講義名: 中国における言語文字問題
時期: 昭和26年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ
中国の文化と社会に関する諸問題の今年度講義を始めるに先だち一言その主旨等について[br]
説明する。この講義は文学部の諸講義の中で特殊な形態をとっている。まずそれはど[br]
の講座にも属しないことである。もっとも語学その他の特殊科目が講座に属しないのは他に[br]
も例があるが、この講義はそれとは相当趣きを異にして、単に在来の講座の補助として[br]
の講座外講義ということではなく、むしろ在来の講座組織の不備を衝いた性質のもので[br]
ある。文学部の講座はいろいろな意味をもって逐次に充実されてきたのであるが、あたかも大[br]
学全般の機構が法、経、文、教育、工、理、農、医の八学部(乃至教養学部)から成立っている[br]
如くに学問の方法的区別によって分類され、大きくいえば哲学、文学、史学といった分類が根[br]
本に横わっている。もっとも同じく文学でも国文学、中国文学、梵文学、英吉利、独逸、仏蘭西[br]
文学等各国の文学に分かれているが、この組織から見るときはまず文学という立ち場に[br]
たってこれを各国別に考えたに外ならない。しかるにこうした考え方は同じ中国の学問にしても[br]
中国哲学や東洋史学がそれぞれ哲学乃至史学の立ち場で一応まとめられ、これらの[br]
学問が中国という共通した因数によって分解できることが忘れられがちである。尤も[wr]文[br]
学部[/wr]の学科の順序としては国文、国史、中哲、中文、東洋史という如く地域による区分をたてて[br]
いて一応にこれを救うことにはなるが、実は地域的に考えるときこれらと離れて考えられずその[br]
社会学や美学美術史や考古学その他にも中国の因子がある程度含まれているか、少なくとも含[br]
まるべきであることがわかる。しかしこれらの学科は従来中国をその名に揚げた講座とは縁[br]
のなきが如くとりあつかわれがちであった。加之中国に関する学問は単に文学部だけが独占すべ[br]
きではなく、法学部における中国の法制や政治、経済学部における中国の経済、乃至理学[br]
部における中国の天文、数学、地理、農学部における中国の農産農芸、医学部におけ[br]
る中国の医学薬学、教育学部における中国の教育などあげれば限りもないほどの幅を[br]
もっている。元来どの国の学問にしてもお互いに無関係では成立しがたく、八乃至九学部を綜合する[br]
所に綜合大学の長所があるわけであるが、従来の各学部の成立が西洋の学問の基準によっている[br]
ため西洋系統の学問ことに従来の西欧系統の学問を学ぶ学生たちについては、その専攻にも又[br]
綜合にも相当の便宜が考えやすかった。しかし中国の学問は従来特殊の発達を遂げて[br]
きたためにこれらの系統と正しくマッチすることができず、而かも西洋学術が分科の方向を[wr]と[br]
って[/wr]きたに反し、純中国系統の学術は相互に分離しがたい特質を持ってきた。それが今日の学問[br]
において主導的な地歩を占めがたくなった大きな原因であるが、あれだけ広い地域にわたりあれ[br]
だけ多数の人たちによって組みたてられた文化乃至社会には、やはり相当な意味が含まれていて、[br]
たとえば衣物の表と裏との如くその表裏あってこそ人間の文化や社会に対する十分な見とおし[br]
ができる筈であり、これをあまりにも無視するときはやはりどこにか欠陥を生ずることが免れない。況してわが国[br]
の如き中国と狭い海をへだてた所では古来の影響が密接であり、今日以後も中国を置いて日本[br]
の立ち場を考えることはできない。少なくとも中国ソ連およびアメリカをおいては日本が考えられ[br]
ないような立ち場に立っている。むしろ大学がよって立った西欧系統とは違ったブロックによって[br]
取りかこまれているのが日本の現状である。こうした現状に立って考えるとき、従来の学部乃至講[br]
座の制度には相当反省すべきものがあるわけで、ことに中国を中心として考える場合には最もそ[br]
の反省が強からざるをえない。つまりこの講義はこうした要求にこたえたもので前述の如くむしろ講座乃[br]
至学部の制度の不備を衝いた企であるとともに、それが中国から始まった理由も十分納[br]
得できると思う。[br][brm]
この講義の第二の特色は普通の講義が一年を通じて一人の教官が担任するに反して、全[br]
体を第一部二部に分ち、第一部は三人の教官、第二部は四人の教官が分担し、しかも第[br]
一部第二部は一貫した性質を持たせたことである。これは最初に述べた本質的な問題とは[br]
違って実施上の便宜を考えたもので、また特にこうした方法をとる所に本質的な問題とからんだ[br]
理由がある。本来ならばこうした中国を中心とした学問を研究するには単にこれだけのわずかな[br]
講義で満足さるべきではなく、相当時間を用意しておくのが当然であり、できるならばそうしたい、否、一学科乃至学部にまでふくらますべき[br]
であるが、それが講座に数えられない現状では、とりあえず文学部の一隅に位置を占め、昨[br]
年度第一次の如きはその主旨は認められたものの予算は全然与えられず、自然学内教官の[br]
奉仕において出発したのであるが、後にやや予算が配当され文学部以外の教官にはいささか[br]
のお手当をさしあげることになり、自然今年度は必ずしも学内教官に限らないという所まで[br]
来たわけであるが、それも一単位の講師分に止まっている現状で、いわば六単位七単位分の[br]
講義を圧縮するという結果になったわけである。自然第一部第二部といっても大きな区別[br]
ではなく、たまたま二単位分になるために比較的文化に近いものを第一部、社会に近いものを第[br]
二部としたにすぎない。昨年度においては本学部のほか教育学部、東洋文化研究所、社会科学研究所の教官を聘して中国文化の問題、中国美術の問題、中国宗族の[br]
問題を第一部とし、中国官制の問題、政治の問題、農村社会の構造とを第二部と[br]
したが、本年は中国の言語文字問題、近代化の問題、近代思想の問題を第一[br]
部とし、自然地理と人文地理、経済の問題および農村社会の構造を第二部とし、本[br]
学部のほか理学部、東洋文化研究所、一橋大学、成蹊大学の教官を聘したわけである。[br]
ただしこれも単なるリレーとして次々にパトンを渡すだけでなしに、全体のティームワークを[br]
巧にすることに重点をおき、すでに一応の打合わせを行ったほか、本日も若干の教官が特に[br]
出席された如く、将来も自分の担任以外の教官が出席されることもあろうし、教官の[br]
打合せ乃至学生諸君との懇談といった機会を作ること、乃至はこの六七人の教官以外に[br]
臨時の講義を誰か適当な人に願うこと既に昨年度から実施していることである。自[br]
然学生諸君の例においてもこの講義を単なる講座の講義と同一視することなく、よ[br]
くその主旨を体して聴講せられたい。[br][brm]
ここで話を戻してこのような講義が試みられるに至った具体的な原因乃至影響を一応[br]
述べておく。元来わが国と中国との関係は古くから密接であり、ことに中国の文化が圧倒[br]
的であった時代には中国と直接交渉のあった時代とそれが妨げられてからとを問わず、日本の[br]
学問とはすなわち中国の文化を学ぶことであった。その直接交渉をもった時代は遣唐[br]
使の頃乃至五山の僧侶が留学した頃であったが、やがて江戸時代に入って直接交渉は妨[br]
げられた間に日本民族としての自覚が生じて、いわゆる国学が漢学万能の間から芽ば[br]
えたことは民族にとってむしろ幸なことであった。たまたまそこへ洋学が伝来してこれが直接[br]
交渉を再開する緒ともなったが、同時に当然な結果として洋楽が漢学にとって代ったわ[br]
けであり、その中国に対する研究そのものも多分に西洋学術乃至西洋人の中国研究[br]
の成果が利用されることによって改善され変化したわけであるが、その研究の必要性はその関[br]
係が密接である限り消滅するものではない。なぜならば如何なる意味においても日本と[br]
関係あるという限りその文化や社会の問題は発生する筈であり、その問題が十分に解[br]
けない限り、日本民族は中国と手を握ることもできず、自然民族の存亡にも関するわけ[br]
である。況して前述のごとく中国民族の組みたてた文化や社会はこれを適当なる科学的[wr]研[br]
究[/wr]を通す限りにおいて、世界におけるある一種の文化とし社会として十分に尊重し研究されるべき[br]
価値をもつ筈であり、――さもなくば夙に滅亡していなくてはならない――わが国においてもその研究に[br]
従事した人の数は決して少なくない。しかるにその文化は前述のごとく綜合的特色を持つため、[br]
大学のある学部のある学科だけが研究したのではいわゆる盲が家を撫でたようなもので、[br]
到底その全貌をつかむことができず、自然中国の本当の特色乃至底力がわからなくなり、[br]
隣人たちわれわれがそのとりあつかいに大きな誤まりを犯すことも現に発生したわけである。その[br]
ため早くからこれを綜合的に見たいという企がたとえば支那学会とか中国学会とかの組織を[br]
促した。ただしそれも古い漢学そのものであっては如何に綜合はされても今日の科学的研究に[br]
歯することができず、そうした古さをぬぎすてつつ綜合の実をあげようというために、昭和四、五年[br]
の頃から東京および京都に東方文化学院の研究所が設けられ、幾多の貴重な研究[br]
が世に餉られ、世界の中国研究に立ちまじって必ずしもヒケを取らなかった。これが後にそれ[br]
ぞれ一つは東洋文化研究所となり、一つは人文科学研究所の一部となって東京、京都の両大[br]
学に属したが、その研究の業績は専門家のひとしく認める所である。ただ大学の学部ではこ[br]
うした組織をとりこむことができず――それがこうした附置研究所として成立したいわれでもある――[br]
そのために学部との関係が薄く、学生を養成したり一般の教養を高めたりする上にも極めて[br]
不利であった。即ちわれわれの講義はこうしたわが国の学問の歴史を背景にして成立しているのである。[br]
更に今ひとつは太平洋戦争におけるアメリカの動きで、モンロー主義を捨てたアメリカが東洋[br]
に乗り出してきた以上、われわれと同様に中国への関心をたかめ従来の西洋支那学になかった新しい[br]
状勢が生まれてきた。その動機にはこうした政治的影響があること固よりであるが、また[br]
一面ドイツに発生した anthropology(人類学) がアメリカに輸入されて大きな進歩を見せたというアカ[br]
デミックな影響もあって、この新しい中国研究chinese study は同時にarea study(地域学) の先[br]
鋒となって極めて短い期間に各大学に普及した。それは第一に中国をめぐる文化は自分た[br]
ちの環境とは非常に異なったものでこれを理解するためには中国語を十分に学習すること、[br]
次ぎには従来歴史言語考古学美術史文学などで試みられた中国に対する研究[br]
に人類学社会学経済学政治学の方法をとり入れて中国研究に対する必要にして十[br]
分な枠をそなえるとともにその枠の中の均勢をとることを意識したものであった。その[wr]方[br]
法[/wr]についてはハーバード大学のReishauer 教授 Fairbank 教授 Understanding [br]
The Far East through Area Study (地域学による極東の理解)による所が多く、かく[br]
考えることは世界の中国研究における新しい傾向であると考えてよいと思う。しかも従来とかく文[br]
科的分野においてなされた研究に社会科学者との合作が要求されていることは、やはり[br]
日本の現状でも考えられることで、戦時中の要請から多数の社会科学者が始めて中国問題に手[br]
を染めてそれらの意義を自ら味われたことは今日の社会科学において中国研究が一つの大きな[br]
題目としてとりあげられた機縁をなすものであり、いわばHumanitiesのほかにSocial Science [br]
を加え、あるいはNatural Science からさえも参加した研究がしきりに提唱されていることに[br]
なるのである。その一つの例証として本年度の文部省科学研究費による総合研究においても[br]
私がたまたま委員長として中国の転換期における文化社会経済の相関関係についての研究で[br]
申請しておいたのが幸に四十万円の研究費を配当されたが、これにも言語、思想、文学、美[br]
術とともに法律、経済、歴史等の専門学者が協同しようという約束になっている。その関[br]
係機関としては東京大学文学部のほか東洋文化研究所、中国研究所などのエキスパート[br]
が参加している。アメリカにおいては主として東洋関係の研究のためにこの方法が考えられたが、[br]
実はすべて外国の文化や社会、ことに文化圏の異なった地域が研究対称となるときは当然考[br]
えられるべきことであって、現に本学教養学部教養学科でも米国の文化と社会、英国の文[br]
化と社会、仏国の文化と社会、独逸の文化と社会などの科が設けられているもの主旨は全く[br]
われわれと同様で、ただ中国とソ連とが国際関係論の中に含まれているということは実状やむを[br]
えないにもせよ遺憾なことで、われわれのしごとは正しくその欠を補うものでなければならない。しかも[br]
われわれの方が一年早くそのステップをふみ出したのである。[br][brm]
最後に学生諸君の聴講については第一部第二部をそれぞれ一単位として、聴講者の便[br]
宜をはかっている。主旨としては二部を一貫して考えてあり、二部とも聴講することを希望するが、[br]
しかし一単位づつでもさしつかえない。聴講者はそれぞれ第一部第二部ごとに別のカードを提[br]
出し、学年末にはそれぞれ試験を施行する。その方法は前年度には各部とも三分科ご[br]
とに出題し、その二つを選んで答える方法をとった。今年はそのほかに第一部三分科、第二[br]
部三分科につきそれぞれ随意の一分科をえらび、その担任教官の指示により適当な[wr]問[br]