講義名: 中国における言語文字問題
時期: 昭和26年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ
とは最初に表われた主語――中国語においてはただ場を作るだけのものである――にお[br]
ける問題を、次の述語乃至述部において解くものである以上、文として委曲をつくし、[br]
ニュアンスを示すべきところは必ずや述語乃至述部でなければならない。それが述語のみに[br]
よって解決することもあり、また述語の力が他のいかなる実体詞に及んだかを示す目的語を加え[br]
ることによって解決することもあるが、とにかくむしろ述部が文の主なるものである以上、その述部[br]
について詳しく表出するのが当然であり、それまた当然動詞乃至動詞+目的語に対して加わるわけで、自然[br]
それは動詞の性質を補足乃至延長するものでなくてはならない。動詞とは広くいって動[br]
作を示す以上、それはある継続をもたねばならない。そのために西洋の言語ではこれをその外[br]
から見て過去であったか、現在であるか、また将来にそうであろうかを表現する方向に[br]
進んだが、中国語では前述のごとくそれは文中に加えられた副詞的性格のものだけで示[br]
し得るのでそうした発達はおこらず、むしろ動作そのものに内在した動作が継続中で[br]
あるか、それとも終了したか、乃至開始か反復か、といった問題についての区別を必要に[br]
応じて動詞または目的語の次ぎに加えることによって、文全体の性格をハッキリさせる[br]
方向をとったのである。そしてこれまた極めて原始的な孤立語でありまた言語[br]
の線条性を最も忠実に踏襲した上に発生した複雑微妙な言語現象であって、[br]
これによって中国語はあくまで孤立語でありながら孤立語としてのみか屈折語にも稀に[br]
見る複雑な表現を巧みに取ることができたとともに、それだけのニュアンスは示しつつ[br]
一方文法的紐帯はあくまでゆるい言語として存続してきたのである。[br][brm]
最後に文字論として見たときは如何。中国の言語が単音節で一つの概念を示している[br]
以上、中国の文字が各音節に宿る概念を写すという方向をとったことはむしろ当然で、わ[br]
たくしは前述の中国人が一音節ごとに一つの概念を吐き出したという定義を押しすすめ[br]
ると、中国人はこうして吐き出された概念を一つづつの文字によって受けとめたといえる。こ[br]
うして概念を受けとめようとする以上には、当然それは物おぼえの方法として概念の写[br]
生、即ち象形文字となってゆく。たとえば日と月を で現わしたのもその姿の写[br]
生であり、その音はすでに人々が日や月を呼ぶために公認していた音節がそのまま適用[br]
される。こうして一つの記号が一つの概念または事実とそれに対する呼び名とを合[br]
わせて代表することは一面極めて原始的であるとともに自然であり、つまり世界の各人種が[br]
工夫したあらゆる文字の原型が象形であり、また小児の画が象形であるのと全く同[br]
じである。それには日月のごとく目に見えるもののほかに、抽象的な目に見えないも[br]
のもしばしば画かれた。それは上下を二 で描いたようなもので、これを指事[br]
と称したのは具体的な象形に区別しようとしたまでで、そこに本質的な差はありえ[br]
ない。これらの概念はそれが象形のように直ちに模写できないまでも、比較的簡単な記[br]
号でこれを写せるものもあるが、たとえば信と武とかいう概念になると、これを一見してすぐ[br]
わかる形にまとめることは極めて困難である。その場合に中国人は既成の概念を示す二つまたは二つ以上の文[br]
字を一つに組みあわせ、その二つまたは二つ以上の文字の示す概念を左右にふまえて、その双方を統一[br]
し昇華した――これを化合したとも云うべき形において捕えた。およそ中国の言語は単音節で一つ[br]
の概念を示すとしても、単にそれ一つだけを考えることなく、それと関係あり、又は反対する概[br]
念を別に設定しそれとの対比においてそれ自身の内容を決するのが常である。すなわ[br]
ち大といえば小と対比し、大でないものが小であり、小でないものが大であるとする。と同時[br]
に正反対である大と小とを踏まえてそれを化合した大小という概念は大や小と当然関[br]
係はあるが、相当に方向の違ったもので「大きさ」ということになる。同様に人と言とを踏[br]
まえた一つの概念はすべて共同生活を営むべき人間というものと言語との関係に立ってこれを昇華[br]
したものであるが、およそ人間が共同生活を営むためには言語について信用されなければなら[br]
ないことから、それは信ということになり、これは人と言とを左右に配した形で示される。また止と戈[br]
とを踏まえた一つの概念は干戈を止めること、即ち戦争防止であるが、その文字の作られ[br]
た時代には軍備を撤廃するという方向でなくして、むしろ武装を強化する方向が戦争[br]
防止であると認められ、さてこそ止戈を合わせた武が武装の意味を持った。もっとも[br]
これは武の文字を見てこうした考えをおこし、これを政治家の警告とし、武備は決[br]
して戦わんためのものでなく、むしろ戦禍を防止するためであると説いた智慧者の説明か[br]
も知れないが、武の字について他に適切な説明のない限りこれが文字製作者の意図[br]
でないとは云いがたい。こうした文字は二つの要素がいずれも意味を示し、それを会合さ[br]
せたということからこれを会意と名づける。しかも当時の中国人はこうした複雑な概念も[br]
これを一音節で示そうと努めたため、元来それぞれの文字として一つの単位をなしていたもの[br]
もこの度は合せて一単位に圧縮された。なぜならば音節が一つならば文字も一つである[br]
のが原則だからである。つまり文字だけなら二字の熟語にしてよいことも音節の関係から二つの文字のスペースを用いず[br]
一つだけのスペースに押しこめたのである。[br][brm]
以上の象形指事はもとより会意すらも極めて原始的状態に近いもので、自然そうして作[br]
られる文字の数には限りがあった。つまり小児の描く画に限りがあるようなものである。とこ[br]
ろがそれでは複雑な世の中に対応することができず、かくして中国人はこれを救うためにこうし[br]
た原始的文字に画期的改革を企てた。それはいわゆる形声である。すなわちそれは会意と同じく二字[br]
を一字の中に押しつめてはいるが、会意のごとく双方ともに意味のみを示すのではなくして、その一[br]
つは意味を取り他の一つは音を示す。たとえば江はシによって意味をエによって音を示し、[br]
河はシによって意味を可によって音を示している。その意味を示す部分が形声の形にあ[br]
たり音を示す部分が形声の声にあたり、前者は普通に左にあるから左偏といい、後者は[br]
普通に右にあるから右旁という。俗にいわゆる糸偏がさがり金偏があがるというはこれであ[br]
るが、この今の糸ヘン金ヘンということばは極めておもしろいもので、その偏とは即ち物事の種類を[br]
示すもので、つまり糸に属する種類、金に属する種類である。そしてその旁とは物事の性格を[br]
示すもので、糸に属するものの中のどんな性格をもったものか、金に属するものの中のどんな性格[br]
をもったものかが旁によって示される。たとえば同という旁のついたものは多くは中に穴のあいた[br]
ものを示す。木に属して穴のあいたものが桐であり、水に属して穴のあいたものが洞であり、竹[br]
に属して穴のあいたものが筒である。そこは多くはといったのは銅はかならずして穴があいたと[br]
は限らないが、同じ金偏の中でトンという音がしたからといったような別の理由があるもの[br]
もあろうからである。その他青という旁のついたものは純粋なものを示し、水に属して純粋な[br]
ものは清であり、日に属して純粋なものは晴であり、目に属して純粋なものは睛であり、米に[br]
属して純粋なものは精であった。こうして考えるとき中国人はいち早く物事について種類と性[br]
格とを区別して考え、一切の物事をその種類と性格との交点において捕えたことがわかる。[br]
尤も物事の性格はこれが音を代表する以上、むしろ文字の根本はその右旁であって、穴のあ[br]
いたものをすべて同といったが、それが木ならば木偏をつけ、水なら三水をつける、といったのが[wr]元[br]
来[/wr]の姿でそのサイレントである部分はむしろ音を示す部分の修飾にすぎないといってよい。[br]
しかるに従来の漢字はおそらく左から書き出すことが系図で左偏の方を主として編集してあるため、誤[br]
って右旁が左偏に従属するような考えかたができているが、文字の発生にさかのぼれ[br]
ばこの考えは修正を必要とする。それのみか左偏に重きをおくあまり、右旁はただ音のみを示す音[br]
符にすぎないという大きな錯覚が生じたが、実は右旁は最も基本的な物事の性[br]
格を示したからこそ音がそこに宿るのである。すべて古代人はあたかも小児の如く犬はワン[br]
ワン猫はニャーニャーで物事の性格乃至状貌鳴き声で区別しているのである。だから古代[br]
の文字は後世なら偏旁とともに具えたものもただ旁だけで示した場合が多い。それが元来の[br]
象形文字――詳しくは一種の指事であったのである。だから形声文字は狭い意味の象形と[br]
指事とをそれぞれ偏旁にとった一種の複合文字であるということができる。[br][brm]
ところが、この形声はたしかに極めて巧妙な手段であって、物事の種類と性格とを一字の中に[br]
押しこんだ以上、これを見る人にとっては二字分のスペースを占めるに比して、同様の結果をむ[br]
しろ容易に受けとることができた。いわば西洋の文字ならば一綴りという表現がこの[br]
形で果たされているのである。もしさもないとこの二つが他の前後のものより特に親密であ[br]
ることを示すのに特殊の技巧を必要としたに違いない。ましてそれが単音節である限り、これを[br]
一字で圧縮することは極めて自然である。かくして表意から発達した中国の文字はかね[br]
て表音の作用を持つこととなり、また逆に表音として使用された文字が同音価である[br]
ときこの文字の表音的部分を鍵にしてその場の意味をえらび出させる方法とも云[br]
える。いわばアッシリア人が楔形文字を採用したとき、表音文字たる楔形の最後[br]
の音節を表音的にしたのと類似した構想であるが、もし西洋語のように音節が多[br]
くまた語尾変化をもったものでは無理でもあり煩瑣にたえないことであるにも拘らず、中[br]
国語は元来単音節のブロック的構造から成り立っているだけに、目に見える文字として[br]
考えたならば、その始末がきわめてうまく附いてしまう。即ち表音と表意とを一つの[br]
ブロックに組みあわせても単音節的構造に矛盾することなく、同音価であっても文[br]
字を見ればその鍵をさぐることができた。こうしてこの文字も複雑な事態に対応[br]
してきたのである。[br][brm]
二[br]
中国随一の長篇小説作家として知られている老舎は曾てその趙子曰という作の中でこ[br]
う云っている――銅鑼や太鼓のやかましい音楽は世界中でただ野蛮な民族と文明の中[br]
国人だけが楽しむ。この意味で中国の文明は世界でも比類のない「野蛮状態を保有した文[br]
明」である。野蛮人は大きな銅鑼や大太鼓大喇叭を好むが、中国人も大きな銅鑼[br]
や大太鼓大喇叭を好む。野蛮人は王八や狐や兎を崇拝するが、中国人は今に[br]
なってもまだ王八や狐や兎を崇拝する。しかし野蛮人は銅鑼や太鼓をきいても[br]
その板眼起落が何ものかわからないか、中国人にはわかっている。野蛮人は王八や狐を信[br]
ずるが、中国人ならば王八や狐にほかまだ外のものを信ずる。こうして見ると中国の[br]
文明とはまさしく古舗の専売特許で、古代の野蛮状態を保存している文明である。こ[br]
ういった特別な文明は「文明的野蛮」ともいえるし、「野蛮的文明」ともいえる。[br]
と――これは一種ユーモア作家としての筆致で書かれてはいるが、中国文化の悲[br]
劇的性格を極めてよくつかんでいると私は考える。と同時に中国の[wr]言語文字問[br]
[0x0030-0290out01]
古老独門製造
題[/wr]の悲劇的性格を論ずるにも極めて重要な考え方を提供する。[br][brm]
既に述べたごとく中国の言語および文字は、その音韻論立場において単音節とい[br]
う原始的性格を持ちつづけ、その意味論的立場において孤立語という原始的性[br]
格を持ちつづけ、そしてまたその文字論的立場において象形文字という原始的[br]
性格を持ちつづけている。それはまさに老舎のいう野蛮の状態である。と同時にそ[br]
の音韻論的立場において単音節の複合が極めて自由に行われ、極めて複雑な[br]
思想が至って簡単な操作によって表現できるという進化した方法を兼ね用いており、[br]
その意味論的立場においても文中の主要部分――それはいわゆる主語[br]
にあらずして述部にあるのであるが――を表現するために随時そのニュアンスを加えて屈折語にも劣[br]
らぬ複雑な心境や事情を至って簡単に表現できるという進化した方法を兼ね[br]
用いており、また文字論的立場において一字の中に表意的要素をとりこんでその数の少[br]
ない音節を極めて複雑な形に展開するとともに、表音的要素によって音標文字[br]
と同様な効果をあげたのはまさに進化した方法を兼ね用いたのであった。これはまさ[br]