講義名: 中国文化の問題
時期: 昭和25年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ

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れがゆるやかであると、そこに自然の堆積が腐った木の葉のように醗酵して独特の匂いを生[br]
じたわけであるが、それを整頓し掃除するときその匂いとともに独特の腐蝕土が取り去[br]
られてしまう危険は大いに感じられる。少なくとも無意識の損失は相当大きいと思う。尤[br]
もこれは如何なる文化でも学術でも整理とはこれまでの物を破壊することであるから、全[br]
く已むをえないという外はない。ただ望むらくはその新しいものがよくその損失をとりかえし[br]
て余あることで、つまり論理性もあり徹底もできるという性格をこれまでよりもっと深く強く[br]
した文化に期待するほかはないのである。[br][brm]
すべてこうした中国の大きな展開は少なくともこの度の東亜における不幸なる戦いの後において見られたもので、[br]
この戦いによって中国のいわゆる半植民地性は完全といってよいほど払拭された。また半封[br]
建性も更にその枠をはずしかけている。こうした大きな動きこそ中国の停滞性を[br]
切りかえる重要なファクトであって、それは先ず社会生活の面からその曙光をもらして[br]
いる。しかし文化の上にもその光があざやかに照らすには相当の長年月を要することで、[br]
われわれは長い目をもってこの国この民族の将来を見まもりたいと思う。[br][brm]

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