講義名: 中国の文化と社会の諸問題中国における思考形態と生活形態
時期: 昭和25年~昭和29年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ
して外国語で翻訳できないのも当然である。これと同じようなケースは文質[br]
という概念についてもいえる。文は即ち文化の進んだ自然装飾を加えた状態であり質とは未開[br]
のままその代り装飾のない木地まるだしの状態である。これは中国の古代史にお[br]
いて殷のことを質と称し周のことを文と称したことで有名である。それは一応反[br]
対概念でもある、ところが論語によって見ても、棘子成という人が「君子は質だけ[br]
のもので文などいらない」と放言したとき、子貢がこれを非難して「文といえば質と[br]
同じものだし質といえば文と同じものだ」といった。棘子成の考えかたは一種矯激[br]
なもので、当時の人たちが専ら文に偏っていることを嘆いたのであり、いわば文に偏[br]
って質を忘れた世人を戒めようとして強いて質だけとりあげて文を棄てるような表[br]
現を用いたのである。それを子貢が非難したのは、文と質という反対概念を極[br]
端に縮めて一点に押しつめたものであり、文は質でもあり質は文でもあるという表[br]
現を用いた。しかしいかに一点に押しつめようとしても文から来た方向と質から来た[br]
方向とがあるわけで、それがたまたま文からの力と質からの力とで文と質との中[br]
間において一点に凝固したまでのことで、文と質との外に溢出したものではない、そ[br]
してその中間の一点といえば文の方が勝って質の弱いときもあり、質の方が勝って[br]
文の弱いときもあり、また両者がちょうど平均するときもある、そのちょうど平[br]
均したときが論語にいわゆる文質彬々といった理想状態である。しかしそうし[br]
た状態は実際には必ずしも容易でないのである。現に一旦緩急アレバなどとい[br]
ったとき緩急が平均していることを考えるのではなくて、むしろ急の方に傾いてい[br]
るのである。[br][brm]
こうして元来それだけでは定義づけを困難とする単音節語では同じ概念を共有[br]
する二つの音節を結合するか、反対概念を設定するかによって安定を求め[br]
たのであるが、すべてこうした言語の特質は単音節語でありながら常にその[br]
複合に頼らざるをえない。そこでこの言語を手段として思考する場合には常[br]
に類似概念または反対概念をとりあげることになるわけで、中国人の思考形[br]
態はまさにこうした形をとらざるをえないと考えられる。[br][brm]
試みに論語の開巻第一をとって考えても[br]
学而時習之不亦説乎、有朋自遠方来不亦楽乎、人不知[br]
而不愠不亦君子乎[br]
習ったことを時々おさらいするのはなかなか嬉しいものですね。誰か友だちが[br]
遠い所から来てくれるのはなかなか樂しいものですね。人が分かってくれなくて[br]
も気にしないのはやっぱり君子ですね[br]
という有名な表現はいかにも中国人の思考形態を示したもので、こうした一応類[br]
似した表現を三つ重ねただけでそこに何の連系も与えられていないが、こうしたものを[br]
平列することによってある釣りあいが成立し、そこにある安定が生ずる。つまりただ[br]
その一句のみを取ってみても安定しなかったのが、類似でありまた反対であり得る[br]
他の句との関係からふりかえって自分を規定する。したがって論語にもこうした[br]
対をなす表現が極めて多く認められ、それを通してみても中国人の思考形態の一つの[br]
特徴がみられるが、况して特に芸術的表現を試みた中国の文学作品が対句によ[br]
って支えられているのも著名な事実である。それは現代の言語活動を通して見てもおび[br]
ただしく認められるし、近代文学としての小説にあまりにも烈しい善玉悪玉の対[br]
照がある。それには老舍の四世同堂は最も好い例であ[br]
って、旧小説以来の伝統的考えかたがここでもハッキリ露出している。以上は専ら[br]
音韻論に因んだ概念の性格から見た中国人の思考形態の特色をあげた[br]
ものであり、次ぎには統辞論を中心として見た方向をとりあげたい。[br][brm]
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語法的に見た中国語の特色は専ら語順に頼るということに一応は尽きる。およそ聴覚は時間の次元を頼りにするし、客観的な時間は一線をなして流れるから、言語は[br]
線条性をもつものであって時間の線に沿うて必要な単語を並べるわけであるが、その並べ方には民族の多数により[br]
長いあいだに作られた約束が働く。中国において[br]
一般に論理的な表現をするときはその場を作るための単語を第一に、その場につい[br]
ての説明をするための単語を第二、そしてもしその説明のための単語が更にそれと関係[br]
する単語を必要とするときはこれを第三、簡単にいって英語の主語、述語、目的語[br]
の位置と同じである(ただ主語とか目的語とかいったならばむしろ誤解を招くおそれがあ[br]
るのである)。そしてそれぞれの修飾語はそれが修飾する語の上に立つ。かように複雑な[br]
要素が多く加わったとき、前に述べたような全然文法的変化をもたない単語であ[br]
るだけに、どれが主語述語修飾語等であるか判定に苦しむこともあろう。そ[br]
こで言語における緊張性がこれに作用して一つの文の中に適度な緊張と弛緩と[br]
が交互に現れてそれを聞く人が誤解をおこさないようにする。その意味でこの語法は[br]
単に語順だけには頼らないで、一種語調の助けを借りることにもなる。そしてそれぞれ[br]
の緊張の後に来る弛緩を明示するために助字的なものが加わるなら、助字も亦こ[br]
の語法において重要な働きをするといえるのである。しかもこうした助字的なも[br]
のはその目的が一つは語調を整えるにあるとすれば、必ずしもこれを加えなければ[br]
通じないわけではない。もしこれを加えれば語調を整え且つこれに先だつ単語の[br]
意味または文中の性格を明確にし、あるいは誇張することが望ましいならば[br]
加えるし、さもなくば必ずしも加えない。たとえば你吃飯といったときはあらゆる[br]
你吃飯に関する場合を包含しているが、你是吃飯的といえば御飯をたべるものだと[br]
いうことであり、你吃飯吧といえば御飯をたべなさいということ、你吃着飯哪といえば御[br]
飯を食べているなということ、你吃了飯了嗎といえば御飯をたべたかということ、你吃的飯[br]
といえば君の食う飯、你也吃飯といえば君も飯をたべるということなど、この三つの重[br]
要な因子に添えて、あるいは指定しあるいは完了を示し継続を示し命令を[br]
示し疑問を示すものが現れる。これが極く大ざっぱに云って中国語法の基本的性[br]
格を形づくるものである。[br][brm]
これをこれと違った言語系統を持つ人たちの言語と比較すれば何より注意[br]
されるのはこれらの要素の間における語法的関係を指定する作用が極めて薄弱である[br]
か、少なくともかなり恣意的であることである。しかもグラネの云うごとくフランス人にと[br]
ってはフランス語が論理的訓練のためのすばらしい道具であるとするならば中国[br]
人は決してそれほどの論理的訓練を受けていないといわねばならぬ。しかしそれ[br]
にしてもグラネも「中国の論理に因果律や矛盾律を求めたりするのは誤で[br]
ある」という如く中国には中国の論理があり弁証法が別に存在することは認めて[br]
よい。これについて思い出すのは老舍が四世同堂の中でいったことばで「中国の弁証[br]
法とはこうだ――同じ親から生まれた兄弟がさまざまの性格を持ち良いものも悪い[br]
ものもあるのは、ちょうど手の指が五本あってそれぞれの長さが違うようなものだ」[br]
とある。これは実は弁証法というべきものではなくて、ただの譬喩にすぎない。何等の[br]
論理も通っていないことをただ譬喩によって述べると直ちに肯定されてしまうこと[br]
をいうのである。「すべて中国の哲学といっても決して教義的な表現様式で書かれたものは少なく[br]
一つの叡智(Sagesse)であるにすぎない」とはグラネのことばであるが、その叡智[br]
は最も多く譬喩の形を借りる。即ち仮に「同じ兄弟でも良いものもあり悪いものもあ[br]
る」といった一つの叡智が閃めいたとしても、中国人はこれだけをとり出すことなく、必ず[br]
これに類似したものをとり出して対照させる。別に手の指の長さがそれぞれ違う[br]
ことを見て、それだから兄弟にもいろいろあると考えたわけでもなし、むしろ最[br]
初から兄弟にいろいろあることを悟っているが、ただそれだけをとり出しては文学的[br]
表現または誇張として成り立たないため、これと相似な但し一応全然別種のものを[br]
とりあげて譬喩としたにすぎない。ここに相似と称するのは極めて曖昧なものであり[br]
偶然的なものが多い。しかしこの論理形式――とはいえない形式は先秦時代の古[br]
典からして採用されていて、すべて最後に孔子曰とか詩曰とかを加える――それはどこか[br]
でその前文と似たところが必ずあるにしても、一たびこれが現れるときはそのことばの権[br]
威においてさしもの論争も忽ち終結せざるをえないほど強力なものとなる。[br]
それはもとより古典を利用するからであり、自然利用されるだけのことであるそれ[br]
が必ず古典の原義であるかどうかは深く問わない。近い頃の中国人と話していても、た[br]
またま議論の末に古典をひとくさり引用すれば大多数の賛成を得るにきまっていた。従っ[br]
て古典を始めから敷衍してかかりながら最後にいってからわざと「故曰」といった古典[br]
の文句を出して来る。これが「故」である筈はないにも拘らず、こうした弁証法が横[br]
行していた。三国志演義の中に劉備が諸葛孔明を南陽の廬に訪ねたときのこ[br]
とが細かに述べられたあと、有詩為證といって次に詩をはさむ。何か昔からそんな詩が[br]
あってそれによって劉備の訪問のさまを知ったかのようであるが、実は語り手がその場[br]
で作った当意即妙的なものにすぎないのであった。こうした論証にならない論証[br]
が横行するのも論理よりは譬喩が重んぜられ利用されるからで、譬喩という意[br]
味をひろくいえば前に述べた論語の首章のように似たような文章を並列したの[br]
も一種の相似形であり互いに譬喩の働きをなしている。ただこれが一種の叡智[br]
から教条にまで発展したとき必ずこれに論理を通そうとする。これが中国の注釈[br]
家のしごとであったのである。[br][brm]
以上のような論理の欠乏はこれを裏がえせば法の欠乏ともいえる。これもグラネのこと[br]
ばであるが、「中国では神と法とが欠けている」と称する。つまり絶対的無条件な規制は中[br]
国語法の中から発見されないのであって、むしろ調和というべき「相互依存乃至連[br]
帯性の柔軟な体制」が支配していて、万事は適宜であり、すべては和合に依存す[br]
る。その語法における調和はリズムが主要因であって、助字を加えるか否かは[br]
リズムに支配される場合が多い。まして書きことばとして文言という固定した形[br]
式をもったものについてはこうしたリズムによる模型ができてきて、ただこれに依存する[br]
かぎり、たとえ論理としては不徹底でもリズムとしてよく調和されている限りそれは[br]
文雅なものとして賞賛された。そのいわゆる調和とは文の各部分またはそれらの間におけ[br]
る力の均衡であって、これを破らない限りその文は名文として多くの人たちによって記[br]
憶された、また元来それは極めて記憶しやすいように整理されていたのである。[br][brm]
こうした譬喩に富んだ表現をリズムによって調和するときは、たとえ[br]
論理としては不明確で、自分でさえなぜそれが正しいかも分からないときでさえ、[br]