講義名: 中国の文化と社会の諸問題中国における思考形態と生活形態
時期: 昭和25年~昭和29年
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
Back to viewer
倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ
を指導するのだという考えかたがまちがっているのであり、自分も社会の内部にいて[br]
大衆とともに改造の出口を求めるのだという考え 張東蓀 が必要なのである。大衆ほ[br]
ど自分の生きてゆく道について真剣にこだわりなくまた直截に考えもし、見とおし[br]
もしているものはない。それと知識分子との間のギャップが消失したときこの民族は大[br]
きく動くのである。むしろ動いていたことが人にも分かるのである。なぜならば大衆は牛[br]
の如く自ら動くだけで人に語ろうとしない。知識分子とは大衆に代って語るものであ[br]
る。[br][brm]
しかもこうした大衆の自立的方向は決して近代に始まったものではない。中国[br]
古来の社会形態の理想は決して支配者にたよらないことにあった。太古の伝[br]
説によればある労働者が瓦のかけらをたたいて歌ったうたに帝力何有于我哉[br]
といったとある。支配者はただ税金をとるだけのものだという考えかたを私は北京の商人たちからいやという程きかされた。ここに現れた思想は中国の社会は決して単なる専制の形態でな[br]
かった、もっとゆとりのあるものであったことを示している。従って解放された中国におこった[br]
いろいろな動きは単にマルキシズムの移入ではなくして――知識分子はこれを証明[br]
することに務めているが――むしろ自然に中国大衆が醸しつつあったものが香を[br]
放ったと見てよいものが多い。そのための一つのエピソードとして、ある日本人が最近まで[br]
中国に止まっていていよいよ帰国することとなり上海を所用で歩いた。そのために人力車[br]
をやとって上海のガーデンブリッジのあたりの坂にさしかかったとき、突然巡警に呼びとめら[br]
れて車をおりなさいといわれた。不思議に思ってきくと車ひきは坂道でこれだけ[br]
骨折っているじゃないか、下りてやったらどうかといわれて大いに恥じ入ったという。私は[br]
この物語りに大きな感動をおぼえた。なぜならばたとえ新中国がいかに指導を厳にしたからといって解放二年あまりで巡警にまでこれだけ徹底するはずはなく、これこそ中国人の生きかたとし道法としそれが道徳とし[br]
て最も重要な恕の精神であるからである。[br]
ただ[br]
従来は自動車を乗りまわすものの勢力乃至不当な圧力のため巡警はこれら[br]
の人たちの使用人の如くあつかわれてきたのであるが、今や人民大衆が主人となった[br]
とき、自然にそうした恕の精神が発露したことは人としての誠の美しさが流れ出たもの[br]
であってここから見ても中国人の長い歴史を積みかさねた生きかたはむしろ解放によって新しい歩みを進める[br]
ことと信ぜられる。もとより人民裁判のゆきすぎが新聞によって喧伝されている。これは[br]
従来の中国人にはありえないほどの強さを以て行われているらしいが、これは従来が[br]
とかく変天思想であって逆のばあいの考慮を必要としたに対し、今日ではそうしたことによって禍根をのこさぬよう、積極的に一掃するようにするため、[br]
いわゆる一辺倒の精神によって処理されるからであり、自然、[br]
面子といった考えかた生きかたは消滅していくことと信ぜられる。[br][brm]
しかも一面、この民族の営として理想とともに現実に対する深い省察が行われ、なお長い伝統[br]
によって立ちあがりのおそい民衆に対し常に温かな顧慮を払っているかに見える。たとえ[br]
ば毛沢東の実践論を見ても決して一度に実行するのではなくして実行しては反[br]
省し、反省しては実行することが極力説かれていて、大衆の歩調を狂わせないだけの[br]
注意がここにも見られている。従って従来の知識分子がその優越感をすてないかぎり[br]
彼等は少なくとも大陸にその足をとどめることはできないであろうし、また人民を搾取する[br]
ことを務めとする地主階級と買弁階級は反動として処分されてしま[br]
うし、中産階級も亦従来の日和見的態度を捨てない限り存在の意味を失って[br]
いる。こうして中国の長いあいだに中国を蝕んでいた階級が急速に粛正されまたは[br]
自ら亡命していくにつれて中国人の基本的な考えかたや生きかたが根本的に見て[br]
誤まったものでない、少なくとも大衆のために特に害毒をのこすものでなかったことが[br]
はっきりしてきた事より、むしろ大衆こそ最も健康であったことがわかってきた。ただしこれまでは専ら中国を害し中国を不自然にゆがめた[br]
要因を除くことに、少なくとも民国革命以来――中国が皇帝を失って以来――[br]
専ら力が注がれてきた。しかしもっと大きな問題として中国民族を大きく[br]
高めるためにはこの言語を通じた考えかた、この生活を通じた生きかた[br]
になお多くの修正すべき点がある。中国における言語の表記法改革の問題[br]
や旧中国の言語に存するいろいろな残滓が新しい中国の建設に多くの誤解をのこしてい[br]
る点張東蓀のことばなどがそれである。張東蓀はいう[br]
知識分子が習慣的になりきらない主な原因は、このような新文明で使われ[br]
ていることばの大半が旧文明の中で使われるものと全く同じであるためである。しか[br]
し実際には文明の背景が違うのだからことばの意義も変化してきているのであ[br]
って文字の表面に迷わされてはならない[br]
と。そのいわゆる新文明とは、[br]
体系があり一貫性があり、すべてのものが有機的に連なっているもので、ものを孤立[br]
的にみないものである[br]
と説明しているが、孤立的な物の見かたや生活形態がいわゆる一盤散沙であってこ[br]
の点がいかに解決されていくかに新中国の将来がかかっていると私は考える。これは[br]
曽て大理石のように堅まった日本人が今こなごなに砕かれてその拠りどころを失った状態に比べ[br]
てまさに対蹠的であるとともに、日本の歩むべき道を示唆することも多かろ[br]
うと信ずる。[br][brm]
[br]
[br]
[br]
[br]
[br]
[br]
[br]
[br]
[br]
[br]
[br]
[br]
[br]
[br]
[br]
[br]
[br]