講義名: 白話と文言
時期: 昭和17年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ

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といったやうな當時の口語がそのまゝ文に載せられてたゞに口語資料として貴重なるのみならずその歴史を繍く者をしてほとんどその人を見その聲を聞く如き感あらしめることはまことに文學としても妙を極めてゐる。その他女子に関することは多く當時の俗語をそのまゝ使用してゐるところが多く後漢書皇后傳などが今日から見て不明の点が多いのは口語を多く交へてゐるからであるといふ。[brm]
 それ故重ねて史通の言を引けば[br]
夫天地久長、風●無恒、●之視今、●猶今之視昔、而作者皆法書今語、●效昔言、不●惑乎。[br]
といふのがまさに卓見といふべきであって支那人の尚古思想に頂門の一針を加へてゐる。たゞし史通自身の文章は唐時代の文とは●しながら全く四六の体でできてをりこれは當時通行の文体であっても決して自然に思考を法度としむるに適したものでなくいはゞ候文の手紙の如き心地するものである。かゝる●●文体を驅使してかゝる進歩的意見を吐くといふところに大きな矛盾が認められる。たゞしこの矛盾は支那語のあるかぎり大なり[wr]小な

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り[/wr]免れない所であってひとり史通の●●のみを責むべきではない。われわれはむしろこの候文の束縛に屈しない●●い思想を唐代に見出すことを喜ぶのみで足りる。

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 文言と白話との相違として第一に考へるべきことは語彙の異同であってこれにも文言のみに使用されるもの白話のみに使用されるものまた文言白話ともに使用されながら或は文言に偏するもの或は白話に偏するもの而して文言白話を通じてたゞ一つしかないものといふやうにさまざまのばあひがある。[brm]
 今極めて普通に物の名称を示すために考へられたことば――名詞といって好いものにつきいろいろの例をあげて考へて見るとたとへば[br]
 「犬」のことを普通白話では「狗」といふ。「犬」といふことは白話として殊に口で言ふばあひは絶對に使用しない。もっとも文言から來た「犬馬之勞」といふやうなことを口で言ふことは敢て妨ないが口で我家裏有一個犬といっても通用しない。これに反して狗の方は文言にも使用される。走狗とか狗盗とかの熟語は申すまでもなく大狗といひ黒狗といひ牽狗といひ弄狗といひ常に用ひられる。しかし文言では爾雅にも未成●狗といふ如く●さい犬を狗といふことが多くたとへば弄とか牽とかいふことばに對しては犬よりは狗の方がよくうつる。

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犬馬といへば骨折る方に解せられ狗●といへば慰みのやうに解せられる。[brm]
 狗盗とか走狗とかいふことも決して大きな犬を聯想させるものではない。いはゞ文言の小さい犬について考へられたことばが白話ではすべての犬に適用されたものでたとひ大きくとも大狗といふと共に小さい時は狗兒または小狗兒といふ。兒化の現象によって文言との對應をなしてゐる。もっとも文言でも大狗といへるのはことばが類型を追うて擴められてゆく関係であるか或は狗の中での大きなものであるかも知れない。[brm]
同じ家畜であっても猫や馬になると文言白話の区別がなく常に猫であり馬であり精々が兒化によって小さいとか可愛いゝとか云ふ氣分を示すだけである。馬には駒もあるがこれは白話には用ひられない。むしろ馬駒子といふ。つまりいぬのやうに古くから二種以上の類似したものがあるわけでないからどこまでも一つで通してゐるのである。しかるに虎とか狐とか鼠とかいふものになると決して●●●●●●といっただけでは了解されずに老虎とか狐狸とか老鼠とかいふのは耳できくばあひに●●や●●の如く一音節で了解できるほどはっきりと概念を占據してゐないために他の音節を添へその助を借りるのである。これをさらに類別して見ると[br]
  馬、牛、羊、驢、象、鹿、狼[br]

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などは一字で占據してゐる概念と一音節で占據してゐる概念とが完全に一致したばあひであり[br]
  狸子、鴨子、燕子、蟲子、蝎子、虱子、獅子、鴿子、蚊子[br]
の如きは子を加へた形であり、[br]
  鳥兒、●兒、兎兒[br]
の如きは兒を加へた形であり[br]
  老鼠、老虎、蒼蠅、●蚤、螞蟻[br]
などはある性状を示すものを加へたものである。就中老は尊敬したり親しんだりする心もちを示し蒼はその色で●は●●のごとき感覚をもち螞は段氏が説文解字注に馬や牛のついた草はたいてい大きいとて莙牛藻也とか葴馬●也とかいふ説解に●●る証明を下してゐることに對して考へれば正にこれも大きな●●といふことが本かも知れない。螞蚱といふのも同様であらう。[brm]

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 次に数と言ふことばを考へて見ると文言では概して短く言わむとするため白話のやうに一十とか一百とか一千とか一萬とかいふばあひの一を加へないものが多く(一百●銭を百元といふ如し)零の字も用ひない。二を両といふことは文言にも見え古來用ひなれたことであるが比較的にといへば二の方が純文言的であり両の方がやゝ白話に近い氣もちがする。それはたとへば二日(ふつか)間といふことを白話では両天といふが二天とはいはず文言では二日とも両日とも云ひ二時のことを白話では両點といふが二點といはず文言では二時といって両時といはない。今日普通の白話で五毛六といへば五十六銭のことであり一百五といへば百五十のことであるがこれは古い書物にも見えわが國でも云ふ●●丈六とか丈八の蛇矛とか又は尺一の符とか●●韋杜、去天尺五とか乃至尺八といふ如き類の單位のとりかた(小数点式である)として現はれてゐる。これらは文言とのみ云ひ切ることはできないが一面には数の単位のとりかたについての支那人の習慣に負ふとともに小数点以上の単位は必ず一であって之を省略し小数以下では逆に数を残して単位を削ったところに二字

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にまとめる●●には絶好の方法ができたと思はれる。[brm]
 白話ではいはゆる量詞といふものを用ひ一個人二個月三個朋友四個礼拜五個雞子兒六個銅子兒七個孩子八個椅子九個石頭十個鐘頭の如き言ひかたをするが文言では一人二月三友四週五卵六銅元七子八椅九石十時のやうに個を用ひないのみか大体は名詞も一字に減じてその数字と併せて二字ぐらゐにつまられてしまふ。たゞし銅元の如く他に言ひまはしのないものは一字でいふことはできないけれども同時に銅元六枚といふやうな方法で二の枚数をとることも考へられるがこのことは語●の異同として後に述べる。同様に一匹馬が一馬となり一句話が一言となり一件衣裳が一衣となるやうな量詞を入れず名詞が一字で合せて二字といふ組み合せが常に行われる。たゞし一砲といふ所を一門砲といひ一剣といふ所を一口剣といひ一雨といふ所を一陣雨といふやうなことも文言に許されてゐるのは最も●●●る働きを重んじたばあひである。こゝに唐詩に欲●千里目更上一層楼といふのは千里と一層との對偶をきかしたに相違ないがもし一楼といへば一個楼の意味にならないのでこの層は是非なければならないものである。[brm]

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 序数についても頭一個とか頭一次とか頭一本とかいふ言ひかたは文言には第一とか第一次とか第一本とかいふがこれを二字につめるには初次とか首冊とかいふ言ひかたがある。また第一章といふのを二字でつめるには學而第一の如き言ひかたもでき一章を大学の右傳之首章釋明徳右傳之二章釋新民といふ言ひまはしをし中庸では右第一章右第二章といってゐる。しかし面白いことは「傳之首章」の四字と「右第一章」の四字とがつりあふので大学の「右」の字が中庸の「右」の字よりも離れてゐることを注意して欲しいのである。支那の文言にはかゝる●●心の注意が拂はれてゐる以上讀むものもそのつもりで味はうことが大切である。又兄弟の順序を云ふのに白話では大以下数をいふ習慣は久しいもので唐詩の題に送薛大赴安陸、送元二使安西、初至巴陵与李十二日同泛洞庭湖とかいふ類の表現が常に使用されてゐる。●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●。これが今の大哥二哥などと同じものでわが國の太郎二郎の淵源に相違ない。しかし純文言ならば長兄次兄三兄とか長姉とかいふのが常である。又不定数を言ふばあひは幾個人を数人といひ二百多人を二百餘年といふ。

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十來年にあたるものは十年許といふやうな言ひかたが大体近いといってよいかと思ふ。文言にて學生等と畏怖ことは學生們となるが飛機等と畏怖ことはないで飛機們とか飛機●麼●とか飛機之類といふ。文言から來たことが用ひられてゐる性を示すには公、毋を用ひずして雌雄牝牡を用ひるが用法は全然同一である。[brm]
 代名詞についても文言白話共通のばあひもありそれぞれ分限されてゐるばあひもある。特に人称代名詞においては大体一つの語源から派生したものが多く一人称の我と吾は雙聲であり余と予とは同音である。その中白話も用ひられるのは我だけでありその他は文言のみに限られる。就中「吾」については若干慎重を要する点があって馬氏文通にもたとへば[br]
  吾甚慙於孟子 孟子[br]

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のやうに主語として用ひられたもの[br]
  王曰何以利吾國大夫曰何以利吾國士庶人曰何以利吾身 孟子[br]
のやうに修飾語として用ひられたもの[br]
  楚弱於晋、晋不吾侯也 左傳●十一年[br]
のやうに否定文で用ひられたもの(否定の形式では代名詞が動詞に先だつのが古代文の特色である)はあるが介詞の後に用ひられたものはわづかに[br]
  夫子嘗與吾言於楚必是敬也 成十六年[br]
の一例しかないのみか孟子では同じことを[br]
  夫子嘗與我言於宋於心従不忘
と言ってゐるので常ならぬことがわかるし他動詞の後には絶對に用ひられない。又二人称について言へば爾女汝而你などの中你は白話のみ、その他は文言のみと峻別されてゐる。そのすべては同音または雙聲と認めてよいものばかりである(就中而は吾とをなじく主語乃至修飾的に用ひられるだけで他動詞の後には用ひられない)この[wr]現