることは、数學の場合の如く簡單[br]
にはいかず、むしろ文化圏別の學問の方が考へやすいかも知れない。ざっとさういふ意味で[br]
支那學といふものの存立が一應認識されたとすると、ここに支那學の一科としての文[br]
藝學が考へられなければならない。[br][brm]
元来、文藝といふものは、言語によって表現された藝術である以上、その定義にしてく[br]
づされない限り、言語の重要性といふものはこの藝術に於ては殆ど絶對である。しかも、[br]
地球上の言語といふものは極めて夥しい種類に分かれてゐて、同じ民族と云はれる人た[br]
ちでさへ地方が違ふにつれ多少づゝ異なる言語を持ってゐて、たとひ飜譯されば全[br]
然同じ結果になることでも、その間に微妙な差異のないことはない。まして、言語系統の[br]

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まったく異る民族・國がらに於ては、その言語藝術たる文藝の世界が相當著し[br]
く異ってきて、ちゃうど國家乃至民族がある地域に割據し――多少は出入や変動[br]
もあらうが――てゐるやうに、その文藝は自ら地域的に局限されることを免れない。そ[br]
の意味から云って、支那の言語のやうに他と違って著しい特長を持ったものでは、その局限さ[br]
れる範圍が著しく、又その融通性も困難となり、自然、獨自性が強まってくる[br]
のが當然である。支那の言語の特長を簡單に云ふならば、單音節語であり、又[br]
その自然の結果として、一切の語尾変化を持たない。勿論、西洋のことばでも、dog,[br]
catやbig, smallは單音節語に相違ないから、▲▲▲▲▲▲▲▲▲とあま[br]
り変りがないかも知れないが、と云って、それが發達して civilizationとなった形は支[br]
那語の「文」「化」を複合した形と同じでなく、smallest といふ形は「最」「小」を複[br]
合した形と同じでなく、かくして、増加された音節は支那語においては依然として[br]
獨立の音節であり、語尾変化に代るはたらきもすべて單音節語を重[br]
ねることによって表現される。これは、單なる言語現象として簡單に見すごされるやうな[wr]こ[br]

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と[/wr]ではなく、生まれ落ちてから死ぬまでこの形式の言語を使用して物を考へ意見を發表[br]
してゐる人間と、それが無限の長い時間と世代にわたって積みあげられた習慣とは、その[br]
民族の根本的なるものにまで成長し、もしくは蟠踞してゐるといっても好い。もし、西洋[br]
人や日本人ならば動詞の語尾を変化するだけで一つのアスペクトを表現し得た[br]
●としても、支那人においては常に別のあるものを附加しなければならない。自然、その間に[br]
存する規則的なるものが弱くして、必要に應じて自由に裁量し、少くとも理解される限りは[br]
その煩しさを免れようとする。しかも、さうした構造は常に個と個との連関に重[br]
点がおかれ、個を分析してゆくといふ作用はどうしても怠られがちになる。かくして、[br]
抽象的原則をたてることなしに、全体の譲りあひ、いはばその場その場の相談づ[br]
くで解決して行かうとする。かういふ精神が人間の生活としばらくも離れることの[br]
できない言語を通して流れるといふことは、その言語を使用する民族の生活が自ら[br]
その波動の中に浮き沈みするわけで、文藝のごとき言語を表現の媒体とするものに[br]
おいては、その影響は●●●想像以上のものとなる恐れがある。[br][brm]

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かうした相違点に中心を据ゑて見れば、むしろ一般文藝學といふものの成立を考へるより[br]
は、各國の文藝學を考へる方がてっとり早く、又確実性も多いやうに思へるが、ちゃうど日[br]
本語學があり支那語學がありドイツ語學がある上に言語學の成り立ち得るやうに、[br]
支那や日本やドイツの文藝學を別個に、あるひはそれらを通じた文藝學といふもの[br]
も十分考へられる。たゞその場合は、文藝が言語を媒体とする藝術に違ひないが、むしろ[br]
媒体がそれぞれ異ってもその根本に存する藝術自体の間に存する、ある永久不変乃[br]
至各國民に共通なる本質を追求することも許されるわけで、そのしごとは一面多くの[br]
困難を伴ひ、ことに多数の言語をともかく一應でも通過しようといふためには相當の[br]
努力が必要であるため、とかくある種の言語を媒体とするものに偏する傾きが[br]
あり、かの言語學と称するものも、実はインドゲルマン語族の言語學であったりしたの[br]
と、さして違ひのないやうなことが發生しやすい。つまり、同じ言語系統における比較言語[br]
學の發達と同様に、同じ言語系統の文藝の比較研究による文藝學、特にヨー[br]
ロッパ諸國の文藝學といふべきものが、われ知らず先づ現れてくるのは當然であるが、かくては、[br]

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われわれ東洋の國度に生まれた文藝は、いはゞこれに歯されないやうな嫌ひがある。尤も文[br]
藝學が先づ西洋に發生したことは、西洋文藝といふものがそれを醸しやすい本質乃[br]
至環境を持ってゐたことを示すもので、日本や支那はこれに便乘する形式になりやすい[br]
わけであるが、同時に、もし日本文藝學とか支那文藝學とかいふものが相當の發達を[br]
見るならば、それは西洋に發生した文藝學が決して真の意味の文藝學でなくして、結[br]
局は西洋文藝學にしかすぎなかったことを証明するものであり、このことは單に[br]
真の世界的な文藝學を樹立するための刺戟とし階梯として[br]
重要な學的意味を持つよりも、東洋人たるわれわれの自覺、ことに一番遅れ[br]
てゐた支那民族の自覺を促がし、かの空漠にして観念的なる支那文化の礼讃を[br]
清算して、支那文藝の真の味はひを世界に發揚する一助ともなることで、かくして共[br]
榮圏の友だちのために、その價値を正しく評價してあげることは、われわれの光輝ある務めの一つと考[br]
へてよいことだと思ふ。[br][brm]
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支那文藝學は支那學においていかなる地位を保つか、又いかなる地位を保つべきである[br]
か。考察は次にその方向へとむけられねばならない。この考察にあたって、先づ直覺的に感ぜら[br]
れることは、支那學があまりに文藝的であるといふことである。あるひは、文藝といふことばでは[br]
不當に流れる虞れもあるから、試みに似かよったことばである文學といふものを借りて見る[br]
ならば、論語に見える孔門の四科として、徳行・言語・政事・文學といふものがあげられ、文[br]
學に該當するものとして子游・子夏の二人があげられてゐる。これについて、皇侃の義疏に[br]
は、范寧の説として善先王典文といふ解をあげて後、自分の説として博學古文と[br]
称してゐる所を見れば、結局、古典學者といふことになり、その四科の標準をそのまゝ[br]
採用した世説新語の文學第四を見ると、鄭玄が劈頭にあげられてゐる。その鄭玄は馬融[br]
の門下に入ったが、三年も先生の顔を見ることができなかった。そしていつも高弟たちが[br]
代稽古してくれた。ある時、渾天の計算をやったが合はなくて困った。弟子たちたれ一[br]
人として解けるものがない。ところが、鄭玄ならできるといった男があるので招び出し[br]
て計算させたところ、一ぺんにできあがってしまったといふ話である。渾天といふのは漢[br]

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の中ごろに著名な天文學説で、天体は渾然としてまるく、地はその中に卵のやうに[br]
なって包まれてゐるといふ、當時としては思ひ切って進歩的な學説であった。さうして見[br]
れば、單に古典學を云ふだけでなくして、確に自然科學をも兼ねてゐたことが認め[br]
られる。勿論、古典と云へば古代人の記録である以上、あらゆる生活に必須なる[br]
知識を含むことも當然であり、その自然科學的なるものは、後世發達した自[br]
然科學の智識を以て解決すべきこと、ちゃうど今日の支那學者が西洋の日食[br]
の週期によって左傳を研究したりするのと同様な、少しも怪むに足らないことでは[br]
あるが、これらを文學といふことばで統括することは、かなり意外な心地がしな[br]
いでもない。[br][brm]
元来、支那は記録の非常に豐富な國がらであり、その記録はすべて漢字といふ[br]
ものの力を借りてゐるのであるが、少くとも孔子の時代には、その記録をば漢字にたいす[br]
る教養訓練によって解讀もし体得もすることは、讀書人といふことばが示[br]
す階級においては必須なしごとであり、自然、そのしごとに練達した人物が[wr]文學[br]

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者として[/wr]認められたわけであらう。その文とは、狭い意味で云へば字と同義にさへ[br]
考へられる以上、すべて漢字を以て記録されたものはその負擔に属するわけであり、[br]
この負擔を背負ひきることは、決して簡單なしごとでなかったと想像される。そのこ[br]
とは、とかくこの民族が懐古的であり非進歩的であることと重要な関係を持[br]
つものであって、過去にある夥しい文化遺産を持てる國が、今一つ思ひ切った態[br]
度に出かねるのは、まさに背負はされた荷が重く、足が前に進みにくいからである。[br]
ことに、あらゆる學術はすべて記録され、あらゆる記録はすべて漢字を用ひら[br]
れる以上、たとひ日進月歩とは行かぬまでも新鮮な學説が發表されても、や[br]
がてそれは漢字を通じた記録の篭の中に投げこまれ、それだけの負擔が解[br]
放されるまで新鮮な學説に手を出すゆとりがなく、かくして折角の天才が[br]
出ても、又は他の文化圏からたまたまにして輸入された学説も、遂に多くの古典[br]
記録の下積みとなる運命が待ちかまへてをり、いはゞ文字の研究に重点がお[br]
かれすぎて、文字によりて表されたる學問が虐げられてしまふ。文字が科學を混乱[br]

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させる以上、実に文字が科學を壓倒してしまふのである。[br]
はっきり云ってしまへば、あらゆる學問(今のことばで)を[br]
文學といふほどに文字の力乃至文の力が壓倒的に強いのである。[br][brm]
かういふ力をもった文といふものが科學の進歩を抑壓したであらうことは、あらゆる[br]
場合に証明できることである。科學は、要するに、ある現象の中から永久不変の真[br]
理を抽出して、その類型や系列を設定してゆくものである以上、科學を發達させるた[br]
めの思惟と、その思惟を宿すところの言語と、その言語を寫すところの文字が、できる[br]
だけ抽象化に適當であり、系列の設定に便宜であることを必要とするが、支那の文字[br]
とその文字に寫される言語とその言語に宿ってゐる思惟とは、世界の言語の中で、も[br]
っとも具象的なものであって、いはゞ最も非科學的性格を持ってゐる。西洋の言語[br]
でも、ギリシアの数を表はすことばは、一より十まではおろか、七十でも八十でも、一[br]
つの特別な符牒を用意してゐたが、これは一面、専門家にとって極めて簡捷に用を足す働きをも[br]