講義名: 中国語学概論 序説の一 中国語学の立ち場
時期: 昭和22年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ
中国語学概論[br]
序説の一 中国語学の立場[br]
中国語というものはこの世にあり得ない、といえばはなはだしい詭弁のようであるがもしいい方を変えて、北京語・広[br]
東語・福建語・上海語というものはあっても具体的に中国語というものはあり得ないといえ[br]
ば何人も首肯されることと思う。つまり中国語とは一つの抽象であって、かかる抽象的なもの[br]
を対象として研究する学問が中国語学なのである。学問というものを定義して抽象[br]
することだ、少なくとも抽象することから始まる(落合太郎学問について6頁)といえるとすればこれらの北京[br]
語・広東語・福建語・上海語などを抽象して、一つの中国語というものを認めるということが[br]
すでに一つの学問なのである。したがってこの学問をすることによって、すなわちこれらの具体的な言語を[br]
抽象し、すなわちこれらの言語における事実を選択しポアンカレの言、同書7頁、これらに共通せるものを明[br]
らかにする、というしごとがこの学問の第一歩であり、またこの学問そのものであるといってさしつかえ[br]
ない。つまり一個の厳重なる科学として存在し得るものの一つである。ここに中国語学を[br]
もって一個の厳重なる科学として考え、そして今よりそこを発足しようとするとき、中国語学その[br]
ものの拠って立つ足場というものが極めて重要な意味を持ってくる。[br][brm]
元来中国語学の最初の発足はフィロロギッシュの立場にあったものといえるのであって、その点[br]
はわが国の国語学が主として古典の意味を理解し、ひいてはかかる古典語の歌を詠み[br]
文を作るという目的を持っていたようなのと殆ど同様であった。というのはその頃における中[br]
国はもっぱら中国のみを考えればよいのであって、しかも中国とはいうものの過去の中国を考え、過[br]
去の中国とはいうもののもっとも遠い過去の中国を考えていた。かかる遠い時代の中国を考え[br]
る媒介は、まったく音声言語であることが許されず、そこに存するものは記述言語たる文[br]
字であった。実に当時の中国人はかかる記述されしもの、すなわち古典を通して古代人の生活を[br]
読みとりこれを現代生活の規範とするように努力していた。すべての生活は古典を通し[br]
てのみその意義が認められるのであって、現代人としての生存権は古典に通ずるか否かによ[br]
って規定されていたのである。しかるにかくして記述されたる文字群はこの国の言語の特質[br]
として別に詳しく説くように極めて夥しい種類から成っているため、これを記憶してその文字[br]
群の持つ意味を、これを記述した古人の意図に沿うて理解するためには非常な努力と[br]
訓練を必要とする。そしてその訓練は最も幼少なる時代から始められざるを得なかった。[br]
伝説によれば古代の教育としては八歳にして小学に入ったと称するが、その小学における訓練は[br]
まったく文字群を記憶し征服するためにあったという。この伝説を裏がきすることは、古代におけ[br]
る小学校の教科書として伝えられるものがほとんどすべて文字記憶のためのものであり、しかも文[br]
字記憶のための書物を総称して小学といったという事実である。ただしこれらは極めて自覚[br]
のない、単なる自然状態において起こったものであって、やがて時代を経て外国との交渉を[br]
生ずるにあたって、外国における言語の観察法がこの国にも影響を及ぼし、すなわち印度における[br]
一種の言語学の影響がこの国の当時の言語を整理する動機となった。かくしてそれぞれ[br]
の時代における言語の記述が多少の差こそあれ次第に現れるに当り、これが後世の人たちに[br]
対し重要なる言語資料となったわけであるが、こうした間にもその記述は必ずしも純然[br]
たる言語の記述となることなしに、彼の歌を詠み文を作るという目的を忘れず、あくまで古典と[br]
の連関を維持していたことが注意される。しかし中国語学の研究が意識的となり自覚[br]
されてきたのは三四百年前からのことであり、幾多の学者が生涯の心血をそそぎ骨髄を削って[br]
広い意味の語学に没頭した。ところが同じこうした学者の中にもその学風から見ておのずから二つ[br]
の流れが認められた。すなわちその一つは古典の理解において特長を示した人たちであり、その二つは言[br]
語の観察において特長を示した人たちである。前者を考古派と称するならば、後者は審音[br]
派である。しかしこの両者は実は同じ幹の二股であって、その幹はどこまでも古典という根に直[br]
結していることを忘れてはならない。たとえ審音派に属する人たち、ないしは審音と自称した人[br]
たちでも、そうした特色を持った研究法を工夫していく目標は要するに古典の理解を[br]
更に一歩深くほりさげて、かの考古派だけでは突き破れなかった堅い殻を突き破ろうとしたの[br]
であって、審音とは考古の手段であり、あるいはこれを高次の考古派と称することすら可能である[br]
と思う。当時有名なる学者の戴震が、この頃もっとも多くの学者が熱中していた古韻[br]
学、すなわち詩経時代においては幾種類の派に分かれていたかという命題に対する研究報[br]
告を批評して、ちょうど薪を積み上げるようなものであって、後から来るもの程は高いところに乗る[br]
という警句を吐いているが、こうした業績があげられたのはまさしく多数学者の連鎖的研究の[br]
成功であって、中国語学の研究史の最も花やかなページであるとともに、これが一個の科学とし[br]
て成熟していたことを知らねばならない。しかも古を尚びこれを雅と考える国人たちはここまで成熟し[br]
た学問を呼ぶのにもっとも原始的時代の名称たる小学の二字をそのままに襲用していたのであ[br]
る。[br][brm]
西洋人が中国の言語に触れてその研究を試みたのは、中国に渡来したジェスイット派宣教[br]
師に始まり、その宣教師の一人であったプレマールPrémareに至ってはじめて中国語の性質と[br]
構造とが西洋に知られることになったといわれるが、実用的の立場すなわち布教の手段としての[br]
言語研究から始まったとものとともに、東洋の文明、[br]
故国の紹介が実を結んだ所謂シノロジーの一つとしてその言語研究が発達し、さらに近年[br]
における比較言語学の勃興に伴う各国言語の研究の一つとして、スエーデンのカールグレンKarlgren教授[br]
を頂点とする各種の研究が行われて、いわゆる言語学の一つ、すなわち特殊言語学としての支[br]
那語学が建設されつつある。そしてこれが研究されてゆくにつれ、他の特殊言語研究との関連が[br]
はっきりと認められ、やがて一般言語学のためにその根本概念や一般原則に関する新しい示唆[br]
をあたえ、従来の研究を補正すべき機会も与えられることであろう。これが西洋の科学としての[br]
純言語学的立場でなくてはならない。[br][brm]
ただ今日のところではカールグレン氏もいうように支那語の如く、その用途が広い範囲にわたり、そ[br]
れを用いる人の数が多いという上に豊かにして価値ある文献を持って、文明史上に重大な役割りを[br]
演じている言語が西洋人からあまり注意されなかったことも極めて不思議であるが、さらに不思[br]
議なことは、これだけ近い国として切ったも切れない関係にあり、しかもその文明によって従来何より多[br]
人(ママ)の恩恵を蒙ってきたわが国において、しかも他の学問、たとえば言語学の他の特殊部門なり[br]
支那学の他の部門などが相当長足の進歩を遂げているにもかかわらず、中国語学については顧み[br]
る人がほとんどなかったことで、いたずらに実用中国語の跋扈にばかしてあったことは今から考えても遺憾な[br]
ことであった。本学においては創立以来いち早く支那語学と支那文学講座が設けられていながら、久しく有[br]
名無実の状態に放置されていたのであるが、十数年前から次第に整理を加え、今日ではいささか体を備[br]
えるに至ったといえるまでになった。しかしなお他の学問に比しては遜色が多く、到底純然たる立[br]
場に徹底するには至らない。元来この口座は支那学的性質に重きをおいたため、中国語学の[br]
建設に当たってはまずいわゆる小学としての立場を出発点としたのであった。しかるに一面この講座が[br]
文学科に所属していると同時に言語学の一翼たるべき使命を忘れてはならないのであって、数年来次第に[br]
言語学的傾向を増加しようと努めてきた。元来小学の立場と言語学の立場とは考えように[br]
よれば極めて違うのであって、現代のわが国語学などでは特に小学的なるものを排斥する風が強い[br]
ように見うけられるが、われわれの中国語学においては意識的にその疏通をはかるいうよりもむしろ自[br]
然にその共存を認めているというのが現状である。もし将来両者ともにその独自の研究が発達す[br]
ればこの二つの源流から発した水は合流すべきは合流し反発すべきは反発して、ずっと徹底した[br]
形式となり、この意味においても抽象化ができるわけであり、またそうした希望を持つものであるが、ただ[br]
今のところは合流にあらざる混流といった状態がなお随処に認められることと思う。とはいえ、小[br]
学の中でもかの考古審音二派の切磋によって生み出された輝かしい結論のごとき、もしその方向のこと[br]
について見れば何人もこれに一指だも触ることのできない厳粛さも持っているのであって、たとえば石塚[br]
龍麿の仮名遣奥山路が今の国語学界に及ぼした影響に優るとも劣らないものがあって、[br]
たとえ砂礫を混ずる憂いはあっても金を捨てることはできるだけ警戒しなければならない。[br][brm]
いわゆる言語学の方法論から見るとき静態と進化、共時と通時、ないしは記述と歴史といったような[wr]研[br]
究態度[/wr]が認められるが、これはこの講義においても当然取りあげらるべきことであって、まず記述より出[br]
発して現代の中国語をもって第一章とする。それにはいわゆる標準語と方言とがいろいろな意味において[br]
対立しているため、まず標準語の音韻組織語法語彙を述べたのち、重要なる方言についてその[br]
標準語との異同を明らかにしたいと思う。これについでは歴史に及ぶべきであるが、序説の[br]
二として中国語の特質を説くにあたって述べよう如く、中国における文字論は他の言語に比して極[br]
めて重要な少なくとも特別な意味を持っているため、第二章としては中国の文字を論じる[br]
ことが妥当であろう。かくして文字と言語との間における本質的差異は当然文語と口[br]
語との差異を招くため、この問題を説く目的をもって第三章文語と口語を設けざるを得ない。こ[br]
こにおいて問題は歴史に立ち返ることになり、第四章として過去の中国語を論じ、中国語史の[br]
ためにやはり音韻語法語彙などの問題を分別討究したい。以上のほか言語の持つ美の問題は[br]
言語が単なる実用工具で終わらぬかぎり、当然発生すべきことであり、ことにこの言語においては文語口[br]
語の問題とからんで考察するべき宿命を持つため、第五章としては中国語の美学を立て、言語[br]
が自然に成育するのみならず、それを人為的に教育する必要があるかぎり、言語教育の問題もま[br]
た簡単に見すごすことが許されず、かくして第六章として中国語の教育を説き、現代語の場合、古典語[br]
の場合、本国人の場合、外国人の場合をそれぞれ区別して論述したいと思う。[br][brm]
以上が本学年二十回四十時間の予定をもって講義せらるべき中国語学概論の内容であり[br]
組織であるが、これを現在の階段における国語学に比してさえ非常な遜色をみずから認めざるを[br]
得ない。国語学においては遠く明治三十年代より上田万年博士等の提唱によって国語の[br]
改革に関する諸問題を動機として在来の国学者の研究から脱皮し西洋言語学の[br]
とりあつかいに傚った研究問題、領域、方法論がとりあげられた結果、ともかく新しい科学[br]
としての国語学が建設された時枝誠記、橋本進吉博士と国語学。もとよりその道の人たちの真摯にして謙[br]
遜なる表現によれば、国語学は最もおくれた学問であるといわれるが石黒修氏書翰たとえば国[br]
語学概論というべきものや国語学史の範疇に属すべきものとしてすでに公刊されているもの[br]
だけでも、安藤正次、小林好日、保科孝一、時枝誠記、吉沢義則、山田孝雄、橋本新(ママ)[br]
吉等の諸家の手に成ったものが林立していることを思うとき、むしろ羨望を禁じ得ないものが[br]
ある。これらの諸家の学説はそれぞれに若干の西洋言語学者の理論を背後に持ち、ある[br]
いは積極的に支持しあるいは反発的に逆用な(ママ)どしてあるが、ともかくこういう傾向にあること[br]
は承認されようと思うが、われわれの中国語学においてはまだかかる境地に到着していない。ただ[br]
しこれに就てはわれわれの中国語学は外国語学であり、わが国の国語学は本国語学で[br]
あるという大きなハンディキャップを考えることが許される。つまりわが国の国語学において行[br]
われただけの進歩と努力とが中国自身の学者によって中国の国語学としてまとめられ、[br]
幾多の国語学概論や国語学史が中国語そのもので書かれたとき、われわれの中国語学[br]
はまさにその恩恵を蒙って、ややその光彩を発すべき秋が来ることと思う。中国現代の[br]
国語学は、ちょうどわが国の明治の国語学と同様に、当時の西洋ないし日本より流入する[br]
文化の影響によって刺戟された国語改革の諸問題、つまり国語の将来をいかにすべきか、[br]
という大きな問題を民族の生死存亡にかけて解決せんとする重要な使命をもって生まれた[br]
ものであり、二十数年前より始めて国語学草創といったような先駆が現れたのである。しかも[br]
それは同時に文章文学の問題としてこれまた国民教育とからんだ重大運動たるいわゆる文[br]
言白話の闘争、もとよりそれは白話の全面的勝利となって局を結んだが、その間における[br]