講義名: 白話と文言
時期: 昭和17年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ
應じた思考感情を盛るといふ使命を持つべきものでこれを離れては現代にもなほ文言文が存在するといふ理由はなく自然古典の持ち味とは同じくない。勿論文言はその獨自の性質に本づいていきほい過去の型に頼り擬古的性質を持ちやすいがこれも自ら制限のあることであっていはゆる尭典や舜典の文書をつヾくっただけで現代の文言が成立しえないことは明かである。同時に古代の口語について十分な資料がなくとも漢字をのみ媒介としない口語においてはその時代的変化が相當大きいことは豫想される。これは一面支那の現在の状態から見ても判断できることで各地に分布してゐる。支那の口語は相當地方色が濃く現れたとへば廣東人と北京人とは話が通じないといふやうな実例が多く學生の同郷車同志で密談したり或はレボを交換するとき方言を利用した話が多い。これに反して文言で書けば大体すべての人に了解できる約束になってゐることは即ち縦にひろげた支那語文の状態をも推●せしめる現象である。たゞ今日以後の漢字を通したことばといふものは必ずしも文言文に限らないことは今では標準語の語法で書かれた白話小説が支那各地を風靡してゐるのみならず過去においても北方語で書かれた紅楼夢や儒林外史がまったく方言の違ふ人たちに耽讀されたとひ発音は[wr]北
京風[/wr]でなくてもよくその個中の味を覺らしめたことは言語系統を同じうする民族ならばこそであって日本語でそのやうな效果を企てることは非常に危険を冒すものである。
文言と白話との関係について一歩を進めようとすれば勢い支那の言語組織における彈力性について詳しく考へねばならない。支那語の基礎単位が単音節であることは今日に至っては多く疑ふ必要のないことであるがその單音組織は決して絶對に融通のきかないやうなものではなくある観念を示すばあひに自由に複音構造を取り得るゆとりがあるのである。これと云ふのもその言語が単なる単音といふばかりでなく同時に屈折をもたないといふ特性にも関係する。いはゞあらゆる音節は常に同一の分子として平等な立場においてそのあひてを求めるといふ状態におかれるのである。同時にかくして求められたあひても結局は独立した音節であってこれを併せて一つの詞とすべきかそれぞれの詞の立場を認むべきか問題となる所で実はその分別の容易からぬことを覺えるのである。たとへば同じく緩急の二字が連續して使用されてゐるばあひにはたしてこの二つの概念が對等に用ひられたのかその中の重点が緩に●して急はこれに吸収されたのかそれとも重点が急に●して緩はたゞそのひきだし役にすぎないのであるか如何にしたらこれを判定するかと云へば単にこの二字だけでは判定のしようがないのであってこの二字がたまたま使用された所の文章につきその前後の関係から判断せねばならない。たとへば史記の●●傳序に[br]
且緩急人之所時有也[br]
とあるばあひに人として緩かなこともあり急なこともあるといふ●●も成立せぬことは勿論ない。しかし●●傳●して述べようとすることは遊侠といふものはその行為は正道に合はなくともそのことばは信義を重んじその行ひは果断で一旦承諾したことは必ず真面目にやりとほすといふ風に好いところがあるものでその上人間にはまさかといふこともあるから遊侠といふものは社會に必要なものであるといふことを説いてゐるのであって前に述べたやうな原則的解釋などをしてゐるゆとりのある所でなくことに序文として遊侠の説明をした後にたヾ一句だけこのことばを添えてある所に司馬遷の強い●法が存するのであってこゝでは文氣が前文の反動として逆立って身に迫るところである以上讀者が真に文の妙味と知る以上にはもはや何等の疑なしに済むところと思ふ。●くも教育勅語に一旦緩急アレハと宣はせられたのも正にこの意味の用法であると拜察される。しからば何故に単に急とさへ云へば済むことをわざわざ緩急の二字を以てあらはしたかと云ふことであるがこれには二つの説明が考へられる。第一はこゝで単に急の一字を用ひたとすれば[br]
且急人之所時有也[br]
といふことになりまづ語調が和を失ふのである。何となればこの文を前に述べたやうに長い遊侠の説明の後を承けたもので長い一段と次の短い一節との間にある連接の語――同時に分割の語を必要とする。これが且の字である。それ故且の字ではしばらくゆとりをつけねばならない。更にその下を望むと人之所時有也といふ六字は人時有といふ三字だけが必要な概念を示すものであってその外の之、所、也はたヾこの概念を連関させる作用だけしかなく場合によっては人時有の三字だけ使用されないでもないが今こゝにこれを六字に伸したのは全体の空氣が強い中にもゆとりのある●法である。もしそこへ単に急の一字だけをおくとせば語調の上からむしろ急人といふ風に連なる恐を生ずる。即ち性急な人物が時々起すことだといふ風に解釋される恐れがある。それ故この文に存する偶数的関係から云へば――人之、所時、有也――となるのであるが――序ながらかゝる句讀の切りかたは極めて奇怪に見えるかも知れない。しかし支那語の句讀は勿論その意味を示すべきものであるが意味は決して音調を度外視すべきものでなくむしろ音調を示しつゝ意味
の段落を表すのが支那語としての特徴といふべきもので且急人之所時有也といふやうなものは勿論常に一句として扱はれるものである。しかしこの一句の中に更に細い息の入ればしょがあるのであって極端にいへば一字即ち一音節ごとに息が入るといふか音の調節作用が行われるのである。即ち音自体の音節的まとまりをつけるための運動と新しい音節のための準備行為とが瞬間にして行われなければならずこれに四聲の差が加はる時自然に生ずる節奏こそ支那文学の基調をなすものであるがこの一音節づつの転換が●にいくつかの束になって行はれることが常であり殊に単音節であることが却って複音節を呼び出しやすいため多くは二音節づつにまとめられる。この場合はそのまとめ方を少し誇張して示したものでかかる構造が理會されるとせば急の一字が単独に理會されにくく急人―之―といふ形式に●●れやすいことがわかる筈である。第二はそれならば何故に急者とか急難とか云ふ二字で専ら急の意味を示すものを使用せずに緩急のごとく正反對の概念を用ひたかと云ふにこれこそ文字の持つ反発力を利用したものでこの文を讀むものがもし自然に讀み下すとき當然最初に「緩」といふ概念が文字と通じて心に映り次に全く[wr]正反
對[/wr]の概念たる「急」が再び文字を通じて心に映ることに両者の相剋から一層「急」といふ概念がはっきり映寫される。ちゃうど縄をゆるめた後に引いた強さは最初から自然の縄の状態による引きかたよりずっと強く感ずるものでこれがこのことばの精神たる以上順序は必ず緩急であって急緩ではあり得ないのである。その点あるひは今日の支那語における看見とか硯臺とかが第一音節に重点をおいたものと正反對に見える蚊も知れないが看見や硯臺はそれだけで一つの概念であり第二音節は第一音節の意味を補完するか乃至は識別するかに利用されたものであるが緩急の如きばあひはそれぞれが一つの独立した概念を持つものであってかゝる場合は緩急の如く第二音節に重点をおくことは上の概念によって下の概念を引きだす関係上自然の現象といはねばならない。[brm]
これらの問題を考へるについて近来の名著として推奨することを憚らないのは故湯浅廉孫先生の初學漢文解釋ニオケル連文ノ利用と云ふものである。これは「初學」とはあるがよほど高度の内容をふくむものであっていさゝかその内容を紹介することも徒爾でないと信ずる。そもそも連文はまた連語とも云はれこのことを訓詁として提倡したのは清の王念孫父子[wr]であ
って[/wr]王念孫はその讀書雑志の●●●●に「連語」といふ標目をたて[br]
すべて連語の文字は上下ともに同じ意味であって分けて訓ずることはできない。しかるにこれを説く人は文字を見て意味を考へ往々にして穿鑿に陥りその本務を失ふことがある[br]
といっていろいろの例を示してゐるがたとへば陵夷といふことと邱陵がだんだん平になると解したり儀表といふことを祀儀の表●とか儀刑の表記さるべきものとか解したり●慮とは大体で小さい計慮がないとか解したり感●とは感●が狭くて小さい●●をなすとか解したり魁梧とは驚悟するほどだと解したり狼戻とは狼の性質が貪戻だと解したりすべて同じ意味の文字をとって強いて區別をするものであまり深く●けば突くほど遠くへ逃げてしまふいはゆる大道多岐にして羊を失うものだといひこれを讀書雑志の末尾にあててゐる。又王念孫の子の王引之は経義述聞の三十二巻に経傳平列二字上下同義と題してたとへば周易の裁成の裁を節とか財とか解したり宴息を宴寝に入って休息すると解したり尚書の威侮の威を虐と解したり昏●の昏を乱と解したり詩経の謂我宣驕の宣を示と解したり我受命溥将の将を助と解したりするやうな例を無数に列挙してゐる。[brm]
以上の如き連語に関する古人の研究に本づきほとんど生涯の力をこめて研究の歩●を進められたのが湯浅先生の著述であって近来の軽薄なる撰述多き中にあってたしかに一服の清涼剤である。湯浅先生は連文の特質として左の四点をあげてをられる。[br]
(一)連文の文字はおほむね二字から成り立ってゐること[br]
(二)その字は全然同じ意義であるか又は同じ意義を共有してゐること[br]
(三)その字が全然同じ意義であればそのまゝ結合するがもし同じ意味を具有するばあひはその同じ意味を紐帯に結合されること[br]
(四)その成立の要素たる二字は渾然たる一義として讀むべきでその地位が上であり下であるかによって違った意味によんではならないこと[br]
以上の四つの條件にあてはまるものを以て連文と称しこれを解釋上に利用されようといふのがその主旨でありその説に至っては多年の推敲に成り間然すべくもないが特に吾人の注意すべきことはなぜかくの如きものを生じたかと云ふことでその原因として特に擧げられたのは多義●る漢字の意義を●●する作用である。即ち隠の字について隠蔽といひ隠匿といひ隠伏とい
ひ隠微といひ隠儀といひ隠●といひ隠憫といひ惻隠といふことによって隠の字の多くの意義の中で正にどの一つを採ったかを説明し得るとする。このことは古來の経傳注疏に慣用された手段であって假に尚書皐陶謨の●●についても●の愿而恭にたいして愨愿而恭恪といひ簡而虚にたいして性簡大而有虚偶といひ剛而塞にたいして剛断而實塞といひ又傳には経の萬歳について幾微也と解してあるにより疏では萬種幾微之事といふ風に説いてある。つまり昔からの注釋が直接□は□也の式で解いてないかぎりすべてこの方法で布衍されてゐるといふことも云へるわけである。湯浅先生のたとへに一點を貫く直線は無数あって一定の方向を示さないが二點になれば方向が一定するとあるのは正に適切である。たゞし支那語における熟語の成立にはかくの如き全然同意義乃至これに吸収されるやうなものばかりでなく互に助けあって別種の意義を混成してゐるやうな場合もある。たとへば聰明といへば耳の聰と目の明とを含むものであるがさりとてこれがまったく縁故のないものではなく尚書の疏にも耳目の聰明と説いてゐる。(勿論今の普通語として用ひられる聰明の二字はもはや耳目それぞれの分擔を考へ図に賢いといふことに混然一体となってゐる。)又「達于上下」の上下は傳にも「貴賤」とあってこれ●ほとんど反對と見える二つの概念をつぎ合せて一つ