講義名: 白話と文言
時期: 昭和17年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ
子句を示すための今一つの形式は者をもってその句を承けることでたとへば[br]
衆人都看不起我什麼●●呢 一定有對不起人約事
人皆詬痛我者 必有負人之事
の如く又[br]
我不敢苟取一芥者恐人議我為盗
我不敢隨●拿一根草什麼●取呢 怕人説我是強盗
家道不昌者 家人不睦之效
家裏運氣不好 什麼縁故呢 自家人不和氣的●●
の如き文例によって什麼縁故呢と譯し得るがしかし一面は――的縁故是――といふ形式に譯しても好いことである。すべて――者で終るものは前にも述べるやうに口語の的にあたるわけで更に詳しく云へば的縁故とか的事とか的東西とか的時候とか的地方とか的意思とか云ふ内容に分けられる。なほ[br]
上海者互市之第一埠 上海這個地方同外國人做生意的頭不瑪頭
耶蘇者欧美人無不崇拜之 耶蘇這個人欧州美●人没有不尊敬他
といふ如き飜譯も用意しておかねばならない。これは主語を名詞的に説明するばあひに切りめをつけるもので古文では●●●者天地也のやうに也と應ずることが多い。なほ者に終る子句のばあひに主語と述語との間に「之」をはさむことは差支ない。[brm]
以上、子句の成立を説いたのであるが文言の子句において馬氏文通の一言が思ひ出される。それは[br]
接續代字頂●前文、自成一讀也、一其字、独字有三雖讀首、二所字常位讀領地、三者字以●讀脚、三字所指、不一其●、而用法殊焉。
といふことでいはゆる接續代字とは即ちRelative pronounの譯語であって馬氏が韓文贈雀復●●の雖然此遠之小民、其足●未嘗至城邑、苟有不得其●、●自●於●吏手結自●於知吏者、●●況●自●於刺吏●●乎を評して其に●する讀がまぢると文勢●●下續両句再跌一●可法といふ如き文が波をつけて展開するばあひに應用できる。就中其の如く●の頭に來るものは正しくRelative pronounの性質を持つものであるが所と者とはいさゝか同じくない。所のことは曾て支那語法通論を講じた時に支那語の特質を明かにするための実例として詳細に述べたことがあるから今回は詳しくは申さないが元來所の字は動詞の上に來てその動詞を名詞化する作用をもつもので一種のinfirutiveを作るべきものである。たとへば荘子天運の[br]
彼人之所引非引人也
の如き人之所引で一つの讀をなしてゐてその意味はそれは人が引くもので人を引くのではないと云ふ。つまり所引の引はその讀の主語である人から云へば能動としての述語であり全文の主語の彼から見れば彼は引かれる――印を被動といふ関係に立つ。これを白話で云へば那個是人拉的不是拉人的でとなる。その他[br]
小人所悦即君子所憎
の如きも壞人喜歓的就是好人討厭的となり白話ではほとんど形式をくづしてしまふことになる。たゞ白話の的と同じ位置を保存しようとすれば小人悦者即君子憎者としても意味は通ずるが文としてはまづい。今の白話で我所戴的帽子とか所●的是身体不●●とかいふのはまさしく文言の名残りである。[brm]
白話にて是といふべきばあひに文言では多く爲を用ひる。元來「為」の字は平聲に讀まれるばあひは下に目的語を持って「作る」といふ意味を用ひられるとともに又「……である」といふことにも用ひられる。たとへば論語の[br]
子●誰
の如き您是誰といふ白話にピッタリ嵌まる。しかし又史記孔子世家のやうに[br]
孔子魯人其先宋人也
のやうに文の中間では為を省き最後に「也」を加へる形式もある。むしろ純文言としては後者を選ぶべきであると思ふ。今の白話では絶對に是とはし得ない。論語の如きは前述の如く半ば白話に近く而かもその會話をうつした所たとへば[br]
●●「夫執●者為誰」 ●●「為孔丘」
といふやうな問答の形に於てその本質を示すことができる。しかし一つ注意すべきはこの問答の次に[br]
長沮「是魯孔丘與」 子●「是也」
といふ二つの是は決して今の白話の同動詞の是ではなくてむしろ那是魯國的孔丘嗎?是的と飜譯すべきである。たゞ六朝ごろの文献には文語に於て是を用ひること今日の是(同動詞)もまったく同様なものもある。その例としてあげられるものは世説新語の中に鄧攸といふものが避難する時に己の子をすてゝ弟の子をつれて逃げた後揚子江を渡ってから妾をめとったが後できゝたいして見たところ[br]
妾具説是北人遭乱憶父●●●乃攸之甥也。
といふ記事がありこの「是」はまさしく今の白話と一致してゐるから是の今日の用途は相當古に遡るものと想像されるし史記刺究傳の此必是豫譲也といふ例も少ないながら発見される白話の同動詞と認められるもので是の外に者、在があるがその用法は文言も全く同じである。[brm]
次に否定の形式は白話の不はそのまゝ文言にも用ひられるが白話の不是は必ず非の一字を以て表すし没、没有は未、未有または無で以て表すだけの相違にすぎず
子非魚安知魚之楽 荘子秋水
軍旅之事未之學也 論語
未有仁而遺其親者也 孟子
夫諸侯之會其徳刑礼義無國不記 左傳僖九年
などの古典を見ても寸毫も違ってゐない。[brm]
こゝに一つ問題として考へられることは動詞の賓語の位置であって所謂●●●●●●●●のばあひに人といふことばが先きで物をいふことばが後のことは常であって(廣東語を除く)[br]
子●不得與人燕 不能交給人燕國
といふべきであるが之を変じて人を後にするときは[br]
子●不得與燕於人 不能交燕國給人
となり更に之を変化せしめると[br]
子●不得以燕與人 不能把燕國交給人
といふ形にもなるがこれと同じやうに見えるもので白話の子●差不●把●滅了といふのをもし子●●以●滅矣といったら甚しい誤譯である。この点はよく注意すべきで文言において「以」
をもちゐて先行させるのは送とか交とか付とかいふ雙賓語をもつばあひに限られてゐるが白話では把を用ひて先行させるばあひが相當廣範圍にわたってゐる。――語形さへ整へばほとんどすべてのばあひと言っても好い。語形を整へるとは把門開といはずに把門開々といひ把他愛といはずに把他愛上了といふやうな動詞を重くする言ひかたである。又この把はやゝ古い白話では将といふ字を以て示されてゐる。たゞ馬氏文通に秦第の[br]
蘇秦始将連横説秦惠王
の将を以て「以」即ち「把」と解いてゐるがこれは始将連横、説秦惠王と解すべしといふ説がある。して見れば将の出現はも少し遲くなるかも知れない。たゞ一つ興味のある問題は固より極めて特別な例であるが尚書に[br]
今予将試以汝遷 盤庚
我不以後人迷 君奭
といふのは正しく遷汝、迷後人の賓語を提示したものでして見ると或は古典に残った
この句法が案外今の白話の把你們●去●把後來的人迷了の源となしてゐるかも知れず又今日では恰かも文言の代表の如く考へられる尚書が實は當時の白話を寫してゐたといふやうな事実が発覺するかも知れないと思ふ。[brm]
次に否定のばあひにもし代名詞が賓語であると古代の語法ではほとんど例外なしに代名詞が動詞に先だってゐる。その最も興味ある例は詩の周南汝場の詩の[br]
既見君子、不我遐棄
について孔穎達の疏に[br]
●云不遐棄我、古之人語為倒、詩之此類衆矣。
と述べてゐることから推せば唐のはじめにはすでにかゝる規則が失われてゐること確実であって今日でも文言として意識されたものにはこの方法をそのまゝ用ひるものもあるが白話では全くその例がない。これは恐らく古代の語法の複雑性が近世に至って磨滅したものと見るべきである。而かも語法として磨滅したものが文法として存在する所に支那らしさを知ることが許されようと思ふ。[brm]
次に疑問文の諸形式も大体白話と同様で[br]
(一)白話で嗎を加へるばあひは文言では乎、歟、耶をかへる。自然不是……嗎といふ時は非……乎と云ふ。
(二)白話で是……是……といふばあひは文言では……歟……歟と云ふ。
(三)白話で肯定の次に否定を加へるばあひは文言では「否」の字を加へる。
(四)白話で疑問詞を用ひるばあひは文言では幾、何、何時、誰、何人、如何などを用ひるがこゝでも疑問代名詞と動詞との位置関係が古語では顛倒してゐる。論語の[br]
吾誰欺欺天乎
といふばあひに欺誰と云はないのがそれで而かも欺天といって天欺といはない所を見れば●●の名詞はこの限りでないことがわかる。この例はなほ[br]
人而無止、不死何侯 詩相鼠
●者不疚、夫何憂何懼 論語顔淵
何為則民服 仝為政
奚取於三家之● 論語八佾
などその例に乏しくない。[brm]
こゝに文言に於て語末に加へて文氣を示す助詞につき白話との関係を一瞥すると[br]
(一)也について
(イ)大父祖父也
のやうに主語と同一のものであることを断定するのは前に述べた如く白話の大父是祖父または大父祖父就是、大父是祖父了、大父祖父就是了の如く譯して好い。すべてこの形式に該當するものは也の上に名詞または名詞句を戴くのが前述の此必是豫譲也などは詠嘆の意味をこめて這個一定是●譲了とか――所とか譯す(●)自然もし[br]
吾不敢航海畏風●也
のやうに上の讀が理由にあたれば下ではその理由を説明してゐることになるからたとへば我不敢坐船過海(的理由是什麼呢)(因為是)怕風浪(的●●)のやうにことばを加へるべきであらう。
(ロ)教人不先擧例、學者無由悟也。 教人不先合●様子 学的人没有●懂●的