講義名: 支那文芸学
時期: 昭和19年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ

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ことを忘れる虞ができる。かの僻字僻典を用ひるのはその餘弊である。これも欧陽[br]
修の話し。宋子京と唐書を書いたとき、子京はしばしば僻字を用ひて舊文を改めた[br]
ので、欧陽修と意見が合はなかった。ある時、欧陽公は、[br]
 宵寐匪禎、北闥洪麻[br]
の八字を書いて子京に示した。子京はなはだ古雅だと思ったが、如何なる書物に出てゐ[br]
るかわからないし意味も通じない。欧陽公そこで、これが君の唐書の書きかたぢゃ、これ[br]
は夜夢不祥、書門大吉といふことさ、と云って笑ったといふ。つまり、簡浄高雅であって而かも相[br]
當な人に自分の意思をすらりと達せしめることがむつかしいわけである。それ故、同じ周作[br]
人氏の飜譯でも、後にはたとへば、[br]
 凍餓得●的抖●、向前莽走、可憐的女兒、正是一幅家苦生活的図面。雪[br]
 花落在美麗的長髮――披在両肩的好巻●髮上、但並不走到他。街[br]
 上窗●裏、都明晃々的照着燈火、發出焼●的香味;因爲今日正是大年夜了。[br]
 ▲、伊所●的正●這個! 賣●火的女兒アンデルセン(●大鼓ニアリ)[br]

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といふやうに、平易を宗として頗る讀者層をひろめ、初中学生の讀物として國語教科書にまで[br]
選ばれてゐる。今、この譯文を前の安樂公子に比べれば、句はかなり長いが、しかし魯迅の譯[br]
文に比すれば、決して彼の如く非常に長いものがないのみか、語法から行っても支那語の自然に[br]
即してゐるため、讀みての頭に一つ一つが沁みついて離れない。ことに支那語の例としては、同[br]
じことを云ふのに短ければ短いほど強いといはれるのは、一つの呼吸の間に多数の音節をふく[br]
む時は個々の音節の持つ強さが弱まるからで、ちゃうど元曲の●●の多い歌のやうに、[br]
ことばが多く出る結果、描寫は細かくなるが、強みや重みを缺くのである。と云って、[br]
文言と白話とは自ら違ふので、文言は一字が一概念たるため、自然その数は制[br]
限されるわけであるが、白話では二字ぐらゐなければ一概念を表はさないのが常であ[br]
るから、概念の量から云へば、必ずしも白話の十字が文言の四~五字より長いとは云へな[br]
いのである。單に文字の数のみで句の長短を論ずることは許されない。[br][brm]
なほ附加したいのは、一つの技巧ではあるが、文雅の中に俗語を交へたり、俗語[br]
のたゞ中に文言を入れたりして、反照の作用を取ることが行はれてゐるが、[wr]前[br]

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者[/wr]は例へば、張岱の陶庵夢憶に龍山放燈のことを叙して、[br]
 十六夜、張分守宴織造太監於山巓星宿閣、傍晩至山下、見禁[br]
 條、太監忙出輿笑曰「遵他!遵他!自▲們遵他起!」却隨役[br]
 用二▲角扶掖上山[br]
といったり、張東谷好酒の條に、[br]
 一日起、謂家君曰、爾兄弟奇矣!肉只是▲、不管好▲不好▲、酒只[br]
 是不▲、不知會▲不會▲。」二語頗韻、有晋人風味、而近有▲[br]
 父載之舌華録曰、張氏兄弟賦性奇哉。肉不論美悪、只是▲、酒[br]
 不論美悪、只是不▲。」字々板實、一去千里、世上真不少點金成[br]
 鐵手也。
といったりしたのでわかるが、後者は魯迅の孔乙己の多乎不多也の流で知る[br]
ことができよう。[br][brm]
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文藝の創作は感興の力に依ることが多く、東坡の臘日遊孤山訪惠勤惠[br]
思二僧の詩にも、[br]
 作詩火急追亡逋、清景一失後難▲[br]
とあるとほり、逃げんとする感興を●時に捕捉しなければならないものであるが、さて[br]
之を捕捉することは頗る困難で、その胸に起る微細な感觸はなかなか言詞もて[br]
達しがたい。されば、兪平伯はその文學的遊離與其獨在雑拌儿 といふ論文に於て、かゝ[br]
る苦悶の壓迫は自分も常に感ずる所であるが、推し廣めれば、古今幾多の文章[br]
巨子たちだってやはりこの網の中でもがいてゐたに過ぎない。書不尽言、言不尽意とは[br]
まさしく普遍永久にして彌縫しがたき終古の恨事である。しかも、さらに深く掘りさ[br]
げると、かゝる缺●の成り立ちはたゞ偶然の生み出したものでなく、文學の法相をばその[br]
基本原因とする。もし然らずとせば、決して普遍永久性を持ち得ない。創作の時の[br]
心霊は、自分の体験によっても、迫切の欲念、熟練せる技巧とが刹那に閃めく心[br]
や物と角逐することであり、一面は追●であり一面は逃逸であるが、結局は逃げて[br]

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しまふ方が多い、と云ってゐる。これは要するに、文學の力に限あることを説いたもので、苟[br]
くも藝術に徹したものならば、文學たると美術たるとを問はず、常にその事が云はれ[br]
る。然かも、美術にも自然を欺く傑作もあり、文學にも神来の筆として不朽の名[br]
を残すものがあるのは、恐らく、たまさかにその逃げる心と物とを捕捉し得たものに相違[br]
ない。琵琶記の▲糠の一段に就て、作者がこゝまで筆を進めた時、机の前の燭が左[br]
右からパッと寄りあつまったといふ怪談めいた話さへ傳はってゐる。あまりにも文に秀[br]
でたものは、たとへば司馬遷のやうに腐刑に処せられたり、左丘明のやうに目がつぶれ[br]
るとさへ云はれてゐるのも、その筆の力の恐るべきことを傳へたものである。われわれ[br]
が常に愛誦するものでも、たとへば西廂記の送別の一段とか、水滸傳の瓦官寺の[br]
一段とか、或は儒林外史の范進を寫したあたり、恐らく世界の文學にその水[br]
準をおくことができると信ずる。[br][brm]
かく希代の傑作が生まれたことは、その云はんとすることが人に秀で、その描寫[br]
の神に迫るからであるが、描寫の巧みなる例として、西廂記をあげるならば、[br]

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〔端正好〕碧雲天、黄花地、西風緊、北雁南飛、暁来誰染霜林砕、総是[br]
 離人涙。[br]
〔滾繍毬〕恨相見得遲、怨時去得疾、柳絲長、玉▲難繋、恨不得倩[br]
 疎林掛住斜暉、馬兒▲々行、車兒快々隨、却告了相思廻避、破題兒[br]
 又早別離、聽得道一聲去也、鬆了金釧、遥望見十里長亭、減了玉[br]
 肌、此恨誰知。[br]
の一曲の如き、たとひいかなる藍本があるにもせよ、かくも人の心を動かした作者の錦心[br]
繍腸は、たしかにねたましさを覺えしめるものがある。勿論、この中には相當誇張[br]
の筆もあるが、支那の如き誇張によって成立してゐる國がらでは、外國人が考へるほ[br]
ど誇張では無いらしい。総是離人涙といひ鬆了金釧といっても、その文字どほりに[br]
は取らず、必ず割引して受け取ってゐるのである。これが白髮三千丈ともなれば、[br]
連●成帷、擧映成幕、揮汗成雨國策ともなり、一顧傾人城、再顧傾人國ともなっ[br]
たのであるが、外國人には誇張にしても、本國人は必ずしもこの表現をそのまゝ理解してゐないと思は[br]

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れる。ことに、この種の表現は奇拔であるだけに、これを他人が摸倣したのでは全く味を失[br]
ひ、又、時を経るにつれてその刺戟が稀薄になる。たとへば、傾國の美人といったら、最初は非[br]
常な表現であったであらうが、その辞は、今や平凡極まる熟語に化してしまった。又、沈[br]
魚落雁羞月開花も始めてきけば大変な美人であるが、いつもこの表現では飽きてし[br]
まふし、一寸加へても高すぎ、一分へっても短かすぎるといふやうな表現も、始めてきいた時は[br]
感心するが、二度めは又かといふ氣がし、三度めにはいやになる。それはやはり、あまりに奇[br]
拔であり天外の奇想であるからであって、又それが和平を缺くことにもなる。[br][brm]
現代の文学者の中で、かういふ新鮮な表現によって人の意表に出るのは老舍であ[br]
って、汪●も、その趙子曰の冒頭から、たとへば、[br]
 天台公寓門外的両扇三尺見長、九寸見寛、賊亮賊亮的黄銅招牌。[br]
とか、あるひは、[br]
 眼前應當閃映着崔老板的大烟袋、和●順的那件在歴史上有[br]
 相當價値的藍布大衫。[br]

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と云ったやうな例をあげてゐるが、つまり、これらの尖鋭な表現によって全体を生かした[br]
ものである。又、新しい詩をとって見れば、徐梗生の修辞学教程に李金髮の[br]
夜雨孤坐聽樂をあげて 現代二ノ一[br]
 充満着詩情的夜雨、[br]
 我已往的悲歡之證人▲![br]
 ▲悉索的點滴、[br]
 打着抑鬱而孤冷的窗櫺、[br]
 打着園中▲睡的野艸、[br]
 刺着我已裂而復合的顆心。[br]
 我此時欲放聲高唱、[br]
 但爲初秋之潛力的忠告而中止、[br]
 我欲抱頭痛哭半▲、[br]
 但眼涙已涸如荒壑之泉。[br]

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主観的情感の飛躍を描寫するため、あまたの形容詞を用ひ、たとへば窗櫺には[br]
抑鬱と孤冷とを用ひ、眼涙には荒壑之泉を用ひたり、又擬人法を用ひて、[br]
たとへば夜雨を引きだして證人とし、野艸を▲睡するものと認めたり、さらには、[br]
普通の論理や経験の拘束を破って夜雨の悉索的點滴が心を刺したり、[br]
心が裂而復合したりするやうなことを述べた。もし特殊な形容詞を用ひず、[br]
普通の論理や経験に拘束されてゐるとすれば、その形は、[br]
 夜雨下在窗櫺和園中的野艸上、[br]
 這時我心裏很煩惱。[br]
 欲想放聲高歌、[br]
 但爲一種秋的潜力使我唱不出口;[br]
 又想痛哭半▲、[br]
 而眼涙又已經早乾涸了。[br]
のやうな極めて素樸な記述に終ってしまふことを述べてゐる。尤も、かうした尖鋭な、い[br]