講義名: 中国新文字の問題
時期: 昭和25年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ
中国新文字の問題[br]
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新しい中国が日本でも注意されるにつれて、中国の新文字の問題も相当人々の注意を惹き、拉丁化というような名称がジャーナリストの口の端にものぼるようになりました。しかし、時には拉丁化ということばだけを聞きかじって中国では拉丁語を使うのかと云う人もいないわけではないので、かたがた現代中国の基礎的知識としてこの問題は欠くことのできない意味を持つものと考えて、この講座にこの問題がとりあげられたわけであります。ただし、如何なる問題でも卒然として発生するものではなくて、長いあいだ原因となり温床となるものがあるわけですから、私の申しあげることも新しい中国のみに限定せず、この問題を理解できる限り古い所まで溯って行きたいと考えます。現にこの問題について『中国語文的新生』 という大きな書物が昨年三月上海で出版されましたが、それには「拉丁化中国字運動二十年論文集」という副題が附いておりまして、この運動が二十年の歳月を経ていることが示されています。それは一九四九年から二十年さかのぼって一九二九年からの文献を集めたものですが、それは後に申します瞿秋白という人が『中国拉丁化字母』という小冊子を作ったことを起点としたもので
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昭和二十五年十月十日友好協会現代中国基礎講座[br]
昭和二十五年十一月十三日京都中国語学研究大会にて[br]
あります。しかし拉丁化だけの歴史と見ましても普通は一九二一年から筆をとっておりまして、今年ならまず三十年といってよいのであります。しかし拉丁化が発生します地盤を考えますと、なかなかそれ位ではなく、少なくとも日清戦争すなわち一八九五年前後に中国人自身が中国の文字改良を企てたことまで溯らなければなりません。しかしそれは西洋人が中国語を羅馬字で書きあらわしたことから始まっていますからその淵源を尋ねれば、到頭明の中ごろ過ぎ、十七世紀のはじめ利瑪竇が漢字とローマ字とを対照して書いた文献まで溯ることになります。ところがこうした運動がおこったのは、畢竟、漢字というものがあったからで、さてそこまで考えるとなりますとこれは大変なことになります。そこで今夜はまず漢字についてなぜこうした反省がおこったかということからお話を始めてまいります。[brm]
この点について一番はっきりしたことは漢字の普及力が非常に低い、自然文盲のものが非常に多いという事実であります。たとえば一九二九年といえば、二十年前でありますが、その頃に教育部で出した統計では文盲のものが三億四千八百八十七万四千九百六十二人とありまして、どうしてこんな細かい数字を出したか分かりませんが〔一九二九年『教育年鑑全国教育会議報告、Francis Corta
の「怎样解决中国的文盲问题」 〕、ともかく一応は政府発表です。もし中国の人口を普通にいうように四億と致しますと、まさに八割を越える勘定です。[brm]
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あの古い文化国にどうしてこんな現象がおこるものか、それは文盲ということですから、もとよりその原因は漢字に求めねばなりません。では漢字というものは中国の言語を写すのに適しない性質をもっているか、と申しますと、これは一概にそうと云い切れません。なぜなら中国の言語は単音節という本来の性質をもち、また孤立語という特質をもっています。単音節というのは申すまでもなく、一つの音節ごとに一つのまとまった概念が出て来る言語なのでありまして、世界の言語の中でその特色が一番よく出ているのが中国語であります。また孤立語といいますと、一切の動詞変化がなくて文法的な意味の変化やはたらきは、[wr]す
べて[/wr]文の中に出て来る位置によって定まるということで、この二つの特質は二つであって実は一つ、表と裏とになっています。従ってこうしたまるで煉瓦みたいに一つ一つカッチリした格好の音節=概念であると致しますと、それを文字で表わすにはその一つづつに就いて一つの文字を作ってゆくと誠に具あいがよい。今ではその文字がすべて真四角の中に箝まるようにできているから、正しくこれは煉瓦であります。その煉瓦を積みあげてゆくと、積みあげかたによっていろいろな意味が出て来ますが、もしこれをバラバラにしたならば一つ一つの煉瓦になってしまう。そうした文字はどうしても概念を示すことになる。なぜなら、ある人間が区別して発音できる音節の数はきまっていて、そう無限に発音はできません。中国の標準語といわれる北京語について見ても実際に発音できる音節の数は四百十一しかありません。もっともこれに四声という区別があって一つの音節を四とおりの節(ふし)づけでいえますから、理論的にいいますと四百十一の四倍ということになりますが、実際はそんなに区別せずに大体一千三百ぐらいの区別としています。ところが概念の方は、なかなかそんなことでは済みません。それがちょうど英語の単語にあたるとしますと一千三百ぐらいの単語で[wr]文化
人[/wr]の言語が完成する筈はない。とすると、一つの音節の中に多数の概念を同居させる外はない。しかしそれでは一つの音節の中の概念がどうして区別されるかといえば、文字の力を借りる外はない。だから中国の文字は概念を表す方向に発達したのであります。たとえ音節すなわち発音を代表する働きをもっていても、必ずこれに概念を表す文字を加えて複雑な形を作った、たとえば同という文字を、発音を示すものとしたとき木ならば「桐」という字を作り金ならば「銅」という字を作る、その「きり」と「あかがね」とは全く同じ発音で、文字を見ない限りどちらともわからない。元来、中国の文字は物の姿を写生したり、ある観念を表示したりしたもので、それにそれぞれある音節がバックになっている。それを別の見かたから考えると、物の性質と種類とに分けて考えることができます。性質というのは物の働きであり、種類というのは物の形状をいう。今の木とか金とかいうのは物の形状種類であり、同というのはその働きであって、「きり」と「あかがね」とは木と金とで種類が違うが、どこにか働きに共通な所があるから、どちらも桐、銅と同が附いています。どういう働きがあるかといえば、同にはまん中に穴があいているという性質と、自然そうした形の物が奥
から出す音などを示すのであって、穴があいていることを示すのは桐のほかに筒もあり洞もある。一方、銅貨は投げて見ると陰にこもったトンという音を出すからこれもその働きといえます。ただの一字で形状を写生したり性質を描いたりするとなかなか大変ですが、こうして一度できあがった文字を二つ、一方は形状、一方は性質、それを組合せて一字の中に押し込んでしまうと、実は大変楽に文字ができます。これが日本語ですと、あかがね、くろがね、とじきに音節をのばしますから、音の方でも区別が出来ますが、中国語は一応すべて一つの音節で表わしてしまう。従って一つの文字であっても即ち一音節であっても内容は二音節にわたることを示している。木同とか金同とか言えばよいことを一字につめているのであります。これは大変楽に概念を区別する方法、できあいの文字を二つ寄せて一字にしてしまうという簡易なやりかたであったため、この方法が大流行して、西洋紀元一世紀の末ごろにできた説文解字という字書に九千三百五十三の文字がのっているが、その中の八割まではこうした複合体の文字であり、こうして遂には五万とも六万とも、誰ひとり正確な数のわからない程おびただしい文字ができてしまいました。まったく呆れるばかりの
話で、悠長な古代人の気分がよくわかります。五万も六万も符牒を作ってそれが役に立つ筈はありません。だから西洋人が中国に来てこの文字を見たときこれを悪魔の文字だといい、またテリブルだといって怖じ毛を振ったと申しますが、まことにさもありそうな事です。もとよりこの文字で記録致しますと、第一非常に少ない文字でもよく意味を示す、あかがねというところがたった一字で済む、それに発音ははっきりしなくとも、その文字の形を見ていますと、だんだん意味の方がさきに分かってきます。文字は云うまでもなく意味を知らせるものですから一応はそれで好いわけですが、その文字の形が何としても複雑なために、誰だってなるべく少ない文字で書こうとします。またこうした意味を主とした文字ですから相当にそれが可能になります。ことに中国人はそうした技巧に非常な苦労をしましたので、極少ない文字でかなり複雑な意味を示すことができました。ところがそれは目で見た場あいで、もし文字を見ないで音だけ読んでもらったとしたら、なかなか分からない、何かの約束をよく覚えておけばその音から文字を思い出し、文字から意味を思い出すことも可能ですが、突然そんなものを音だけで聞いたのでは分かりません。ですから中国の学校で[wr]卒
業式[/wr]の祝詞をよまれて、本人は得意になって音吐朗朗とやっているが、聞く人にはさっぱり分からなかったというのが珍談でもなんでもない普通のことでした。ということはこうした文字とその使用法によって口語と文法との区別、乃至ひらきが非常に烈しくなることであり、口語は口から出ることばですから、これなら中国人は誰でも話したり聞いたりできるわけですが、文語は文字をたくさん覚えるほかに普通話したり聞いたりすることばとは違ったものですから特殊な訓練を受けない限り使えないものであります。そのために中国では文字が使えずに口語でしか用をたすことのできない階級と、文字を使って読み書きできる階級とが非常にひらきを生じました。ことに読み書きできる階級はその読み書きの能力によって知識を貯えることができましたので、自然それが支配的な地位に立ち、口語しか使えない階級は常にその支配を受けました。しかも読み書きがこんなに特別な訓練を要しますのでやはり経済的にゆとりのある環境でないとそれができませんし、そうした能力をもちますと経済的にも有利な地位に立つという風に循環致しますので、自然一種の読書人、非読書人といった世襲的な階級らしいものができてしまいました。いわゆる官になるもの
は読書人で一定の文語能力を試験されねばならず、官になれば労働せずして俸給が頂けるほかに相当の、乃至相当以上莫大な副収入もあり、その経済的実力はますます大きくなります。もとより非読書人の階級から出ても文語能力さえできましたらどこまででも出世ができますから、家柄そのもので定まるのではなく、自然階級と申しましてもインドのカーストのようなものではありません。しかしそうした出世をした人はむしろ例外でした。前に述べた文盲三億四千八百八十七万四千九百六十二人という厖大な数はつまり文法能力をもたないものの数で、それが五千万内外の読書人階級によって支配されていたのであります。なお附け加えて申すべきことは口語にしても単音節孤立語であることに変りはないので、それがこうした少ない音節でどうして意味が通ずるかと申しますと、口語では今のところ大体が二音節の結合という形になって、耳でも分かるようになっております。たとえば北京語で眼のことを眼晴といい、耳のことを耳朵という、蘇州語も同じ構造です。ただもっと古い中国語が反映したと思われる広東語では眼とか耳とかいってるのはやはり純単音節語の形態を保存しているのであり、それだけ広東語では声調の区別が
複雑ですが、北京語になるととても簡単になって誰でもすぐ覚えられます。ということは中国の口語の動きかたを示しているに外なりません。つまり中国語もこうした結合体から自然に二音節語的になっていきますと、一一の音節に声調をもつといった煩しさがなくとも耳でわかるようになりますから、中国語の本質そのものも動いてくることが考えられます。こうした言語の動きに比べますと文字の動きはどうしても後れがちのものでありまして、ことに中国人は読書人の方が数も少なく地位も高かったので文字を尊びましたから、中国人自体がこの文字を改革しようという機運はなかなか現れませんでした。もとより読書人といいましても文字を五万も六万も知っていたのではなく、文字を知って用にたつ一番少ない限度としていわれていますのは新聞をよむに四千字、通俗雑誌が二千五百字、小学校の教科書が三千字ということですが、一かどの読書人になりますとざっと一万は自由に使えねばならなかった、教育部で作りました『国音常用字彙』に収めてあります文字がすべて九千あまりと申しますから一万は普通といった所でありましょう。その中には相当に古典にだけしか出ない文字が入っています。[brm]