講義名: 中国における言語文字問題
時期: 昭和26年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ
音[/wr]の用に供する。そして注音漢字は漢字から国語新文字に至る橋わたしであると[br]
いうので当分は漢字を横書きにしてその上に国語新文字のローマ字を加える、というよりもローマ字[br]
の下に漢字を組んでそれによってローマ字の義乃至音を示そうという案を加えて発表[br]
したのが国語新文字論であり、結局国語ローマ字を実行する腹はなく、ただ純然[br]
たる拉丁化の型にも従わない折衷案をとろうというのであり、文字改革協会はこれらの[br]
議論をどうさばくかが見物である。黎氏の漢字と国語新文字との結婚はまさに[br]
注音字母と漢字による注音漢字の故智にならったものであるが、注音字母と違って[br]
漢字の寸法に合わないのが欠点で、国語新文字に漢字を添えるとせば漢字は相当[br]
あらく組まねばならず、普通の印刷物には適応しない。まったく橋渡し的教材に[br]
しかならないと思われる。またこの案では声調を符号によって加えようというのであって、[br]
拉丁化の重要な特色を埋没する危険がある。元来中国語は声調を伴った言語[br]
であるが、一々声調を吟味するのは単音節を考えてのことで、もし多くの音節をならべた実際の言語となればただその音韻だ[br]
けを綴ってもこれに声調を加えて読めるものである。それは複音節という[br]
形式によって一定の辞が文字化して表示されるからであって、rhenmin と綴ったときは[br]
忍憫でもなければ任閩でもなし人民に定まっている。もちろんrhenだけでは何ともわ[br]
からないし、minだけでも分からないが、rhenminとなったら一定してしまう。あとは自[br]
分の知っている声調をつけて読むだけのことである。だから方言を比べても声調が複雑[br]
な広東語では単音節語が多く、声調が簡単になった北京語では複音節語が[br]
発達している。したがって複音節は複音節として詞類連書の形をとるならば[br]
これで判断を誤まることのない道理であって、中国語に声調があるからといって文字に声調符号を[br]
加えねばならないということはない。ことにこうした新文字が行われれば必ずや語彙そのも[br]
のに整理が加えられ同じ綴りによって違った意味を示すような辞は減少し、単音[br]
節だけの詞もまた適応な処理によって複音節化し、自然、複音節のどこかに[br]
高低アクセントがつくということで、各音節ごとに声調を考えるといった漢字時代[br]
の中国語とは本質が同じでも相当変わった外観を呈するのではないかと想像され[br]
るのである。[br][brm]
元来言語は決して革命すべきものでなくして漸進的に改良すべきものである。従っ[br]
て一挙に漢字を廃することは延安においても遂に切り替えを行わざるをえなかっ[br]
た。しかし漢字が永久に存続することはまた中国の停滞性を延長し、文化の不均[br]
整を促がすものであって、少なくとも今日以後の中国において幸なりとはいいがたい。つま[br]
り曾ていわれたように一千年也可以といった気長な方法で、結局躍進する中[br]
国文化に伴って、あるいはそれに肩随して文字と言語も漸進することが予想され、[br]
最も根本となることはやはり中国文化の進み方にある。それが曾ては読書人と非[br]
読書人といった構造によって偏頗な発達を遂げたが、今日以後ふたたびそう[br]
であってはならず、むしろ大衆の言語に学ぶという方針が提示され、少なくとも大衆[br]
と知識人が一つの目標に合致してくることになることは疑いない。もし知識人という[br]
ものがなかったなら、漢字のない大衆に対してはいきなり拉丁化を与えた方が有効[br]
であったと思う。しかし既に知識人という自己の文化と地位とを誇るものがあり、そ[br]
の工具が漢字であり、しかも大衆はこうした漢字を羨むべしと感じている以上、必[br]
ず曾ての王照の考えたような上等人と下等人とが別の文字を持つということになる[br]
であろうから、臨時の方法としてはまず大衆に最小限度の漢字を教える一方、む[br]
しろ知識階級に拉丁化を浸透させ、あたかも知識階級が大衆の言語に学ぶ[br]
ようにやがて知識階級の拉丁化を大衆も学習する、といった方向が考えられる。[br]
つまり言語文字も文化と同じく歴史の支配を免れないものであるから最も大[br]
きな流れさえ見あやまらなければ、またたとえ見あやまってさえ必ず一定の方向に[br]
行きつくに違いない。これを運動家の理論や感情によって左右することは進む[br]
にしても行きすぎとなり、退くにしてはやはり追いこされてしまう。黎錦煕の方法[br]
のごとき一時の折衷ではあるが、むしろ自然の趨勢に反する嫌いがあるのは、や[br]
はり民国初年の運動家が今では落伍とまでゆかずとも決して大衆の先に立つ[br]
ものでないことがわかる。だから黎氏自身も漸進の名において注音符号や国語ロー[br]
マ字が封建的でないと弁じているが、そうした態度を持するところに既に封建[br]
性が匂っていると感じられる。[br][brm]
中国の言語文字問題は一種悲劇的性格を持つものであると私は最初に述べ[br]
た。それはいろいろな点にゆきつまりがあるからである。その第一が漢字であってこれをローマ[br]
字に切りかえられたら望ましいに違いないが、民衆がついて来ない。少なくとも民衆がもっ[br]
と向上するまでは無理である。おかしいようであるが民衆は民衆の使いこなせな[br]
いに決まっている漢字をむしろ望んでいる。もし漢字をそのまま千字から二千字へと[br]
文字をふやし又学習する人をふやしても全部漢字で書く方法でたとえば科学[br]
教育ができるかどうか、これは大きな疑問で、すぐ行きあたるにきまっている。では一時的[br]
に漢字を少し教えて将来切りかえるかというと、切り替える困難は一旦一千字[br]
も覚えたものにはむしろむつかしい。それほど漢字は一旦覚えると親しみやす[br]
い性質があり容易に抜けきれない。その第二はいくら音標文字にしても中国語が単[br]
音節性である限り同音異義が無数にあるから少なくとも声調で区別するほか[br]
はない。すると音標文字に声調を入れるということで、綴りが複雑になるか何かの[br]
符号をつけるかしなければならない。が、書くときはその煩にたえられない。そこに[wr]国語[br]
ローマ字[/wr]と拉丁化との問題がある。その第三は方言と標準語の問題である。これだ[br]
け広い地域に標準語を推行することは今のところナンセンスである。とすると漢字なら[br]
皆が共通できるのにローマ字だと分裂するという説が出る。また標準をどこに[br]
取るか、労働大衆に中心をおいたのが拉丁化であるが、どこの国でも首都のことば[br]
を標準語とするのが常であり、また自然である。そのため拉丁化の標準に疑いが[br]
おこり最近はスターリンの言語学に対する討論を契機として北拉の書き方を[br]
北京語に還そうとする議論がおこっており、ちょうど国語運動の京国問題[br]
を蒸し返している。これらの難点がある以上、人民政府はいかに社会革命を呼[br]
称しても直ちにケマルパシヤの故智を襲うことができず、まずは識字運動にお[br]
ちついたところであるが、その将来の発展は中国文化に対する最大の影響をもち[br]
日本でもアメリカでも多くの人が注目している。最近といっても三月二十七日から二十九日まで[br]
フィラデルフィアでひらかれたThe Far Entern Aseociation の第三回大会でもChinese [br]
Romanization が一つのディスカッションの題目として大きくとりあげられていて而かも結論は出なかったという。ただこの問題をとき、あわよくば悲劇を転じて喜劇とするのは中国近代化の問題であり、近代思想の問題であるから、私はここでバトンを次の担任者にまわすわけである。[br][brm]
中国の言語文字問題 倉石教授[br]
(1)中国の言語は人類の諸言語の中で最もティピカルなる単音節語であり孤立[br]
語であるそのため必然的に象形を基本とした文字が生まれた。[br][brm]
(2)社会の進歩は必ずしも原始的言語をそのままの形で保留せしめずいろいろ[br]
な方法も行われたが、進歩の速度が鈍かった間はさして不便を覚えなかった。それ[br]
が近年の大転換により近代化を進むに至って摩擦を生じた。[br][brm]
(3)日清戦争の前後に漢字を音標文字に改めよういう運動がおこり、特に[br]
王照と労乃宣のしごとが弘く行われた。[br][brm]
(4)民国に入って読音統一の事業として注音字母が制定され漢字に伴う音符[br]
として始めて教育上に実施された。[br][brm]
(5)標準語の問題がこれにからまって始めは国音をもととしたが遂に京音京調[br]
に還元し種種の施設も完備したが漢字に伴うというところに大きな弱点があ[br]
った。[br][brm]
(6)羅馬字を以て漢字にかえることは国語羅馬字の基本態度であったが、それにも[br]
まして拉丁化運動が急に台頭ししばしば圧迫されつつも相当な成功をおさめた。[br][brm]
(7)ただ羅馬字を以て漢字にかえることが果して可能であるかどうか根本問題はこれ[br]
がこの言語の標記法として適切であるかどうか、あるいはこの新文字で表し得るよう[br]
に言語にある種の変化を加えることが適切かどうか。スターリンの言語学に関する[br]
答問もこれに大きな関係を持つ[br][brm]
(8)(討論)[br][brm]
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中国の言語文字問題 倉石教授[br]
中国の言語は人類の諸言語のなかでも最も代表的な単音節語であり孤立語であるため必然的に象形[br]
を基本とした文字が作られた。しかし社会や文化の進歩は必ずしもこうした原始的言語文字をそのま[br]
まの状態で保留せしめず、それ自体に若干の変化が行われた。特に社会や文化の進歩が著しい時ほ[br]
どその変化も顕著であって、中国で日清戦争前後に音標文字運動が起こったのも、その一つの現われであ[br]
る。その運動を強く推進したのが、王照(Wang Zhao)・労乃宣(Lao Naisyan)の二人で、その[br]
しごとが漸く政府で取りあげられた途端に清朝は瓦解した。しかしその事業は民国に入っても[br]
継承され、読音統一の事業として注音字母(符号)が制定され、漢字に伴う音符として教育上に実施[br]
された。これについても標準語の問題がからまって始めは人為的国音を基本にしたが、後に京[br]
音京調に還元し種種の施設を備えた。ただそれが飽くまで漢字に伴うというところに大きな悩み[br]
があった。これよりさき羅馬字をもって漢字に代えるという案が国語羅馬字として取りあげられたが、そ[br]
れがあまり進展しないうちに、ソ連の影響による拉丁化運動がおこり、しばしば政治的圧迫を受けつ[br]
つも相当な成功をおさめた。ただ羅馬字をもって漢字に代えることが果して可能であるか。つまりこ[br]
の言語を標記するのに羅馬字でよいかどうか、またこの新文字に応じて言語それ自身に対してもある種[br]
の変化を加えることができるかどうか、という根本的な問題が考えられねばならぬ。そして昨年公表さ[br]
れたスターリンの言語学にたいする答問も大きく関連してくる。[br][brm]