講義名: 中国新文字の問題
時期: 昭和25年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ

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助[/wr]人には毛沢東以下五十五人が署名して十一月七日にその成立大会をひらき、以降毎年十一月七日を以て中国文字革命節と名けることに決定しました 。
一九四五年太平洋戦争の終末とともに、早くも上海の『時代日報』の副刊『語文週刊』に語文革命の問題がとりあげられ、香港でも香港新文字学会が復活しましたし、一九四九年上海解放以後に『解放日報』では「人民政府は一貫して順序をふみつつ中国文字を改良せんとしている。毛主席も新民主主義論の最後に『文字は必ず一定の条件のもとに改革されねばならない』と述べている」といったが、果して一九四九年十一月十日には北京で文字改革協会が成立し、呉玉章の司会のもとに大会が行われました〔「於中化拉丁字運動二十年論文集」『中国語文的新生』一九四九〕。そして呉玉章は、「今のところ大規模な文字改革を実行するには、客観主観の条件が成熟していないから、如何なる方案にしても大規模には発展できない、しかし人民政府の賛助の下に中国文字改革の偉大な事業の目的は必ず条件の成熟した時に実現することを確信する」と述べております。つづいて南京大学でも十一月二十二日に南大文字改革研究会が発起されておりますし、その後多くの出版物もでき、その教育は幼稚園から実行するという報道さえ入っておるという状態であります。[brm]

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として「拉丁化を試験して早く文盲を一掃すること」を議題とし、全国を国語区、江南区、福建区、広東区とし、国語区のほかはまず一律に方言を教え、しかる後に国語を教え、文字の普及と統一とが矛盾せぬように考えました。一九四〇年三月の全国教育会議でも五年間に文盲〔一億四千万と発表したので問題となった〕を一掃する計画を立てたが、実施するには至らぬのみか、いささかこれに対し警戒する気配を見せたようであります。
さすがに延安はこれに比べて最も熱心で、一九三八年一月に辺区新文字促進会から抵抗到底を出し、また冬学をひらいて講習につとめたので、新文字を知らない連中はすべて新文盲といって笑われるほどになり、一九四〇年一月の文化界救亡協会代表大会でも拉丁化の意義が強調される一方、かの呉玉章も『中国文化』創刊号で、「文学革命与文字革命」を発表し「漢字をすぐに棄てるのではなくて、新文字が普及してゆけば漢字を使う人がなくなるのを待つのみで、自然今のところは漢字の改良も反対しない」と述べています。そしてこの年〔一九四〇〕十一月には延安で陝甘寧辺区新文字協会が結成されましたが、その発起人は林伯渠、呉玉章、董必武、徐特立、艾思奇、茅盾、周揚、蕭三、丁玲、田軍、周文など九十九人が名を連ね、[wr]賛

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ここで拉丁化が進行するにつれて問題になる事がらを纏めて申上げておきます。特に大切なことは云うまでもなく注音ルビ漢字に比し、また国語ローマ字に比して読みにくいことであります。まず国語ローマ字を含めて漢字に対する関係を考えますと、それはもとより漢字のように読み易くないことは事実ですが、それはそのために長い時間の物凄い訓練を経た人の云うことであって、もし大衆を愛護し大衆の向上を計ることに思を潜めたならば、その際における漢字の弊害について思を致したならば、改めて別の訓練を経る人たちを予想しなければならない。自分の、乃至自分たちインテリの利害のためでなくて、大衆のために漢字の害を除く方向にむかねばならないのであります。つまり漢字の弊害があらゆる物の上にのしかかって、いわば局部的に多少の不利はあっても全体としての害には易えられないのであります。〔注音符号の弱点は書きにくいこと、非国際的であること、またローマ字と違って一定の大きさであるために識別しにくい。ただしこれで漢字注音をするには絶好!〕しかも中国語は知らず知らず複音節化の方向を歩いています。ことに標準語たる北京語は長いあいだの陶冶を経て、たとえば広東語で目や耳を一音節で云っているのに北京語は早々―蘇州語も―二音節になっております。これは

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ゆるいながらも大きな趨勢であります。そのことは昔ドイツのグルーベも中国語は単音節語から複音節語の階段を昇ろうとしているといっています。もとよりこれは中国語が複雑に進んだという考えかたであって、カールグレンの最近に出した『Chinese Language,its nature & History』 のように昔は複雑であったのが簡単になったのだという考え方とは正反対ですが、ともかく現状では―太古を考えない限り―私はやはり音節的には一応複雑になったと思います。むしろ本当の複音節語にならないのは漢字が存在していて、漢字を用いる人たちの間で一々単音節的に還元しているからであって〔伊地智善継君の紹介されたbound wordsなどがすっかり裏がすけて見えるのもそのためでありますが―非常に文字的であって本当の辞書になっていない点がある〕、これがよほど複音節化を妨げていると考えられます。現に多数の日常語において―鳥居久靖さんのお得意の軽声がかなり良く発達して二音節三音節で一語になるという現象が大衆によって作られています。というわけで漢字を維持することができないとなりますと、次ぎは国語ローマ字との問題になります。
国語ローマ字をおぼえてしまえば声調が出ますから、拉丁化のように声調のないものに比べてはずっと識別しやすいこと確実でありますが、さて国語ローマ字で行こうとした

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ならば、あの複雑な綴りに直面する危険があります。これはこれまでの経験がよく教えてくれています。これを回避せよと教えているのであります。そこで問題は声調をつけない拉丁化が長い将来の文字として可能性があるのかどうかということになります。これについては最近の黎錦熙氏の『国語新文字論』 が述べています。特に国語ローマ字派であった黎氏は五年に渉って拉丁化派と論戦をつづけ、その結果がいわゆる一九三八年の漢口協商でありますが、その黎氏が最近に考えていますのは、
国語ローマ字が綴りの上で声調を区別する目印しをつけるように強調したのは、新文字が「確実にまた完全に漢字に代る」ためで、そのために基本形式のほかに完全形式を考えたのであるが、もし基本形式だけから云えば、拉丁化新文字と同じものである。もし当時注音字母を作らずに、かかる基本形式を採用していて、それを皆が推進していたならば、拉丁化はとくに中国人民大衆の間に通行していたことであろう
という方向で、要するにGRを実行する腹はないのでありますが、その『国語新文字論』にあげてあります方法は、もとより漢字から新文字に代る過渡のものとして新注音漢字

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を考えています。これはもとより注音符号と漢字とを抱き合わせた注音漢字に対して、新注音漢字というのでありますが、それは正確には漢字対照の国語新文字というべきであって、すべて横ぐみにし、漢字の上に新しい注音をつける、もし別の方言音をつけて対照させるときは漢字の下に組む、注音漢字のように一字ごとに注音符号を固定させるのではなくて、ローマ字を組んだ下、ちょうど相当の所に漢字を配当する、そして漢字と漢字とのあいだは、あまりあかないようにする。ただしこれはできるだけ印刷用字母の上でくつけようというのであるが、これは殆んど不可能の注文であるとわたくしは思う〔一つの漢字には五つのローマ字がいる(ɧを作っても)〕。 不可能とすると印刷上五倍の費用がかかるという不幸な事態が発生することは黎氏も認めております。またそのために紙面をあまり取らないようにする。これも極めて困難である、紙面をとるということは紙面上極めて不利なことで到底実行できません。はじめ兒家読物や民衆の読本にはすべて注音符号をつけることが規定されたとき、上海市の書業同業公会が反対した、その理由は紙面を多く取るから本が高くついて売れないということです。そこでその二つの方法がだめなら政府でこれを

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補償せよともいっています。そしてわれわれが特に注意したいのは声調符号を加えていることで、陰平なし、あと三声注音符号の横書きどおりですが、(どうも全部にはつけない、たとえばrenminなどには決してつけない)それからi jの上にできるだけ符号をつける、つまりiやjの上の点を変化した活字を作る。ただ重要なこととして声明しているのは、これは新文字で漢字を注音したのではなくて、漢字を新文字と対照させたものであり、またいわば漢字で新文字の「義」を注したもの、または漢字で新文字の「音」を注したものとさえ云えると申しています。実藤恵秀君などはこれを絶好の方法として讃美しておられますが、わたくしはたとえ過渡的方法であってもよほど注意しないといけないと考えます。なぜなら漢字を廃するための注音符号がいつしか漢字を擁護してきた歴史がよくそれを物語っています。単にいつか拉丁化にすることだけから考えても、「拉化」の最大の強みは簡単ということであって、それがɧを使ったり、ɧを多くしたり、また声調をつけたりすることは全く肝腎の使命を忘れたことで、それには漢字の生命をのばすことにすらなる危険があるのであります。元来中国人にとっては文字について声調というものは

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なくても用は弁じます(平易なことならば)。しかも中国語の声調の歴史を考えても広東語よりは北京語の声調がずっと簡単になっています、ですから音節的に複雑になれば声調は簡単になると考えて決して大差はないと思います。従ってGRや注音符号にまねて、名は漢字の注音でないと云いつつ実は注音を試みる必要はない、まして経済上成立しない相談であって、これこそ注音符号やGRの支持者、創作者の面子を立てるだけに終りそうに思われます。最も現状としてはいかにも声調がなければ困るものがあることは確かで、在と再との区別、打と大との区別など買と賣との区別などがそのためであるが、それは最小限度にとどめるべきであります。しかもGRにない他と她の区別も「拉化」では考えられています。すべてGRは漢字の音の通りに綴ろうとするから四声を離れなかったが、新文字は大衆の口語を綴るものであって、必要の時、すなわち絶対紛れやすい時のほかは使わないのが原則であります。すると漢字という象形要素の強い文字が、ローマ字という音標要素の強い文字になることは、ただ象形から音標へといった文字の改革に止まらず、単音節語から

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複音節語へ、声調のあることばから声調のない、声調支配の少ないことばへの移り行きを促進するものであって、ここに古い中国語は新しい中国語に改革されることを条件とするもので、黎氏などにはそれがサッパリ分かっていないという外はないのであります。文字革命は必ず言語革命なしには行われない、しかも黎氏は漸進の名のもとに注音符号やGRは封建でないと弁護しています。これは黎氏自身の頭が封建的であることを示すものと思います。もとより言語が人為的に改革できないことはスターリンがいう迄もなく確なことですが、自然に大きく移りつつある趨勢をむりに止めることは更に人為的であるとわたくしは考えます。[brm]
次は方言との問題で、今日までの傾向は、まず北方話と江南話と厦門話と広東話とぐらいに分けて小さい統一を行い、やがて全国的な統一を考えていたらしいが、最近問題となっているスターリンの「言語学におけるマルクス主義」が中国でも本年七月十一日の『人民日報』に李立三の翻訳で紹介され〔九月三日の張鋭光の文による〕、「言語学の若干の問題について」〔八月二十二日の『大公報』に『人民日報』より転載〕も紹介されたが、その影響が『大公報』では八月二十二日と

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二十四日に「略談語言和文字語言」(読斯大林「論馬克思主義在語言学中的問題」一文後的聯志)と題する周国珍の論文、「・・・「今日の文芸作品は資産階級の言語と情調とによって無産階級の人物を罵したのは可笑しい」という人があるが、それは誤りで「―資産階級の情調と習慣語によって―」と修正すべきで、資産階級の言語なんかない」という。また「進んで工農兵大衆の言語から学ぶには彼等の習慣語から学ぶべし、ただ同じ習慣語でも資産階級のは発展すればするほど広い人民からそれるが、広い人民から発展した習慣語は全民の言語の血液になり、たえず進歩する」という。文学の言語は生活の言語から選択し、鍛錬されるべきものでこれを雅―資産階級の玩具―にしてはならないといっているが、特に九月三日の張鋭光の「斯大林論語言学対於中国語文問題的啓示」は注意すべきである、即ち方言を文字化して全国を若干の新政治区域に分けることは成功しないという。
スターリンも「方言や習慣語、同行語は全民の民族言語の支脈であって独立した言語になれず、また発展できない運命にある」といっている。またこれは独立した言語ではなくて共通語の