講義名: 中国の文化と社会の諸問題中国における思考形態と生活形態
時期: 昭和25年~昭和29年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ
これを聞く人にとっては覚えずそうした気持をおこさせることがある。自然中国人はその言[br]
語を利用して他人に実際的な暗示を与えることができるから、論理をととのえる[br]
ために努力するよりも象徴によって效果をあげることに力を注ぐようになる。そこ[br]
には論理によって内容を限定するよりも、象徴によって効果を無限定ならしめ[br]
ることが望まれる。もちろん言語はこれを效能的(afficacité)の方向について見ることが[br]
許されるからには、中国人がこうした方向において訓練され自然熟達してい[br]
ることは驚くべきである。あらゆる言語において過去の用例が效能的な意[br]
味において用いられることは云うまでもないが、特に中国語はしばしばそれがリズミカル[br]
であるように作られていて、それがまとまった形で現れる以上、少々の論理的不明[br]
確はもとより譬喩のズレさえ容易に是認されてしまう。なぜならば少々の不明[br]
確やズレを顧慮するよりも、一種の大きな社会体系――それを宇宙まで拡[br]
大してもよいところの体系が早く確立していて、個々の表現はたまたまその体系のどこに[br]
位置するかを発見すればよいのであり、論理や譬喩はただそこへ導くための[wr]案内[br]
者[/wr]にしかすぎないのである。もしこれが西洋における言語表現であるならば、こうし[br]
た表現によって観念を伝達し、これからある教条を作るものであろうが、[br]
中国人は既存の思考形態に人を催いこむことを求めるだけであるから、image[br]
――それぞれ特殊な――を無限に排列しつつ、そのコムプレックスから生ずる曖昧[br]
であるが力づよいものを築こうとする。その意味では強いて形式的精密を競うところ[br]
の論理表現に比べて実際的な作用に富み、自然、他人に暗示を与えまたこれを説得す[br]
るときの工具として極めて有效である。中国においてこういう説得が最も原始的形[br]
態において盛に行われたのは戦国時代で、たとえば戦国策などには幾多の譬喩が説[br]
客の口を通じて語られているが、たとえば韓非子などにはこうした譬喩が特別に集め[br]
られた編があって、それは如何にそのための準備が周到に行われたかをはっきり示している。彼[br]
等はこうした宝庫を自ら備えることによってその不時の用に応ぜんとするのであった。その[br]
韓非子の説話の中に、むかし郢の人が燕の宰相に手紙を送ったとき、これを右筆に口授[br]
するのにあかりが暗かったので「舉燭」といったところ右筆がそれを手紙の文句と[br]
誤って手紙の中にこの二字を書き込んでしまった。それを受けとった燕では舉燭と[br]
は尚明という意味だから賢者をとりあげるという忠告だろうと善意に解釈したその[br]
結果として燕の国はよく治まったという物語がある。これこそ中国人の言語がい[br]
かに非論理的なゆるい約束によって繋がれているかを語るものであり、また言語はい[br]
かに誤って伝えられてももし社会大系の中のある適当な位置――それは最初の発[br]
言者にとっていささかも予期できなかった位置を与えることができたらこれも望ましいこと[br]
だと告げており、中国語および中国人についての極めて暗示に富んだ物語であるが、実はこ[br]
の作者は決してこれを何のための物語とも述べていない。ただこうした資料を多く貯えておいて、これを[br]
いろいろな必要に応じてとり出そうというだけである。[br][brm]
次ぎに外国人によって驚きを以て見られるのはこの語法に時制がないことである。曽て[br]
アメリカのノーラワーンが支那流浪記 Nora Waln“The House of Cexile”の中で「わたくしはここでテンスのないことばを話[br]
している」といったのは正にその点にふれるものがある。西洋人ならばそれが如何なる時制に[br]
立っているかを考えずしては何事も話しあえないのであるが、中国人にはそうした[wr]考え[br]
方[/wr]がない。というのは西洋人の立ち場では常に自分というものを固定して物を見る。自然[br]
人称も必要でありまた自分から見てそれは過去か現在か未来かということを考え[br]
ないかぎり、その物を捕えることができない筈であるが、中国人は物そのものを――人[br]
でもよし自分でもよい――熟視して一応それだけを考えるから自分の位置と[br]
没交渉でさしつかえない。ただそこに走なら走という概念だけが表れているならば[br]
過去に来たのでも未来に来るのでも、その動作だけをとったときこれを「走」といえば[br]
足りる。もちろんそれがいかなる時間におこったかということが必要ならば昨天走、[br]
明天走であってよいが、走はあくまで走にすぎない。ただその走が動作である以上、そ[br]
れが継続するか完結するかということは動作そのものについての問題になることも[br]
当然である。すなわち継続することを示すのは走着であり、完結を[br]
示すのは走了である。従って明天のことで継続していると考えることはできないが昨[br]
天ならば昨天走着的時候儿――これはそれと同時の動作が予想される――といういい方もできるし、完結ならば昨天走了的[br]
時候儿ともいえる――これはそれにおくれた動作が予想される――それはすべて[wr]動[br]
作[/wr]そのものについてのことであるからこれをactions-artと呼べば呼べる。しかし必ず自[br]
分とのかかわりがないことはない。もし自分がこの状態全般について完結または継続[br]
を承認するといった感覚的なもの、自然actions-artの客観的なものとは違った[br]
主観的な、少なくとも自分との関係を示す必要もある。それを厳密にはaspect[br]
と呼ぶわけで、古典における矣とか焉とかいう文字、現代語ならば啦、哪、嗎、吧[br]
といったことばがこれに属する。従って動詞についての受身なども発達せず甲[br]
が乙に何々されたという形は乙が甲に何々させたと同じ形で表現される。ただ[br]
し特別に受身であることを示さねばならない時には被といったことばを加えるが、こ[br]
れも純粹の受身でなく、むしろ損害を蒙ったことを示すためのものである。自然損害[br]
でないばあいには本来受身の形はなかった。最近西洋の語法が輸入されてか[br]
ら始めて「大統領に選挙された」という時にも被を用いる例がひらかれた、大統[br]
領に選挙されたことは損害かも知れないが。[br][brm]
こうした語法に依存する中国人の思惟方法はいきおい時間的な動きを[wr]中[br]
心[/wr]とすることなく、またある一点からの観察を立てることなく、すべての動きは反復[br]
であって進歩がなく、調和であって争闘がない。それは陰陽の問題とも同様で[br]
あって、互に循環し消長することはあっても揚棄することはなかった。これを保[br]
守ということは酷であるが進歩的でないことは確実である。これと同時に法則がな[br]
くてしかも円滑な運用ができるためにはあらゆる面にわたって感が発達[br]
することが要求される。その点おそらく世界の言語で云えば、ドイツ語が最も[br]
対蹠的であり自然ドイツ人の思惟方法と中国人の思惟方法とは最も[br]
遠いものがある。ドイツ人の隅々まで几帳面な考えかたと中国人の感で行く[br]
考えかたとがドイツの観念哲学と中国の叡智との生みの親になっていく[br]
と思われるわけで、もしこれに時間の観念を一つ例示するならば中国人の時[br]
間は昔、刻で数えたが、刻とは一日を十二分した1/12を云うので[br]
その二時間にあたる間ならばすべて午刻とか丑刻とかであった。それは零とい[br]
う考えかたの全然ないものであって、いわゆる数学には成りえないものであり、[br]
今が一時だとか四時半だとかいう考え方とは全然違ったものである。即ち時間を[br]
ある量として計算することはできるが、これを一本の線に沿うて流れるものと[br]
しては考えていないのである。[br][brm]
以上音韻ならびに意味語法から見た中国言語の特質がいかなる思惟方法を生[br]
み出したかを述べたが、なお文字論から見た思惟方法についても一言附け加え[br]
たい。中国の文字即ち漢字は単音節の言語をそれぞれ一つの字形でまとめ[br]
たものであり、一応こうした言語の特長を生かすには便利であるが、こうしてそれぞれ[br]
一つの定形にまとめられると、一層分析が困難になる。もともと中国の文字の[br]
中で最大多数は形声と称して偏と旁から成り立っているものであるが、それはそれ[br]
ぞれその物事の種類と性格とを示す二つの文字を組みあわせたものであり、他の[br]
国語ならば当然二字になるべきものを一字の枠の中に左右または上下に押しつめ[br]
たものである。こうして圧搾された文字のことであるから当然この種類の文字は[br]
その二つの要素に分析されて然るべきものであるが、やはり単音節としての制限からあく[br]
まで一字として密着した、自然ここに宿る概念もせっかく文字を通して分析[br]
できる線をもちながら不幸にしてその堅い殻の中からぬけでることができなか[br]
った。そのためこの文字は中国人の本来の思考形態を助けるのに力を借したこ[br]
とは確実であって、それを確認するための古典の利用など、古代人の作った社会[br]
大系に導きこむことがむしろ同意され、一旦そこまで案内すれば絶対安全だ[br]
といわれた。さらぬだに保守といわないまでも進歩的ではない思考形態を持[br]
った中国人はこうした漢字という足かせによってますます進歩から遠ざかった。[br]
しかもこうした漢字が概念を代表して音韻を代表しなかったためますます[br]
多数になり、それを組みあわすことによって無数の調和妥協が漢字を通じて行[br]
われ、また無数の感が働いた結果、ここに極めて微妙な思考形態が実は[br]
極めて原始的な単音節語型を通して発達し、一方から見れば極めて高[br]
度であり一方からみれば極めて幼稚なものが中国人の思惟方法として適用され[br]
た。これを私は漢字の運命の開巻第一に老舍のことばを借りて[wr]文明的野[br]
蛮[/wr]、野蛮的文明と称した。すべてこういう状態では智識人と非智識人との[br]
懸隔がはなはだしく、経済に文化にそれは至るところ認められるわけで旧中国における思[br]
考形態を通観した結果としてそれが生活形態と大きく関連することか早く[br]
も予想されると思うのである。[br][brm]
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