講義名: 白話と文言
時期: 昭和17年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ

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象[/wr]について昔の代名詞は「吾主我賓」「汝主爾賓」の別があって即ち同じ雙聲の文字について格にする変化があったのが後世に至って單純化したと云ふのである。これは極めて嶄新な説であってもしこれが研究であれば支那語が格による変化を持たないといふ通説に非常な動揺を及ぼすものである。しかし余の見る所では我の字が主格に用ひられた実例は経典において枚擧に暇なく吾が賓格に用ひられないことを主張するのあまり我が主格に用ひられる事実を抹殺せんとする嫌ひがあるし汝と爾に至ってはほとんど同様に使用されてゐてここに分別し得べき形跡を見出しがたい。余はむしろ吾が一人称において賓格として用ひられず而が二人称において賓格として用ひられないことを以てよりどころとして古代語の研究を試むべきであると思ふのである。即ちこの現象は吾と爾とが賓格にならない――他動詞の後にも來て文の結びになるばあひ――ことを認めるがさりとて我などが主格になっていけないと云ふことは指摘されてゐないのである。つまり吾と而とが何故賓格になれないと云ふ理由をつけ得れば足りるのであってその外は問題とすべきことではないと思ふ。この理由として考へることは賓格といふものの特性であって賓格は支那語では[wr]勿

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論[wr]文の最後に現れて最も力の加はる部分である。さういふ部分であればこそそこに位置すべきことばは強力な音節でなければならない。このことは今の北京語で考へてもへ我開門といふことはいへるが我把門開とは云へず我擦黒板上的字とは云へるが我把黒板上的字擦とは云へないほど支那語では句(ピリオド)の前に重点をおくのであって自然賓格においても強力な音節を選ぶのが●自然である。而して吾や而は今では平聲でも我や汝や爾は仄である。このことは恐らく古代から相當の影響のあったことに相違なく今日残ってゐる一人称二人称ともに我、你の如く上聲であることはやはり偶然とのみは形づけきれないものがあると云へよう。我はかういふことが古代語の平仄●●●新しい●●●●と思ふ。又カ氏も●●いてゐるやうに●●でも
  尓愛其●我愛其●慨我与尓●●●
のやうに一人称二人称を對●した所は我と尓でありさもなくとも
  有不知而作●●我●●●也●則異於是
の如く●●●●は「我」であって「吾」でない。
 一人称の余の字がやはり平聲であって時に賓格に用ひられるのは変音として我吾とは違ったものであることもあらうし余が賓格に用ひられた例はいさゝか我とは相違があってたとへば馬氏が名余曰正則字余曰霸均の如きをあげて動詞を後の賓語としてゐるがこれはむしろ第二賓格を併列した形であって併列されたものは弱いものである。もし余の假説にして承認されるならば支那の古代語に格の変化があったと云ふことは一場の要にすぎず――西洋人の考へさうな――真の支那語の姿は文の末に重点を置くことによって

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強弱の音節を運用したことになると云へる。尤もこれを支那語の「格現象」といへばそれまでであるが。かゝる文飾的語法と実用的語法との間には●●●の観念的へだたりがあるものであって現に実用的の白話ではまったく我と你とに統一されてゐる。そして敬称としての您は文語ならば「君」といふべきであらう。もっとも白話の「先生」といふのが更によく「君」にあたると思ふが。[brm]
 第三人称の白話の他にあたるものは「彼」であるがこれは恐らく人称代名詞として成立したものではなくして指示代名詞の●●ものとしてたまたま用ひられたといふ王力氏の説が正しいかと思ふ。王力氏は「其」や「之」も三人称の所有格や賓格に用ひられることを説いてゐるがこれらはいよいよ人称的性質の薄いものに過ぎない。[brm]
 代名詞の性別は今日に至っても文字だけの區別にすぎないがその数に至っては今の們が文言の等にあたる。たゞし白話では必ず他們乃至臨時結合的群衆といふべく們を省くことはできないが文言では彼等の烏合之衆を彼乃烏合之衆と云ふのは数にたいする敏感さに乏しいことを証明するものと思ふ。[brm]
 指示代名詞の這那はまさに文言の此彼に相當する。這様●●は●●如彼にあたること云ふまでもない。[brm]

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 白話における「的」の字には多くの用法を含んでゐるがたとへば[br]
  (一)太陽的光 先生的話 天長節的早趣 來的人[br]
の如きものは一つの詞の上に他の詞をかへて修飾性を示すばあひはその二種の詞の間にかへて両者を結合もし分離もする作用をなすものである(が普通には來的人を來人(おつかひ)といふやうにほとんど一つの詞として融合するばあひは的を省略してしまふこともある)。[br]
  (二)大街上有一個賣花的 這些都是從大街上買來的 ●大的不怕死
のやうに下に來るべき名詞を省略したものもあり[br]
  (三)先生最喜歓我的 你幾時過懐來的

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のやうにほとんど了と異らないものもある。[brm]
以上の第一類に属するものは文言では原則として「之」を以て表すことができる。即ち平漢鐵路局之工人天長節之●特別緊要之●、先生之語の如し。たゞし太陽的光の如きは日光の二字でつゞめてしまふことが多く即ち來人と同様の形に●する。第二類に属するものは賣花者とか買者、●大者といって者にかへ、曰は至喜余也とか過懐來耶とかの如く也や耶を以て示すことができる。第一類の如く「之」を以て代へるものから見ると「之」と「的」とが●●の●●いことも思はせられる。それ故孟子の[br]
  ●周公仲尼之道北●於●●[br]
の之は白話ならば勿論的で飜譯できるし史記の[br]
  秦虎狼之國不可信[br]
の之も的にあてゝ秦國是如狼虎似的國家不可信用他とでも譯して好い。かやうにこの類のものはすべて文言では之の吾であるが今は北方系の白話では大体的を以てあてることができるがたとへば蘇州語になると[br]

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  耐●去聽●別人個閒話 海上花四四[br]
のやうに個の音を用ひ廣東語では[br]
  我●話[br]
のやうに●の音を用ひるから一概に的は之の転音とのみ●●に形づけることは許されないと思ふ[brm]
こゝに逆に「之」の字が文言に現れてゐるばあひに白話では如何にこれを表すかといふに
(一)たゞ今の「的」でピッタリ行く時を除き(所有の意味((周公仲尼之道))修飾の意味((虎狼之國))――近代の観念では同じ修飾でも譬喩の時は像狼虎似的國家((虎狼之國))といひ)[br]
(二)他動詞の目的語として用ひられるばあひはたとへば[br]
  良師吾敬之 良友吾親之[br]
 の如く好先生我●敬他、好朋友我親熱他と譯し[br]
  見人飢與之食、見人寒與之衣[br]
 の如く看見人餓着給他飯吃、看見人冷着給他衣裳と譯してちゃうど●匹敵し[br]

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(三)山之高、水之深、地之廣、人之衆の如く山這様高、水這様深、地這様大、如彼人這様多といひ為學之勤他日必出人上の如く像他訪來這様勤快将来一定趕過人上頭といひ文字之●心不入不能●の如く文字這様多心不用進去不會記得といふ如くすべて上にあげた詞が●きい部分を示し下にあげる詞が廣い全体を示すばあひ即ちたとへば何々のやうに何々であるものといふばあひはたしかに這様といふ白話がこれにあたる。古書に例を求めるとたとへば左傳の隠三年[br]
澗溪沼沚之毛、蘋繁蘊藻之栄、筐筥錡釜之器、潢汙行潦之水、可羞於恵●、可羞於王公[br]
の四句同様な形式についてこれを白話に飜譯すると第二第三第四はすべて例をあげたものであるから……這様的栄 這様的●伙 這様的水といふやうに云へるが澗溪沼沚之毛だけは……這様的毛とは云へない。こゝで一つの原則が発見される。――全く同じ●●であり乍ら上の詞の持つ意味が大きければ之は直に「的」で表すことができる(あるひは裏

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頭)がその逆のばあひは這様または這様的といふ外はないといふことで國語で飜譯すると前者は「……の」又は「……の中の」であり後者「……のやうな」「……などの」「……のやうに」といふ譯語を用意しなければならない。それだけ古文を書くばあひは分析があらく白話でははっきり分析されてをることがわかり國語に飜譯するのにも國語を立てゝゆくならばたゞ一様に「……ノ」と譯してはいけないことがわかる。古人がすべて「ノ」ですましたのはたゞ「之」の字を示しただけで國語からは半以上遊離したものにすぎず今日以後、われわれが生きた國語を自覺しつゝ支那の古典に●れてゆく●に必要な心がまへがこゝからも考へられる。[brm]
(四)上が大きいばあひでも●●に的にあてはならないばあひがある。たとへば孟子の[br]
  天下之欲戻其君者皆欲赴愬於王 梁惠王[br]
 を白話で云へば[br]
  天下百姓凡是悪恨●自己國君的●安把苦●來告訴你王[br]
 となり[br]

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  古之欲明明徳於天下者先治其國 大学[br]
 は白話では[br]
  古代人凡是就意明明徳於天下的必先去治●地的國家[br]
とでも云ふべきでありつまり欲疾其君者欲明明徳於天下者をばあたかも同格的(又は一部分としての)説明の如くとりあつかふのでそのばあひに者の字は的となるが之の字にあたるものを挾むことはできない。その例はなほ[br]
  是則罪之大者 孟子離婁[br]
 をば白話では[br]
  就是自己最大的罪[br]
 と譯してゐるが古人の氣もちは[br]
  就是諸罪裏頭最大的[br]
 といふ方があたる。又孟子の[br]
  伯夷聖之清者也[br]

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も伯夷是聖人裏頭最清的了と譯して好い。この例は前のばあひと結局同じことになるので古之欲明明徳於天下者といふ言ひかたは古人裏頭……的といふこともでき……的古人といふこともできる。わが原來の國語としてはかういふ同格的説明を後にいふことは存在しなかったらしく純國語に飜譯する時は大キナ罪とか清イ聖人といふのが常でありこれを「罪ノ大キナモノ」とか「古ノ……モノ」とか「ノ」を用ひて飜譯することはやはりこゝに「之」といふ字が使用されてゐたといふことを示すための約束にすぎない。從ってこのまゝの位置で國語らしく飜譯するにはやはり白話のやうに「罪ノウチデ一番大キナモノ」とか「聖人ノウチデ」とかいふ譯語を用意することを忘れてはならない。[brm]
(五)次にたとへば[br]
  雖鞭之長不及馬腹天方●楚、未可●争、雖晋之彊、能違天乎 左伝[br]
 といふやうなばあひに雖然鞭子這様長的東西とも譯せるがまた[br]