講義名: 中国文化の問題
時期: 昭和25年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ

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めてこれに接した欧米人にとってまったく理解しがたい性質を持つものとされた。そのことを[br]
最も端的にまた欧米人らしい論理を以て公言したのはフランスのGranet教授である。同[br]
教授の〝Quelques particularités de la langue et de la pensée chinoises〝[br]
in Revue Philosophique de la France et de l' Étranger Nos 3 et 4 ,1920[br]
 に、[br]
例えばフランス人はフランス語といった論理的訓練のすばらしい道具をもっている。[br]
しかし、もし感覚界の特殊な具体的な面を述べようとする時には、苦心をし工[br]
夫をしなければならない。之に反して中国人は描写するためにできてはいるが分類するた[br]
めにできて居らない言語を話しており、定義したり判断したりするためではなく、最も[br]
特殊な感覚を呼びおこすために作られた言語を話しており、詩人や[br]
歴史家にとってはすばらしいが、明晰な思想を述べるには最もわるい言語を話して[br]
いる。なぜならばわれわれが最も必要とする精神活動を、潜在的即興的なや[br]
り方でしか行い得ないようにさせるからである。  原文一八四頁、訳四五、四六頁 [br]

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とあるのがそれで、分類したり定義したり判断したりするようなすべて明晰な思想を表すに[br]
適しない言語ではあるが、一面描写的な方法で感覚を呼びおこすには絶好な言語であるという所に、中国[br]
語の特質があり、即ち中国人の物の考えかたの特質があること疑いなく、われわれはこれを[br]
通して中国の文化のありかたを考えねばならない。そこに感覚を呼びおこすといったのは即[br]
ちある抽象的な概念をぶつけ、またそれとの連想によって他の抽象的概念を呼び出[br]
して行くことであって、いわば氷山の頂点から頂点へと飛躍することによって全体の構造をつ[br]
かむ行きかたで、水中に没した部分を測定することを必要としない。そこに巧みな飛躍が[br]
天才によって行われる可能性があるとともに、凡人たちが必要な訓練を受けないために[br]
適切な進歩から阻まれる現実を認めざるを得ない。こうした直観的な精神と理[br]
論的な精神とはヨーロッパの学問でも互いに対立し、幾何学的(ジオメトリック)な理論的精神はドイツの学問[br]
において発達しているが、事物の神髄をつかむ直観(フィネス)的精神はフランスの学問にすぐれた[br]
特色があるといわれるが、そのフランスの学者が中国の言語に接したとき、こうした叙述を[br]
行った所を見れば、中国語が如何にヨーロッパ語と違ったものであるかを覚るべきであり、[wr]自[br]

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然[/wr]中国の民族精神が如何にヨーロッパの民族精神と違うか、さらに中国文化が如何に[br]
ヨーロッパの文化と違ったものであるかに就いて今さらながら深い感動を覚える。[br][brm]
中国語について今ひとつ重要な点は文字であって、それは必ずしも象形文字のままではない[br]
が、一音節ごとに吐き出された概念を一つ一つの形象で受けとめ、しかも同じ音節にひし[br]
めいている概念をある程度まで意味の上から区別して、音の混雑をよそに見て直接意味[br]
の取り引きをするという便宜を持つ。これが漢字の視覚型特質として重要な問題を提[br]
供するが、概念を一一視覚的に区別するような文字はどの道複雑にならざるを得[br]
ない、そのため中国では話しことばと書きことばとが随分古くから分離して、話しことばが[br]
そのままの形ではほとんど記録されなかったために、ほとんどすべての記録は程度の差こそあれ、[br]
今に至るまで書きことばのみで作られている。こうしてその書きかたが長い間に一種の型として[br]
固定されるにつれて、語彙の配合についての習慣ができ、その習慣どおりに配合された語[br]
彙たちはその訓練を通して人人の話しことばと相当違った表現として生きているのみか、[br]
そうした表現をすることが社会における討論を採決する力さえ持った。しかもこうした[br]

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記録や成語をマスターするためにはこの複雑な文字について十二分の訓練を受けねばな[br]
らず、それは非常に多くの時間を費すしごとであるため、社会において経済的地位を確[br]
保したもの又はその保護を受け得るものでないと到底これを完うすることができない。だから[br]
こそ中国人はその漢字の発明者として人類に比類すらない功績を残し、その周辺の民族[br]
たちにもそれぞれ大きな影響を及ぼしたにも拘らず、漢字を修得したものはその全人口の[br]
二十%に過ぎないという甚しい不普及状態を呈しておる。これはこの民族を文字[br]
を持つ階級と持たない階級とに分ける結果となり、それはもとより印度のカーストとは異[br]
なって文字を持たない階級から出たものも何等かの方法により刻苦して文字を知り古[br]
典をよみ、そして古典的文章を綴ることのできるようになったものはもとより直ちに文字のある階[br]
級に編入され、文字のある階級におこる沈滞もこうした新しい人たちの編入によって絶[br]
えず輸血され革新されて行ったのが長い旧中国の状態であった。これとともに多くの文[br]
化人はこうした文字ある階級から出てこの階級のために工夫して来たため、この民族の文化の[br]
方向は明きらかにこうした偏頗を生じた。これまた旧来の中国文化の性格を考える[br]

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ために忘れることのできない点であり、また新しい中国の文化が如何なる方向を取るべき[br]
かを規定するものとも云えよう。[br][brm]
すべて、こうした言語や文字は旧来の文化を伝承し、また新しき文化を創造するもの[br]
であるから、中国文化を考える第一前提としてまずその性格を明きらかにした。もとより[br]
一には従来の中国文化研究が言語文字、ことに言語についてあまりにも関心が乏しかったの[br]
を是正するという心もちを含むものである。[br][brm]
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はじめに一通りのことを要約しますと、中国の言語と文字との特質から見て中国人の物の考え方および文化のありかたに関して、およそ三つの事項が考えられる。その一つはこの国の[br]
言語が一音節ごとに一つの概念を吐き出す、自然、中国人はある幅を持った概念の中核を直観的に[br]
つかむ、そこに直観的幅のきいた文化ができること。その二つはこうした概念の綴りあわせ方、すなわち一つの概念と他の概念との関係が、多くはその場その場[br]
の融通によって規定され、自然、論理性よりも調和性が求められた、[br]
そこにある条件の下では釣りあいのとれた文化ができること。その三つはそれを記録する文字が極めて繁雑であって、自然、それを媒介と[br]
する文化が沈滞しやすい素質を持つことであった。この三つは互いに連関することでもある。直観性がかつと釣りあいをとるし、釣りあいをとれば沈滞しやすくなるというように、枠の中では非常によくできて非の打ちようもないというように洗練される。今これらを出発点として更に中国文化全[br]
般の特質について考察を進めて行く。[br][brm]
第一は、中国の文化が著しく直観的であること、これはすでにグラネーの説を引いて紹介したよ[br]
うに中国語が描写によって特殊な感覚を呼びおこすに適しているが、分類したり定義し[br]
たり判断したりするに不適当であることと密接に連関し、すべて中国の文化はそれぞれの賢い[br]
人たちが先人の業績を熟察玩味して、久しくこれに没頭した上でわが心にその真意を[br]
さとる、これは全くその人たちが自分の経験から直観的にさとったものであるから、これを書[br]
物に著すにもただその自得したいわば頂点のみを書き残し、なぜそうなったか(所以然)とい[br]

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うことは一切人に示してくれないものである。もとより如何なる直観でもある種の体系なしに[br]
生まれるものではない。たとえば十二世紀ごろに朱子という偉大な学者が出た。この人は四書[br]
という体系を確立したという意味で不朽の功績を残したが、四書の中に腑に落ちないことが[br]
あると徹夜して考えて、夜あけに時鳥の声をきいた、という述懐を残している。それほど刻[br]
苦して体系を造ってもそこに記録したものはただその悟った頂点だけで、所以然はやはり後の人[br]
が徹夜して考えないとわからないようにしてある。これは一面、学問というものは各自が発明すべ[br]
きもので受け売りしたのでは意味をなさないことを示したものであるが、そうした態度は、自[br]
然、体系を人に示すことを重んじないことになり、はなはだしきは体系を示したものは品が[br]
わるいとさえ考えられた。更に体系のないものが幅をきかすということにもなった。そこに少数の有能な学者が努力して直観を働すものもできた[br]
が、多数の凡人にとってはそれが容易に悟りかね、学問の普及発展が妨げられたことも事[br]
実である〔天才は飛躍し凡人は堕落する文化〕。たとえば、中国人の最も重要な文化遺産と考えられた古典なども一般人に[br]
は先ず声をあげて誦むことに始まるが、これもグラネーの云うごとく「理解することはリズムを[br]
感ずることであって」、その論理を知ることではない。従ってリズムを感じつつその理解に到達[br]

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した人たちはそれから直ちに自分の経験へ直接に飛び迫った瞬間、はじめて一つの悟りの[br]
境地を招くのであって、その瞬間のために準備された長いあいだの刻苦がこうして報いられるわ[br]
けであるが、実は報いられたのは極めて少数であり、多くはそうした境地に達せずして終る。たとえば[br]
自然科学的な発明にしてもポール・ヴァレリーのいうように「中国人は羅針盤を発明しな[br]
がら磁力の科学まで行かず、探険隊を出すようにもならず、また火薬を発明しながら化学[br]
を研究して大砲を作ったりせず、ただ花火だけに使うということはヨーロッパ人には到底理会[br]
しがたい」ことである。いわば自然科学を組み立る論理が欠けて、ただある必要に応ずる[br]
措置が天才によって考案されたに止まる。その考案は極めて賢い人たちの直観によってしか生まれなかった。[br]
今日の科学の世界でも直観は極めて重要なキーポイントになっていることは衆知の通りであ[br]
るが、これの背景としての論理的探究も同じ比重を以て考えられ、その発達を求めねばならない。しかるに中[br]
国においてはその比重が取れぬため、体系が整わず、遂に多数の有能な発明が極めて[br]
実用的な小範囲にとどまったという憾みがある。ただしそうした直観的能力はこの民族の[br]
底力として十分に買う必要がある。十八世紀の学者に銭大昕という人があった。史学や[wr]経[br]

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学[/wr]文章の大家として一世に秀でた人物であるが、その随筆の中に古無軽唇という重要な[br]
ことが書いてある。これは古代の中国語にはf‐がなくてすべてp‐であり、v‐がなくてすべてm‐である[br]
という重要な研究であって、今日ならば学位論文として一部の著述をなすべきものであるにも拘[br]
らず、ただこれを随筆の一千余りの項目の一つとしてあげただけで、しかもそれを証明するにはた[br]
だ今の軽唇と重唇とが昔は共通して用いられたという証拠を無数にあげただけで、むかしは[br]
すべて重唇で軽唇はあとから発生したという説明も理論もない。そして、その悟りは古無軽[br]
唇という四字でその項目の表題になっている。つまりこれだけ多数の証拠を知った上で、ふ[br]
と悟ったのであるが、もとより本人にはそこに至る中国音韻学、乃至一種言語学の体系があった筈で、それな[br]
くしてこんなに図星を射とめる筈はないのである。しかし遂にその体系はその人とともに亡びて[br]
しまった。すべて中国の学問はこうした随筆の中に収められているものが多く、非常にひろ[br]
いベースに立っていろいろなことを知って、その上にこうした結論が直観的に出て来るのである。[br]
従ってこうした直観は論理の追跡というよりもむしろ多くの経験の総合に出づるものであ[br]
る。たとえば本草の如きこれに使用された薬品の種類は無数あって、まったくどうしてこん[br]