講義名: 白話と文言
時期: 昭和17年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ
侭管鞭子很長那麼長総●不者馬的肚子……有那麼晋國強難道能違●天意麼[br]
といふ風にいはれなければならない。つまり「之」は前の「山之高」といふのとは異って「山ノヤウニ高イ」のでなく「山ガ高イ」といふばあいになる。つまり鞭や晋が次の白即ち不及馬腹とか能違天乎とかの主格になると共に「イクラ長クトモ」といふ條件的修飾を持つものである。かういふばあひに文言としては原則として雖晋(○)之彊(○)といふやうに一字おきに重みを加へて調子をとってゐるが白話では「之」にあたることばを加へようがない。「山」と「高」または「鞭」と「長」とをひきはなしてそこにゆとりをつける氣もちであってこれを白話に●●せば先には「這様」となり今は「那麼」となりその語氣を補ふことになる。わが國語ではすべて「ガ」を用ひて之を譯すべきである。しかもこの例は必ず一種の子句に現れることにきまってゐて[br]
吾之不遇魯侯天也 孟子[br]
民惟恐王之不好勇也 仝[br]
といふやうなばあひすべて子句たることを示すやうにできてゐて主要な句には決して主語と述語の間に之をはさむことはない。この点山之高とは同様であって左傳の……之●●とは合はない。これは一面において子句における主語と述語との関係は必ずしも主句におけるものと同じからず。いはゞ一種の修飾限定を示すものであってその意味から見れば主語といふことも十分ではなく鞭といふ詞と長といふ詞、吾といふ詞と「不遇魯侯」といふ詞が之によって●はれその後●が形容詞乃至動詞から名詞的に転用された形と見たか好いと思ふ。そこで始めて……之●と関係を持つ。しかし白話ではそのばあひに特別な標識を加へない。これは白話における文法的性格が複雑になって他の云ひまはしによって子句と主句との區別がはっきりするからであると思ふ。たとへば吾之不遇のばあひの我没能遇見魯國的君是出於天命的といふやうにはっきり示すことができる。この点はさきの聖之清者也とか是則罪之大者也と結局は同じことでたゞ前のものは――者とあって自分に堅まる性質であるから裏頭といふことが適當でありこれは先へのびるばあひであるから「那麼」ぐらゐしか入らないといふだけで前のばあひも次の詞が形容詞乃至動詞であるとその句が子句である限り國語では大体「ガ」と譯すことがよい(天下とか古とかは不適)。それが述語的であるとき天下とか古とかの時むしろ國語としてはやはり「ノナカデ」といふ方がまさってゐると思ふ。すべて「者」で終るかういふ形式のものはたしかに一つの
子句であるから先に述べた子句と相類似するのも當然といはねばならない。この例は更に[br]
三代之得天下也以仁其失天下也以不仁 孟[br]
などの●法によって更に強められる(大子句と主句との境をはっきりさせてゐる)からこのばあひには乃用仁的乃用不仁的といふ風にいはねばならない。[brm]
文言における「其」の字の用法もわが國では「それ」「その」といふ約束によりある暗黙の了解が行はれてゐてちゃうど前に述べた「之」の字を「の」「これ」で形づけてゐると同様な状態であるがその●●かゝる助詞的性質をもったものは文章の語氣を示し脈絡を明かにするため尤も重要なものでこれを忽にした結果原文の微妙な意味をとりはづして意外な失敗を招いた例が極めて多い。今「其」の字の用法として周善培の言文一貫虚字使用法にあげた場合を列挙すると(五つの場合の中一つをすてゝ四つをとる)[br]
(一)明知其人不可託、而敬託之、至於事●、其人不負責任也
明暁得那個人不好拜託、却●敬意拜託他、等至事情弄壞了、那個人不能●負責任的。
といふのは「那」「那個」「那一個」といふ白話に相當し[br]
(二)某君甚黠、其力不可恃、其語不可信、其心尤不可問、其人決不可交
某人很狡獪、他的力量靠不住、他的話聽不得、他的心●●問不
得、他的人一定不能●朋友[br]
といふのは「他的」といふ白話にあたり[br]
(三)将訪其君、先日作書、約其待我、如其無●、翼日更約、或●其在、就而詣之。
打算找某人、頭一天寫封信約他等我、如果他没有美、改天再約、或是趁他在家、将就去我他[br]
といふのは「他」といふ白話にあたり[br]
(四)●居民知悉、街中不得任意傾棄穢物、違者必罰、期各凛遵
●●住家人知道、不准隨意乱倒●街中間東西、不●話的要罰、你們対化小心●着●[br]
といふのは「你們」または「你」といふ白話にあたると称してゐる。この中の最後の份はいさゝか特別のもので専ら命令形の時に用ひられてゐる。これについては古く史記の高祖本紀の中にも高祖が天子になってから故郷の沛をすぎて故人父老子弟を呼びよせて
宴を張り沛中の兒ども百二十人に歌をうたはせ高祖自ら筑をとって[br]
大風起兮雲飛北威加海内兮●故●安得●士兮守四方[br]
と歌って得意の極涙を流して沛の父兄たちに云ふには遊子は故郷を悲しむものだ自分は関中に都しても萬歳の後にわが魂魄は沛のことを思ふに違ひない。それに朕ははじめ沛●●して●●●を課してから遂に天下を得たのだから[br]
其以沛為朕湯沐邑[br]
として人民は免税をするといふ最高の恩典を施したことがある。そこの集解に[br]
風俗通義曰漢書注沛人語初發聲皆言其、其者楚言也、高祖始登帝位教令言其、後以為常耳。[br]
とあるのは極めて興味ある事実で楚の田舍ことばが高祖の即位とともに一躍して詔勅のことばに押しあがったことになるのでもし風俗通義のことばが真なりとすればちゃうど元時代の詔勅が蒙古語の影響を受けたやうに而かもそれよりも●●以後の詔令乃至命令のことばに用ひられ地方の白話が堂々たる朝廷の文言に[wr]なっ
た[/wr]といふ面白い実例になる。して見ればこれは元來一つの發語の聲であって意味といふべきものもなく今の白話でも你とか你們とか命令のあひてを呼びかけて強くいふものにしか相當せず他の三つと全然系統が違ふことがわかる。
他の三つは那、那個、他的、他のやうに大体同義語で飜譯できる所を見るとこれは一つの系統であること明かであるが而かも飜譯がかやうに違ってくるのは文言では表現形式が分析されてゐないに反し白話では相當の分業が行はれてゐる結果である。就中第一の例は史記老荘傳の[br]
子所言者、其人與骨皆已朽矣、独其言在耳。[br]
最初の其を那些人と飜譯するばあひにあり第二の例は次の其を他的と飜譯することによってその差違を伺ふことができる。つまり一つは其の代表とするものが其の下に重ねて現れたばあひで他はその所有するものが現れたばあひである。してみるともし最初の其も他的性命和骨頭と飜譯すれば二つが全く帰一してしまふのであり恐らく司馬遷が文章を書く時もこの二つの其はまったく同一のものと認めてゐたと
想像される。して見るとこの二つは素質的の問題よりもむしろ組合せの詞と「其」との間の関係にすぎないことがわかる。之に反して(三)の用例はやゝ複雑でこのばあひは次に動詞乃至述語が来て其はその述語に對する主語の位置を占めるものであり而かもかくして作られた主語述語は独立文として存在するのではなくして正に子句であることを表現してゐる。その例は史記の十二諸侯年表序に[br]
齊晋秦楚「其在成周」、●甚。[br]
とあるのは其を以て齊晋秦楚を度けて母句の中に子句をはらみ「齊晋秦楚之―在成周也」といふ氣分を示すものであるがそれが短く且つ母句にふくまれる形式において主語を「其」に短縮するものである。これは更にその上に「此」や「是」のやうなものが前文を承けてゐるばあひでも同様で荘子秋水の[br]
天下之水、莫大於海、萬川流之、不知何時止、而不然、尾閭泄之、不知何時已、而不許、春秋不変、水旱不知、此其過江河之流、不可為量●[br]
といふ文でも此を以て前文を承けて更に其過江河之流といふ●句をはらませたもので
黎氏がこの此を以て像這様那麼と譯してゐることも参考すべきである。又漢書東方朔傳には[br]
是其不可也一也[br]
とあってこれも是として全体を示し「其不一の也」としてその特点をあげた形であるし又荘子駢拇には[br]
彼其所殉●我也則傳謂之君子其所殉貨財也則傳謂之小人。[br]
といって彼の下にあり注の心もちを示し荀子の議兵には[br]
為人之主上者、其所以操下之百姓者無礼義忠信焉慮率用賞慶刑罰勢●除阨其下、獲其功用而已矣。[br]
といって前の名詞句を母句としてゐる。[brm]
こゝで實用的に注意すべきことは周氏の云ふやうに前の名詞又は名詞句のばあひならば其の字はすべて彼に改めて好いのであるが(周氏は一般に其を彼に改めると称してゐる)彼の字はその下に動詞を加へてたとへば[br]
他的房子=彼之居 其居
你説他嗎=子謂彼乎
這個東西是他的東西=此物為彼者 其物(此為其物)
你為什麼不如他哪=子何不若彼也
如今●●暁得地了=今乃知彼矣
他如果愛臉=彼而有恥
他却是不像你=彼則不類●
の如きばあひは何れも其を用ひることができない。これが彼と其との差であると説いてゐるがもし之を其に改めるとすれば其居、其物の如く直に接續できるばあひ――即ち他的といふ時の外には其を以て代へることができずそのばあひすらも全く助詞を棄てる外はない。勿論、其を動詞の目的語に用ひること(古書には稀にあり大くは用ひぬ)主語に用ひる時も独立した文の主語としては用ひられない。又前にも云ふ如く――□之――□也の形式で表す子句は主語として彼を用ひても其を用ひず其を用ひる時は必ず之を用ひない。[brm]