講義名: 白話と文言
時期: 昭和17年
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14
Back to viewer
倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ

pageId:050140-0110

へた[/wr]ことは支那の文字発達についての傳統的記事であってたとへば周易の十翼といはれる古い注釋の中の繋辞傳に包犠氏が天下の王さまになった時に結縄を作ったとありその目的は政治の用に供したといふ。鄭玄の注に約束するに事件が大きければ縄を大きくし事件が小さければ縄を小さくしたといふのは何も鄭玄に考へていたヾかなくとも我々にでも云へることでつまり物の覺えきれないときの覺えであって今でも忘れてならないことを覺えておくために指をしばっておくのはこれと同様である。これがやがて書契すなはち文字になったといふのであるが書契とは「木に書きつけてその●●を刻んだものを合符としそれぞれ一方を持ってゐて後からつき合せた」といふ鄭玄の注は後世の知識を以てかってな想像をしたまでのことでむかし紙や筆のない時分に鋭利な刃もので堅いものに傷をつけて物を書きつけたといふ原始時代を考へさへすれば何も問題のないことである。これはたとへば支那の最古の文字として知られてゐる亀甲獣骨文字を見てもその一端を推すことができる。序ながら亀甲獣骨文字とは清の光緒廾五年に河南省安陽●城の西五里の小屯といふところで洹水が岸を洗ふあたりに発見されたものでその土地が殷の都であったところから殷時代に卜に使用した亀甲や獣骨の遺物であることに論定されてゐる。尤も最初は龍骨などと云はれて薬用に供せられはじめ北京に[wr]送ら

pageId:050140-0120

れた[/wr]とき西●年堂で薬として賣出され當時これを服用せんとした王●榮が之に目をつけ輯集をはじめたがまもなく庚子の乱に王氏がなくなってから老残遊記の作者である劉鶚の手に帰しやうやく学問的研究の曙光を浴びたのである。その文字はたとへば呉其昌氏の●●甲骨金文中所涵殷暦推證にあげられたやうにほとんど完全な大亀甲にすきまもなく刻まれた細い文字の示すごとく極めて鋭利な刃もので傷をつけてあってその文句は大体癸亥卜率●旬亡●五月(●●●)といふやうな卜辞であることが読みとられると云ふ。これはつまり當時の状態として文字を刻むことが如何に困難であったかを示すべきものでまったく必要な用件のみを記載してある――尤もこれはたまたまかヽる堅牢なものだからこそ今日に残ったのでわれわれの見たもののみを以て古代を推測することは相當慎重でなければならない。何れにしても今日の如く簡便でなかったことは確実でありたとひ簡便にできたとしても口で話すほど簡単でないことは今日のわれわれがまざまざと経験していることであるから古代人が簡潔な書きかたを試みたことは疑ふまでもない。從ってその意味から見ても口語より簡潔であることは必然的な條件である。しかるに実際今日に殘された古代語の資料はほとんどすべて書きのこされたものであり簡潔なものであると云ふことは古代の言語を推定するに非常に

pageId:050140-0130

困難な點であって古代語はすべてかくの如く簡潔であると云ふやうな誤解を生じやすい。
 もし全く人間の生活や社會の構成を離れて單に文献だけを取り扱ふ人にはかやふな意味で古代語を假定し現代の口語はある時代に之から分岐して発達したそれ●●後世は古代語の系統をひいた文語と今一つ口語が存立すると主張するであらうが今日●●る古代の資料はよほど文語に偏してゐるので文語系以外の●料を手に入れないかぎり古代語の真相を明かにしがたいと云ふのが正直なところである。しかしさほど正直でもなく又まったく愚直でもなくある程度の真理をつかむとしたら如何考へるべきか。余は現在の支那語文の状態を緯とし古代の資料を経としてこれを解くほかはないと思ふ。現在の支那語文の状態は文言と白話とをそれぞれの特色によって見つけるとき明かに文言は視覺に即し白話は聽覺に即してゐる。しかし假に白話を筆で記録するばあひ決して口で言ふとほりに筆を動かしてはゐない。これには●●的に筆で書くことが文飾に近づくことのほかに――フランス語でもてがみを書くときはいろいろ呻吟するといふことであるが――特に支那語の文字は筆画が多くて話すとほりに記録することは相當困難である。これはカナモジ會の実験報告であるが世界の文字でタイプ

pageId:050140-0140

に打つ最も能率的なものはカナタイプであり欧洲語のアルファベットに比してなほ速度が早い。而して最もタイプに打ちにくいものは漢字であるといふ。つまり漢字は数がはなはだ多くてタイプになりにくくまして一一筆で書くとすればその手まは一層はなはだしい。してみれば最少の漢字を用ひるといふことが望ましい道理である。まして漢字はその最大の強みは視覺に訴へて一字でも豐富な意味を人に知らしむる點に在る以上ますます最少を以て最大を求めるといふ方向が考へられること疑ひなくつまり文語の特色は支那において一番発揮されてゐる。それゆゑたとひ口語を筆録するにしても自然文語的に表現されること疑なくかくして筆録と談話との間に相當な開きを見ることにもなって来る。一●純粹の口語はたゞ耳にきいてその意味を覺らせねばならないからその概念を示す音節はそれぞれ一個の特定した組み合せを持つべきであって紛れやすくない発音組織が必然になる。しかるに支那語の一字は単音節の音を持つものであるから最も識別しにくいものである。それ故かゝる言語としては一つの概念を示すに多くの音節を要求することになる。そこが文語の最少を求める傾向と正反對であって文と白との對立する大きな原因になる。その詳しいことは別に論ずるとして特に支那語では[wr]こ

pageId:050140-0150

の[/wr]二つが對立しているがこの現象は支那の文字が発達して以来の宿命といはねばならない。そこで苟くも支那において文字が相應高度に使用されてゐるばあひをとって考へればやはりその時代には文言と白話との對立があったと考ふべきである。たとへば論語の如きこれを語といふかぎり白話から縁のとほいものではなくむしろ孔子の話されたことばの記録に違ひない。しかしこれを筆にする以上にはできるだけ最少を以て最大を求める精神を発揮することは已むを得ないことで學而時習之不亦説乎といふのが孔子のことばを速記されたものと見ることは困難であるがと云って始めから文章としての型にはめたものでないことは一見して明瞭であるのみならず當時はむしろさういふ型ができてゐないと考へる方が適當である。まして宋の朱子語類のやうにまったく論語と同じ精神で書き残されたものは當時までに文言の型ができあがってゐる上から見ると非常にはっきりその差違が現れてゐる。したがってわれわれはこれらの半ば文言的資料を手がかりとしてその當時の実際の言語現象を研究するといふ困難な事業を試みねばならない。勿論文字であるからすべて文言だと考へるべきでもなく又文字に現れたるものしかないからとて文字に現はされてゐないものをすべて否定すべきでもなく現代の語文の状態に基礎を

pageId:050140-0160

おいて過去の資料を活用することが必要である。[brm]
 以上述べた様に文言は最少を以て最大を求めるものであるから自然技巧的であり
白話は言語の自然に近いものであるからあっさりして粉飾を加へないことになるのであって大体文言白話の意義はかやうに領會しておいて大差ないと信ずる。[brm]


pageId:050140-0170

支那における白話と文言の相違を論じようとするには勢いその根本問題として支那語の性質を吟味しなければならない。元来支那語は世界の言語系統で云へば支那チベット語族の一つであって更に分ければ支那チベット語族の二つの分派――チベットビルマ語と支那タイ語の後者に属し即ちタイ語と最も親密でありチベットビルマ之に次ぎ自然ウラルアルタイ語族に属すると云はれる。日本語とは全く系統を異にするものである。かゝる地位を背景として見るとき支那語における一つの特色はそれが單音節的であることでも一つの特色は孤立的である。支那語が單音節的であるといふことはこれからの説明に最も重大な関係をもつものであるからしばらく後まはしとして孤立的であるといふことはたとへば歐洲語の如き屈折を全然持たないことを積極的に云ったまでで一つの詞はたゞある観念を示すだけで数とか性とかを示さうといふ意思もなく動詞にしても時を示すといふことを考へてゐない。それ故名詞といふべきものでは人や物の種別を表すだけであってその種別の中の細い異同を問はずすべて一つの観念に包含してある。たとへば雞といへば牝雞でも牡雞でもかまはないわけであるから最初その性別は考慮されてゐない。一方●ら性を示すことばがあって女とか母と●●如云へば女性であり男とか公とか牡とか云へば男性である。それ故めんどりといふ概念を示すにはまづ

pageId:050140-0180

母性を示す「母」といふ詞をいひ次に「雞」を言へばその二つの詞の関係を修飾する語は修飾せられる語に先だつといふ約束によって女性の雞といふ音●であることが了解される。動詞にしても來といへばちゃうど歐洲語のインフィニティヴと同様な意味で來ルコトといってよいわけでこれが明確に來たんだといふことを示すには「來了」といひ來るだらうといふことを示すには「來●」といひ更に來の上にこの動詞を修飾する意味をもって加へられるいろいろな詞のはたらきで或は受け身にもなり或は義務をも示し或は時間をも示すことができる。しかし來そのものは名詞の時と同様にいつまでも同じ形を持ってゐるだけである。自然これを切りはなして考へればバラバラに切りわけられ而かもその切りはなされたものは常に同じ形に還元できる。これは日本語と比べても大きな相違であってたゞ日本語では名詞はほゞ支那語と同じことに見てもよいが動詞ではことにその違ひが見える。それ故むかしから漢文を直譯するときに漢字の下にいはゆる送り假名を加へたのは即ち支那語との相違點をはっきり示してゐる。ところで表面から見れば動詞を日本語の語根だけと見てこれに活用を加へたことになるのであるが実●の支那語としては活用をふくめたものを動詞と考へてもよく●●むしろ[wr]そこま

pageId:050140-0190

で[/wr]分析されてゐないあるものに過ぎないのである。(もし西洋人が漢文を訓讀するとすれば當然名詞にsをつけたり動詞にedを加へたりして讀まねばならないわけである。)かうして見ると支那語では動詞とか名詞とかいふ區別を考へることはあまり必要のないことでたゞバラバラの概念が一定の形に並べられその約束とにらみ合せて意味を知らしめることになる。これは大きく考へて文言にも白話にも共通な性質である。[brm]
 もっとも支那語の本來の性質と後來の発達とは自ら別に考へても好いことであって支那人が元來物を考へる時に訓練された孤立的の言語も後世は一種附加的なものを持つとも考へられないことはない。たとへば笑起來(○○)了(○)とか顕著地(○)表現着(○)とかの如く主要なる詞の後に○印のものを附加するばあひに一種の粘着性をも認められないことはなくことにこれは文言よりは白話において明かに表はされてゐるところを注目して好いと思ふがさりとて笑とか顕著とか表現とかの孤立性には寸毫の影響もなくたゞ語序による文法的約束の補助として認められるにすぎない。元來支那語の根本要素は動詞についてはその動作であって主語と動作との関係とか動作とその目的語との関係などは動詞が出て示す責任を持たず全く文中の語序が

pageId:050140-0200

擔任してゐる。したがって語序の擔任はもっぱら主語述語補語の関係と修飾語補修飾語の関係に止まる。もしこれだけで表現しきれない氣分や●深的な継續とか開始とかを示すとせばやはり一種の附加物を加へるだけである。しかるにかゝる方法によってのみ表現されるところの氣分や性質などは文の全体より見ればたしかに末梢的なことであって文言のやうに最少を以て理想とする構造においては一一そこまで表出せずに讀者の推●にまかすことが多い。それ故●附加物の多少は亦文言と白話との一つの差を示すものとも云へる。たゞその詳細は今これを述べずに支那語の音節問題に入らねばならない。[brm]
 支那語が單音節的であることは今日では常識として承認されてゐる。それは勿論単音節とは違ふのであって事実上単音節でないことばは相當多く殊に白話においてそれが認められる。たとへば文言で見とだけ書けばよいことを白話では看見といひ聞とだけ書けば好いことを聽見といひ室とだけ書けばよいことを●子といひ家とだけいへば好いことを房子といひ硯とだけいへば好いことを硯台といひ畫とだけいへばよいことを畫●といふやうな例は枚挙に暇のないことである。それ故現在の支那語についても文言は単音節で白話は複音節であるといひ更に文言から白話が