講義名: 中国文化の問題
時期: 昭和25年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ
とはこの国の生活に極めてよく見られるのみか、母としての強さに至っては『紅楼夢』の賈母を見るま[br]
でもなく、清末の西太后を見たら思い半にすぎる。それは五四運動の直後に行われた男女[br]
共学がそのままに発達して、日本よりもずっと円満に行われてきたことを見てもわかるし、参政[br]
権についても婦人の力が早く認められている。君主にしても幼沖な宣統帝が退位して以後、そ[br]
の復辟が一たび北京で試みられ、ふたたび満州で試みられたが、常に失敗に帰したのは帝[br]
に対する支持者がほとんどないことを物語るもので、それがあれだけ帝王の尊厳を誇った[br]
国の現状とは受けとられにくいようであるが、実は古くから「王侯将相寧有種平」といったり、[br]
天子なんか俺でもなれるといったりした精神は結局長いあいだに帝制が形式化し、しかも[br]
革命という段階を幾たびか経験して、必ずなければならない制度や組織と考えなくなってい[br]
たのである。現に帝制花やかなりし頃でも、官として朝廷の禄をはむものは天子の奴才であ[br]
ったが、人民そのものは天子から何の恩徳をも蒙らなかった。ただ租税を多くしないということが[br]
消極的恩典だったにすぎない。かつては清朝のとき一七一一年以後の増加人口は盛[br]
世の象徴であるとして人頭税をかけないことにしたが、一代の善政と歌われている。父母にしても[br]
自然の人情以上にこれを強制して孝とすることは自ら多くの弊害をかもし、ために孝に[br]
対する批判すら行われている。こうした風でその枠は必ずしも鉄の枠でなく、――ある個[br]
人乃至社会の一部ではもとより鉄であった例も多いが、全体として見るとき少なくともかなり[br]
ゆとりのある枠であって、いよいよそのままでは困るときが来れば、案外楽に切りかえができ[br]
た。むしろこれなくしてはもっと早く枠がこわれてしまったろうとさえいえる。必ずしも魯迅の初め[br]
考えた窒息しそうなものでなくて、換気の余地のかなりある枠であり、だからこそ安らかに[br]
眠れた。そして魯迅ほどの人がこれを鉄と考えたほどそこには長い因習[br]
があって容易に動かしがたい外観を持っていたのである。[br][brm]
ふたたび文学に就いて考えるとき、こうして案外なほど早く天下を統一した白話が十分に[br]
新しい時代、すなわち枠をはずした時代に適合したかというに、実は然らずで、ここに大きな[br]
問題を孕んだ。それはむしろ形の上で文言を打倒した争いよりも深い意味を持った。そ[br]
れは大衆語の問題で、つまり白話は一旦勝ちを占めたものの、それは早くから文学語を[br]
用いなれた階級だけのことで、そうしたものから離れていた大衆にとってはまるで縁なきもの、[br]
少なくとも聞いてわからぬものだということになった。そこで成仿吾などは「われわれはアウフヘー[br]
ベンされんとする階級を主体とし、そのイデオロギーを内容とし、牛とも馬ともつかない中間的[br]
語体を創造し、小資産階級の悪劣な根性を発揮していた」と反省する一方「われわれ[br]
はふたたび自己を否定し、階級意識を獲得し、われわれの媒質を農工大衆の用語に接[br]
近せしめ、農工大衆をわれわれの対象とする」という責任をとった。これはたしかに文学革[br]
命をとなえた人たちの夢想だもしなかった反動であり、文学革命があれほど花やか[br]
にまたあれほど速にその效を奏したのも、つまりは妥協であり調和であって、真の革命でな[br]
かったことを暴露したわけである。白話文学はつまり文言との妥協によって天下を一統したが、[br]
政治においても民国政府は清朝以来の旧軍閥との妥協によって政治上の統一を行った。[br]
これこそ中国文化の常道たる直観により調和的に進むという方向であって、論理からいえ[br]
ばあくまで不徹底であり、反動は更に待ちかまえられていたのである。[br][brm]
而かも事態は更に急激な変動を示した。抗戦勝利によって英雄視された国民政府の[br]
全体がその腐敗によって忽ち地位を失い、代わって新しい政権が華北から華南へとその実力[br]
を伸張した。あるいは中国のごとき老大国としては不自然な状態であると考える人もあろうが、[br]
むしろ極めて停滞性をもった中国として一たび目をさまして四辺を見まわすとき、その周囲が如何[br]
なる状況であるかを見ることによって、極めて大きな刺激をおぼえたわけで、曽て鄭伯奇のいった如く、[br]
たとえば中国文学の一九一六―一九二五年までの十年間の動きは、ヨーロッパ二百年の歴史を非常[br]
なテンポ――二十倍の速さでくりかえしたわけであって、それは落伍した民族が先輩に追いす[br]
がるための努力として免れ得ないことである。しかも最近の升のカーテンから漏れる消息による[br]
とき、少なくとも北京、天津における状況はむしろわれわれの予想以上に進んでいるらしい。たとえ[br]
ばそれは政治的方法であるかも知れないが、日用品の物価がさがって――ここ数年の中には[br]
必ず戦前までに引きさげるという計画であるというが――日常生活が極めて安定し、同時に[br]
贅沢品が完全にシャットアウトされていること、資本家と労働者との争いが解消して天津[br]
の四大悪覇といわれた資本家たちが新しく労工大衆の中に入ってその経営の才をはた[br]
らかしていること、前門外の妓女がすべて解放され病気のあるものは国費による注射によって快復[br]
して家庭の人となるか、正業につくかしていること、官庁の事務が簡捷化されて、いかなる届出[br]
も書式や文体などの制限なしに受けつけられ、曽て二ヶ月も要した手続きが今や一日で済む等の[br]
こと、これらがわが国に伝わって、従来日本に学んでいた留学生、ことに既に卒業して帰ることの[br]
できなかった人たちが続続帰国の希望を燃やしていること、これらの一連の事象は決して単な[br]
る宣伝でなしの事実であることはわれわれの中国に対する経験からの勘で十分に察知できる。としたならば[br]
これは従来の中国感のみではほとんど理会のできないことのように思われる。そこにこそ今後の中国文化[br]
のありかたが宿っているわけであって、私はこの講義の最後にその分析を試みたいと思う。[br][brm]
第一は、どうしてそういうことができたか、ということである。それに就いては三たび文学をとって考える[br]
ことが便利である。毛沢東主席は一九四二年の五月に延安における文芸座談会で述べた、[br]
「こちらは知識分子の言語であり、あちらは人民大衆の言語であるというようなことではお互いに[br]
了解ができない。大衆化といえば文芸工作者が自己の思想と情緒とを工農兵大衆の[br]
思想情緒と一にすることで、一つにするには大衆の言語から学ばねばならない。群衆の言[br]
語すら了解しないで何の文芸創造があろう」と。これはひとり文学のありかただけでなしに、中[br]
国文化のありかたについての新しい態度を宣言したものである。つまり従来の中国文化は[wr]人民大[br]
衆[/wr]を踏み台にしてその上に乗っかった人たちの文化であったのを、新しい中国では人民大衆自体の[br]
文化にしたいという理想であって、初めの文学革命はまだ紳士たちの立場で、少しく烈しい云[br]
いかたをすれば紳士たちのことのみ考えた、それも十分に理会せずただ一般に考えたものと考え[br]
ていた自覚のない時代であったし、やがてそれを覆した革命文学でも農工大衆をわれわれ[br]
の対象とするという態度で、農工大衆を眼中においたことは一大進歩であったが、やはりそれはわ[br]
れわれの外に在るものであった。それが今や農工大衆と文芸工作者とが同じ平面に立ってそれぞれ[br]
がその分担した範囲において他の人たちのために工作するという立場が確立したことは中国の[br]
文芸にとってのみならず、中国の文化そのものに取っても極めて特筆すべきことで、曽ての妥協的[br]
な革命がここで漸く清算されたことになる。現に沈従文のごとき文芸家として清算されたた[br]
めに自殺を企てたと云われ、蕭軍なども酷しい清算を受けたと云われる。学者では馮友[br]
蘭の如き哲学者が進んで土地改革に乗り出したというのは、決して哲学を廃棄したのでなく[br]
して、農民大衆の中に入ってこそ本当の中国哲学を打ちたてることができると覚ったものだ[br]
という。一方こうした文化を伝布し交流するための文字についても大きな反省がおこっている。[wr]漢[br]
字[/wr]に対する反省は十九世紀末から既におこり、文学革命と前後して、漢字に注音を施す[br]
所まで進展し、別にこれをやや高い知識を持った人たちのためとして一九二八年国[br]
語羅馬字を制定したが、これよりさき一九二一年ごろ瞿秋白が蘇聯における大規模な[br]
拉丁化による文盲絶滅運動を目のあたりに見て、中国文字をも拉丁化することに思いを致し、つ[br]
いで一九二八年ふたたび蘇聯に赴いてその研究を進め、一九三一年九月ウラジオストックの中国[br]
文字拉丁化大会で承認されたものを中国に普及しようとして、遂に一九三五年福建で政府に[br]
捕われて虐殺されている。しかし今日ではその遺志をついで新文字運動がさかんに起っている。注[br]
音符号は結局漢字を擁護するものであり、新文字はこれを打倒しようとするものである。国語羅[br]
馬字は注音符号よりさらに高度の教養あるもののために与えられるものであったが、新文[br]
字は従来文字を与えられなかったもののために考えたものである。こうした運動のために――それ[br]
ばかりでないにしても――生命を失うということは注音符号や国語羅馬字では考えも及ばなかった。[br]
(ただ清朝時代に王照が曽て生命の危険にさらされたが)。そこに大きな時代の動きが見[br]
られるとともに、すべての文化運動の在来の枠のとりはずしにその全力を傾けたありさまが一連のも[br]
のとして目に映る。つまり中国文化の成長は枠をはずすことから始まるのであって、枠のはずれた[br]
部分から新しいいぶきが起こってきたわけである。[br][brm]
第二は、こうした文化がこの民族の全般にゆきわたるかどうか、ということである。この民族の占拠し[br]
ている土地がヨーロッパよりも広いという現状において、直ちにこれを要求することはもとより無理であり、[br]
むしろ現段階としては極めて新しい状態と極めて古い状態とが共存していることに興味を持つ。[br]
地方によっては五四以前の文化状態のまま停滞しているところもあるにはあろうが、それは暫くとして[br]
五四時代の文化がそのまま再現されているのは台湾であって、文化界の状態、あるいはテロの状態[br]
まで曽て魯迅が手で書くより足で逃げるといったのに髣髴しており、言語文字にしても五四時[br]
代の国語運動、さらには注音符号普及の方法そのものまでが実行されている。これも無理では[br]
ない。かつて五四時代の北京大学学生として『新潮』を創刊した傅斯年氏が台湾大学総長を[br]
務めているではないか。こうした大きな国土が全般として文化を更新するに就いては非常な時間を要[br]
するが、もし今日中国各地を自由に旅行できてその土地の人たちと自由に会談できたとすると[br]
き、そこにヨーロッパなら少なくとも二三世紀にわたる文化状態がさまざまの文化地圏を描いて展開され[br]
ているに違いないと思う。[br][brm]
第三は、こうした新しい文化は将来への永続性があるかどうか、ということである。これにも二つの問題[br]
がある。一つは一旦ここまで来た文化がふたたび退却するかどうか、もう一つは退却はしないが停滞[br]
してしまわないかどうか。退却するかというに就いてはわれわれはかなり確信を以て否定できる。仮に政[br]
治情勢が思いもかけない発展をしたために文化の発展が阻害されたとしても、それはただ表面の停頓であって、む[br]
しろ次ぎの飛躍が予期される。銭玄同が張勲の復辟のあとの感想として述べたことを引けば、「十九[br]
○○の○○○○○○○○○○○○であり、自分は○○○○○○○○○○○○である」。しかし、停滞す[br]
るかどうかに就いては十分の確信が持てない。なぜなら従来からの中国文化の停滞性はこうした飛躍の[br]
あとにおいてさえ忍びよってこないと誰が断言しよう。ことにその原因の一つとして論理性の薄弱を[br]
認めた以上、自然科学の普及が今日の如く遅遅たる時代において急に論理性を昂揚する[br]
ことが困難であり、新しい文化が高度に進展するためには自然科学といわば科学思想を極[br]
力とりあげることが絶対必要である。妥協と調和とでまた直観的に調和点を見出す訓練ととも[br]
に科学的に論理を整えて一般凡人にも科学的文化への手がかりを持たせねばならない。また[wr]在[br]
来[/wr]停滞の原因となった漢字にのみ依存する文化が、今後その態度を改めることができるかど[br]
うか、これこそ難題中の難題である。せっかく民間から芽ばえてきた新しい文化、そこにいじらしい[br]
程うぶな、だから新鮮な文化が伸びる道において従来の文化と安易に妥協してしまうならば、ふ[br]
たたび停滞の道をたどることは必至である。[br][brm]
第四は、こうして新しく伸びたものが全く中国の従来の文化の特質を排除してしまうかど[br]
うか、ということである。文化とは過去より未来へと不断の流れを形っている以上、過去の弊[br]
害を除いて新しい生命を育てる一方、過去から育ててきた伝統の好さを簡単に擲つこと[br]
が得策でないばかりか、擲とうにも擲つことができないものである。なぜならば過去の人は将[br]
来の人と同じく中国人であり、また同じく中国語を使用して物を考える。その生きる社会[br]
環境やその言語を書きつける表記法は時に応じて変化を生ずることもあるが、祖先から[br]
承けついだ体質と気質はもとよりその言語による思考が急に改まるものではない。ただこうした[br]
大きな変化の場あいにおいてはいわゆるドサクサ紛れに大切なものまで失う危険は相当[br]
ある[nt(0X0050-0700out)]。今日までの中国の特異な文化がわりあいに良く保存されたというのも、つまり文化の流[br]
[0X0050-0700out]
大きな変化のとき、大切なものを失う危険あり。今までゆるい変化だから文化的堆積が醗酵できたがそれを大掃除してしまう嫌がある。