講義名: 白話と文言
時期: 昭和17年
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倉石武四郎博士講義ノートアーカイブ
「文言」とか「白話」とか云ふことばは近来支那で極めてよく使はれる表現であるがその正確な意味についてはもとより一定しがたい。元来支那で「文」といふ文字は改めて説文を引くまでもなく筆画が交叉した複雑な模様を示すものであり自然この文字の持つ味はわが國の成語にもあるとか文雅とか人間の芸能的方面にむけられてゐる。たとひ●●人でも己の身体に模様を彫りつけて美●とした如き場合は●文身といふことばで表されてゐる。これに對して白といふことは元来色のしろいことから起ったらしいのであるが同時にまた一切の色を加へない消極的な意味をも持つもので支那●で白猫といひわが國で白木造りなど申すのも色彩を加へていないことを云ふのである。胡適の説によれば白は芝居のせりふのことで支那の●劇の如きオペラ●のものでは歌とせりふとが交互に現●れ歌は素人がきいてもたゞ節まはしだけで意味や文字を覺ることはできないに反しせりふの方は口でのべたものが耳から入り得る――これが一つの意味。その次はあっさりしてゐて粉飾を加へないといふこと。第三は明白といふこと、よくわかること――これが白話の白の持つ内容であるといふがこの説明は支那●のやはり粉飾のある説明であって、もし辞典を編輯して白の字に幾とほりの意味があるかと云へばこれらはもとより更に
多数の白についての意味、申したてるとか白状とするとか平白といってあからさまにとかいろいろのばあひをつけ加へなければならないがすでに「白話」として二●の熟語になってゐる以上相當に固定した内容を持つのが常である。これは支那の熟語の組織について少しでも考へさへすれば明瞭なことでたとへば行為といふとき行列といふとき旅行といふとき行の範圍と為列旅などの範圍とが接觸して来て両者のあひだに重複した部分を生ずる。この部分がこの熟語の新しき化合物を意味するものである。ちゃうど酸素と水素とが化合したり窒素と化合したりすることによって化学現象が違って来るやうにたとへ同じ行が熟語の一部をなしてゐてもそれぞれの組合せによって行の内容にも異同を生ずるものであるも一つ大切なことは支那語の表現は多くそのあひてを豫想してゐることである。大といへば小を考へ多といへば少を考へる。これは支那語が一音節で一つの観念を表現する性質から云って同じ種類――反對の意味をまったく同じ語形で表現することに最も好都合であるから先天的にも後天的にも発達を見たことであるが今の白についても胡適の云ふ第一の白はうた即ち唱にたいして云ふことばで今問題とする白話にくつけることは牽強といふ外はない。或は戯曲を以て白話文学に加へようといふ意識から[wr]か
ゝる[/wr]誤謬を犯すに至ったかも知れない。然らば第二第三はどうかと云ふといづれも適用しないことはないのであるがもし白話といふことばが文言と對称的にでき又さういふ風に一般に使用されてゐる以上「文」と對になるといふ意味の「白」に限定しなければならない。さうすると當然第二の意味と称せられた粉飾を加へないといふことより外に考へようがない。次に白話の話はもとより口で話すといふことに違ひないのであるが文言の言とはどういふ関係になるかといへばこれは支那のことばにおける歴史的背景を考へなければならないことで文言といふ二字が結ばれたのは相當古い歴史があって誰も氣づかれることは周易の十翼の中に文言傳といふ周易の注釋があることであらう。清の阮元の●●●三集巻二に「文言説」といふ論文があって周易の文言は一句一句に韻をふみ修詞に苦心を費したものを称してゐる。つまり文言傳といふ典故から自然に文言の二字が今日まで固定されこれと白話とが又偶然にしかも自然に對称になるところから相互に牽制しあって用ひられたもので文言の言と白話の話とが文や白を離れた意味で對称されたのではないと思ふ。しかし言とは説文にも直言曰言、論難曰語とあるがつまり一人で云ふこととあひてに話すこととの差はかゝる定義からも推察できることであるから文言の言も白話の話に[wr]たいす
る[/wr]最も適當な表現であること疑ひない。なぜかと云へば普通の考へかたに從って口語体を白話といひ文語体を文言といふとすれば口語体は當然あひてに耳から話すことであり文語体は一人で述べることになって好いわけである。
しかるに口語体といふものは文語体にたいして云へばもとより口から耳への意思伝達法であって逆に文語体とは手から目への意思伝達法たること明瞭である。即ち前者は聽覺に訴へ後者は視覺に訴へるところにそれぞれの特色が発揮される。しかし●実はもっと複雑であってたとへば今日のいはゆる白話小説の如きはこれを口語体といふことはできるが一面では手から目への傳達を務めて●●その作用はむしろ最初から聽覺を豫想してゐない。いはゞ一種の文語――廣い意味の文語としてたゞ語法が音聲言語の語法を骨子としてゐるといふことである。それゆゑたとえば[br]
聽了鴉啼而●●端●●之感又豈是尽人皆然之事 施蟄存燈下集[br]
の如き決してこのまゝ発音したからとて純粹の音聲の●を媒介とすることばになってはゐない。就中鴉啼といふことばを卆然きいて理解できる人は極めて稀でもしこれを耳からでも[wr]わか
る[/wr]やうに云はうとなれば老●叫喚とか烏鴉叫とかいはねばならない。また豈是尽人皆然之事といふのも難道人々都這様的●といはねばならない。とは云ひながら聽了鴉啼といふやうな語法は純粹の文言では許されないのみならずその一篇の文の中にも[br]
而我也當然●不了是其中的一個 ソレニ僕ダッテ勿論ソノ中ノ一人ナンダカラ[br]
のやうに其中を那裏頭とでも改める以外格別の手を加へずに純口語になるやうな部分もあることであるからこれを以て直ちに文言であるといふわけに行かない。これをちゃうど反對にあひてと談話をしてゐる時に十宝之邑有忠信とか能者多勢とかいふ純然たる文言が用ひられ勿論文字を通ぜずして意思は十分に了解される。たゞしか●いふ表現は大体ある語句に限定され又これを使用して談話をする人たちの階級にも自然の制限がある。これらの人は曾てかういふことばを文字で読みこれを文字の発音をとほして記憶してゐるのであって今その発音をふと耳にした人は曾て文字をとほして記憶された一連の発音を思ひ出したがために之を諒解するのである。即ち單に耳からの言語だけの訓練のみでは了解できかねる点に特色が存する。それ●かくの如き表現は厳重に云って直ちに白話とは申しかねる。少くとも白話の中に[wr]文
言[/wr]を混入したといふのが正確である。その最も明瞭な実例は會話の中に固有名詞ことに古人の名とか古い●物の名などが混入することでこれらはたとひ如何に談話に不自由のない人でももし特定●●●を●物なりその他特別の訓練なりによってすでに記憶してゐない限り到底了解できることではない。たとへば余がかつてある支那の老先生とともに某人を訪問した●がある。その人は日本でも有数な支那語の権威であるがその人は自分の持ってゐる書画を出して老先生に示された中に厳●の印を押してある作があった。老先生とそれを見ながら天水冰山録●と見ると……と話しだされた。余は即坐にかつて知不足斎叢書で読んだ厳●が●●●●●●が破れてその夥しい財産とともに沒收された書画●●●の目録たる天水冰山録●を思ひだした。しかるにその支那語の権威は何やら●すぐいたい顔をして余に老先生は何を云ってをられるのかと耳打ちされたといふ実話によってもよくわかると思ふ。[brm]
ことに大切なことはたとひ文言で表現されたものでも実際これを●で書きあらはすまでつまりなほ思想といふべき過程にあるとき果して文言で思考されてゐたらうかといふことである。その最も好き証據となるものは支那のてがみことにいはゆる尺牘としての体裁を備へない家書であって例へば
最近まで大学院学生諸君が講讀された●文正公家考の中に道光二十三年九月十七日●●参の甲法と述べて[br]
平日康強的和入丸薬内服最好[br]
といってゐるがその和入丸薬内服といふのは和在丸薬裏吃といひさへすれば全く同じ字数を以て純粹の口語文となるものであって當時講讀の諸君からこの「内」の字は「内服」と下へつづくのではないかといふ質問があったのであるが余は上に述べた理由で断然「裏」の字に對應せしむべきことを告げた。これはたまたま口語で書くべきところを文語でかき乃至は口語の語法をばそのまヽにして文語の文字に入れかへたことを証明するのであってつまり表面は文語であっても口語の芯が丸見えになってゐるばあひである。これは日用のことにすぎないがさらに純然たる学術の著作について見ても清の段玉裁の説文解字注といへば支那の書籍としても指折りかぞへられる名著であるがその第一●上示部の●の字についても一つ●という異体が説文に見えその説解に或从馬●●省聲とあるについて段氏は[br]
此字从馬則不該云●聲●矣不當取省聲
と述べてゐる。その意味は●の字は示の部にあるにもかヽはらず馬偏になってゐるのだから異体の説明としては从馬といふだけで十分であって●聲といふ必要なきことである(たヾ从馬●といへば好い)。從って省聲かどといふ必要はないといふことのやうであるがその不該云●聲●矣といふ表現は他の段注の文章にくらべてよほど口語的であるといふのは文語の法則から云へば不云●聲●矣で好いわけであって該の字はむしろ口語で考へた名残として偶然に残されたものと思ふ。つまり口語から不用説●聲●了と●●すべきところである。面白いことは段氏の門人の江沅が段氏のこの一節を批評して壽省蓋禱省也無●於从馬之不該矣といってゐるのは明かに段氏の文を誤讀して此字从馬不該で句讀を切ったに相違ない。これはどう考へても誤讀であるがかヽる誤讀が江沅のごとき人物に起るといふことはたまたま段氏の●●もこヽはいさヽか口語的であって他と権衡を失ってゐるがためについ誤まったものと見るべきで過ちを見て仁を知るとはこのことでありしかも段氏がこヽでこんな特別な書きかたをしたのも思考の過程が複雑であったために口語的思考の●迹を残してしまったものといふべきであらう。[brm]
かやうに文語で表現されたものは原則として口語的思考の過程を●べきものであるが文語に[wr]つい
て[/wr]の訓練をもち又これに熟達した人物ならばその過程は最も速い歩●を以て通過されほとんど口語とその餘●を残さないこともある。そのばあひはちゃうど今日の口語における成語成句の混入と同様であってかねて用意された文語的表現が思考と同時に筆端から湧き出る。このことは一面文語を以て意思を表現するといふ世界に順應するために極めて必要な訓練でわれわれが外国語を勉強してほとんど本國語を思ひ出さずにその外國語を驅使するに●ると同様人工の●自然にいたると称すべきものである。これはたとへば欧洲語になれた人は不必要なばあひでも英語を交へたり醫者がドイツ語半分で講義したり漢籍を讀む人がむやみに漢語を使ふやうに一面これに順應するとともに逆にこれに吸收されて思考の方法までかういふ傾きになりやすい。後に述べんとする文言白話論のかまびすしかった時代に文言を主持した人たちは文言の訓練の不十分な人で思想はいきほい進歩的になってゆくのである。こヽにおいて思想が言語を生じると同時に言語文字が思想を拘束することが如何に大きなものであるかを知らねばならない。[brm]
白話といふことばは何時から使用されたか今たしかな用例を知ることは困難であるが或は相應古い歴史を持ってゐるかもしれない。しかし白話が文言と對称的に用ひられ――詳しく云へば同等またはそれ以上の権威をもつものと考へられたのは極めて近い事実である。從って白話の内容そのものも極めて最近といふよりもあるひは近世に発達したものであるといふような考へかたもある一部では行はれないこともない。勿論如何なる人たちでも文字の発達した國では口語と文語といふか或は話すことと書くことが古くから社會の一般に行はれたといふことは疑ふものもないが古代の口語は古代の文語と同じであって後世に至って分岐したと考へてゐる人は少なくないと思ふ。この考へかたは一面においては口語と文語とのまだ分離しない時代を假定するものとせばある真理をふくむものと云へるがこれと同時にかヽる悠遠な時代即ち文字のまだできなかったころのことになれば実は文語がなくて口語だけの時代である。これは今日でも文字を知らない人民を考へてみてもわかることであって言語そのものの性質が民族または郷黨のあひだの約束によるものである限り口語だけの世界――つまり純言語時代といふものが考えられる。しかしかヽる時代はあまりにも悠遠なことであって支那では数千年の昔からかやうな時代を脱離してゐたらしい。支那人がその時代を●●して[wr]考